今日は久しぶりで東京文京区の坂めぐりに行ってきました。文京区は港区、新宿区と並んで、東京23区における坂が多いベスト3です。文京区内の坂めぐりは、今回でおそらく最終回になると思います。今日の28回目を含め、これまで歩き巡った坂は322坂となりました。
今日巡ったのは文京区の本郷・弥生・向ヶ岡界隈ですが、赤門や三四郎池など東大周辺を含んでいます。東大といえば赤門と思っていたが、鉄門を今回初めて知りました。その鉄門を出たところが無縁坂という名で、東大と無縁の私はハッとしました。そして、向ヶ岡弥生町の町名が徳川斉昭の歌碑からとられたことも知りました。
今日の坂には異人坂、お化け坂、解剖坂など興味深い名がありました。また、無縁坂が森鴎外の『雁』主人公の散歩道であったこと、根津神社近くの新坂(権現坂)は、森鴎外小説『青年』との関わりでS坂とも呼ばれることなど、面白くて為になる坂巡りでした。どうぞ、写真をご覧ください。 / Atelier秀樹
<今日のコースと写真>
(地下鉄本郷三丁目下車して坂巡りへ出発)
東大赤門
旧加賀屋敷御守殿門。重要文化財。
三四郎池
育徳園心字池。大坂夏の陣の後、加賀藩前田家は幕府から現在の東大(本郷キャンパスの一部)およびその周辺池を賜った。寛永6年4月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍・大御所秀忠の御成(訪問)があり、それに先立って豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと考えられる。この庭園が育徳園であり、池を心字池といった。夏目漱石の『三四郎』はこの池を舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。(city.bunkyo.lg.jpより)


東大鉄門
鉄門の由来(要旨)
東大医学部と付属病院の創立は安政5(1858)年の神田お玉池の種痘所。門扉は厚い板を鉄板で囲った造りで、種痘所自体が鉄門と呼ばれていた。種痘所はいくつかの改称をへて東京医学校となり明治9(1876)年に本郷に移転、翌年には東大医学部となった。医学部正門は本郷キャンパスの正門であった。明治17(1884)年に法・文学部が神田一ツ橋から移転、共通の公式正門が本郷通り側に設けられ、以後医学部正門は鉄門と呼ばれるようになった。
大正期に鉄門は撤去されたが、東大医学部創立150周年を記念し、鉄門をゆかりのある無縁坂上に再建。
無縁坂
団子坂(汐見坂とも)に住んだ、森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となった。




横山大観記念館
横山大観旧宅および庭園が、昭和51年に横山大観記念館として一般に公開された。平成7年に台東区史跡、同29年、国史跡および名勝に指定された。
江戸時代は、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であった。江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもある。


竹久夢二美術館
弥生美術館
弥生坂
名にしおふ 春に向かふが岡なれば 世にたぐひなき はなの影かな (徳川斉昭)


異人坂
坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通って、不忍池や上野公園を散策した。当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りする坂なので、異人坂と呼ぶようになった。


お化け階段
やや曲がりながら西に上る階段。40段。途中で折れ曲がる階段。上りと下りで段数が異なることから「お化け階段」として知られる坂道です。 かつては幅が狭く、薄暗い道でしたが、拡幅工事が行われ、手すりもついて、きれいな階段に整備されました。 とはいえ、階段途中で折れ曲がった先が見通せなかったり、階段の一部が上り途中で行き止まりになってしまったりと、独特のミステリアスな雰囲気が今も漂っています。


新坂(権現坂、S坂)
本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。
森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。
旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近く観測楼に住んだ森鴎外の命名である。




日本医科大学病院
根津裏門坂
根津神社の裏門前を、根津の谷から本郷通りに上る坂道である。根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代家宣)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。
坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。『我輩は猫である』を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。


解剖坂
日本医科大学と同大学図書館の間にある坂です。名前の由来が想像されますが、さすがに、文京区教育委員会も標識にはできなかったのでしょう。


汐見坂
藪下通りという道にある坂です。このあたりは森鴎外や夏目漱石が住んだ地域だそうです。写真左の茂みの石垣の上に、下のように「汐見坂」と彫られた石の標識があります。


森鴎外記念館
森鴎外住居「観潮楼」址
団子坂
「団子坂」の由来は、坂近くに団子屋があったとか、悪路のため転ぶと団子のようになるからとも。坂上には、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が住んでいました。


(帰りは地下鉄千駄木駅から)
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『秀樹杉松』91巻2552号 18/2/14 #blog<hideki-sansho>192
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