秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(第21回=18/1/4)善光寺坂、牛坂、金剛寺坂、播磨坂、湯立坂、伝通院、播磨坂桜並木、石川啄木終焉の地、etc.

 東京23区内で港区とともに坂道の多い文京区。元日と3日に続いて、今日4日は文京区の小石川界隈の坂めぐりをしてきました。由緒ある坂ばかりでしたが、坂巡りの一環として、伝通院、播磨坂桜並木、石川啄木終焉の地(終焉の地歌碑、石川啄木顕彰室)も訪れました。播磨坂の桜並木は全然知らなかったが、地元手作りの桜並木は素晴らしかったです。また、設置されたばかりの啄木終焉の地の「歌碑、顕彰室」を見られたこともたいへん幸せでした。都内にお住いの方は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。桜並木と啄木顕彰室はすぐ隣り合っていますから。最寄駅は地下鉄丸の内線茗荷谷駅です。  /  Atelier秀樹

  

<今日の坂めぐりコース>

(地下鉄春日駅)〜堀坂〜六角坂〜善光寺坂〜伝通院〜安藤坂〜北野神社〜牛坂〜金剛寺坂〜三百坂〜吹上坂〜播磨坂播磨坂桜並木〜石川啄木終焉の地(石川啄木顕彰室 / 石川啄木終焉の地の歌碑)〜団平坂〜湯立坂〜(地下鉄茗荷谷駅

 

<坂めぐりメモと写真>

 

堀坂(ほりざか)

別名、宮内(くない)坂、源三(げんぞう)坂。小石川2丁目の“こんにゃくえんま”で有名な源覚寺の南にある。かなり急な坂。

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六角坂(ろっかくざか)

 小石川2丁目。この坂が直角に曲がっているあたりに、六角越前守の屋敷があった。

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善光寺(ぜんこうじざか)

 小石川2丁目。伝通院前から東の白山通りに向かう道。淑徳学園前から善光寺の門前まで。この道路に面して、伝通院、善光寺、慈眼院など古い寺が並ぶ。

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伝通院(でんつういん)

 伝通院は於大の法名に因む。境内には、於大の方千姫をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある。

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安藤坂(あんどうざか)

 春日1・2丁目の境。坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因む。

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萩の舎跡

 萩の舎は、一葉が小学校を11歳で卒業してから、学問好きな一葉のために、父親が明治19年8月20日、一葉14歳の時に入門させた中島歌子が主宰していた歌塾。

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北野神社(きたのじんじゃ)

 別名、牛天神。春日1丁目。源頼朝が当地にあった岩に腰掛け休息した際、夢に牛に乗った菅原道眞のご神託を受け、1184年頼朝がこの岩を奉り当社を創建した。

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牛坂(うしざか)

 別名、潮見坂、鮫干坂、蠣殻坂(中世の頃は牛天神前は入江であった)。坂下に牛石があったからの坂名。

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金剛寺(こんごうじざか)

 春日2丁目。この坂の西側に金剛寺という禅寺があった。この坂の東寄りで明治12年に生まれ、少年時代を過ごした永井荷風は、当時の「黒田小学校」に、この坂を通って通っていた。

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三百坂(さんびゃくざか)

 小石川3・4丁目の間。三貊(さんみゃく)坂。主君登城のとき、この坂を過ぎるまでに追いつけなかったら罰金三百文。それで、家臣たちが三貊坂を三百坂と呼んだとか。

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吹上坂(ふきあげざか)

 小石川4丁目。この辺りをかつては吹上村といった。坂下は「播磨田んぼ」といわれた水田があり、小石川が流れていた。

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播磨坂(はりまざか)

 小石川4・5丁目の間。春日通の小石川5丁目交差点から北東に向かい、植物園前交差点前までの長い坂。この道路は、終戦後の区画整理によって造られたもので、一般にいわれる環三道路(環状3号線)である。かつてこの辺りは松平播磨守の広大な屋敷のあったところ。坂下の低地一帯を「播磨田圃と言い伝えており、この坂道もこの土地の人は播磨坂と呼んでいる。

 昭和35年ごろ、「全区を花で埋める運動」が進められ、この道路も道の両側と中央に樹齢15年ぐらいの桜の木約130本が植えられた、そして地元の婦人会の努力によって、「環三のグリーンベルト」は立派に育てられている。昭和43年から桜祭りが行われ、文京区の新名所となった。(文京区教育委員会設置の標識)

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播磨坂桜並木

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石川啄木終焉の地

 小石川5丁目11番。明治45年4月13日、結核で啄木は26歳で生涯を終えた。平成27年3月22日、隣接地に石川啄木終焉の地歌碑」および石川啄木顕彰室」(高齢者施設内)が設置された。

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石川啄木顕彰室

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石川啄木終焉の地歌 f:id:hideki-sansho:20180104192457j:plain

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    啄木が終焉地で最後に創作した二首の歌(絶筆原稿より) ↑

 

団平坂(だんぺいざか)

 小石川5丁目。別名、丹平坂、袖引坂。団平という米搗きを商売とする人が住んでいた。庶民の名のついた坂は珍しい。

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湯立(ゆたてざか)

 小石川5丁目と大塚3丁目の間。別名、暗闇坂、湯坂。昔この坂の下は川があって氷川神社に渡ることができなかったので、神社の氏子は川の手前で湯花を捧げたため、この名がついた。(標識)

(湯花とは、湯の沸騰時に上がる泡のこと。神社で巫女などがこれを笹の葉につけ、参詣人にかけ清めた。この儀式を湯立と呼ぶ)

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<編集註>

 坂名の解説は、現地の標識、ネット情報などによりました。 

 (秀樹杉松 90巻2530号)18/1/4  # blog<hideki-sansho> 170