秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

葉室麟『星火瞬く』を読む。幕末を舞台とした「革命家」たちの登場。シーボルト父子、バクーニン、清河八郎、小栗忠順、勝麟太郎、高杉晋作。~葉室麟、異色の歴史小説。

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                                              葉室麟『星火瞬く』(講談社、2011)

 

 これまで読んできた葉室麟の「時代小説」の感動とはやや異なるが、幕末の日本を舞台とした国際色豊かな「歴史小説として、面白く為になった。小説の「わたくし」役はシーボルトの息子で、語り手でもある。その意味では主人公はシーボルト親子ともいえるが、バクーニン清河八郎小栗忠順勝麟太郎高杉晋作らの「革命家」でしょう。

 因みに出版社のPRでは、次のようになっている。

 →

 その男が、幕末を動かした――

 清河八郎 小栗忠順 勝海舟 高杉晋作  動乱の地で会わなければならなかった日本の「革命家」とは、誰なのか? 時代小説の正統派が描く、まったく新しい幕末青春小説

 <異人斬り>が横行する幕末。全世界を相手にしたロシアの大革命家が、横浜の地に降り立った。妖しい光を放つその男に、日本の若き革命家たちは吸い寄せられていく。そして同時期、30年ぶりの来日を果たしたシーボルトと、息子アレクサンダーもまた、危険な革命家と出遭う。父から託された一挺のピストルを手に、アレクサンダーは決意する。わたしは、バクーニンと対決しなければならない! 作家・葉室麟がどうしても書きたかった時代、人物、物語がここにある。(講談社BOOK倶楽部)

  

<この小説の導入部分>(要約) 

→ 13歳の私アレクサンダー・シーボルトが、父親フィリップ・フランツ・シーボルトとともに日本へ向かうため、フランスのマルセイユからイベリア東洋汽船会社の船に乗り込んだのは、1859年父にとって日本への旅は二度目。父は1823年(文政6年)にオランダ商館の医師として日本に赴任し、1829年まで6年間にわたって滞在した。日本の動植物、地理、歴史などを研究する傍ら、塾を開いて多くの蘭医を育成した、しかし、帰国の際に日本の地図を持ち出そうとしたことが発覚して、関係者が処罰された。父自身も取り調べられ、再び日本に来ることを禁じられた。日本ではーシーボルト事件 と呼ばれているそうだ。

 →シーボルトは日本滞在中、日本人女性お滝さんを妻とし、イネという娘をもうけている。オランダに戻った父は、15年後に貴族の令嬢、へレーネ・イダ・フォン・ガーゲルンと結婚し、そして生まれたのが私だ。日本再訪は、父にとって日本研究を続けるために待ち望んだことであると同時に、わたしを伴い、日本に残した娘に会いに行く旅でもあった。

 

<幕末期に内外の多彩な人物がが登場>

 

ムラヴィヨフ(アムールスキー伯爵)

 ロシア皇帝アレクサンドル二世に極東での領土拡大を命じられ、ロシアの南下政策で辣腕を振るう。

バクーニン

 ロシアの流刑地から脱走してきたばかりの革命家。ドレスデン蜂起に失敗して捉えられたバクーニンは死刑を宣告され、身柄をロシア政府に引き渡された。ロシア政府はバクーニンを禁固刑とし、さらに6年後の1857年からシベリアに流刑した。そのバクーニンが、1848年革命から13年後、シベリアを脱出して日本に来た

 その後、アメリカのサンフランシスコについたバクーニンは、太平洋を渡ってロンドンへ向かった。その後、第一インターナショナルカール・マルクスと対立し、独自の国際革命組織作りに奔走し、無政府主義者としての名を高くした。

ウィルヘルム・ハイネ

 宮廷劇の俳優の子として生まれ、パリに留学して舞台装置や装飾画を学んだ。父親が音楽家リヒャルト・ワグナーの親友で、ワグナーの引き立てを受けていたらしい。ドイツの統一と自由を求めて決起した<ドレスデン蜂起>には、ワグナーやウィルヘルム・ハイネら多くの若き芸術家も参加したが、革命が過激化するとドレスデンを去った。(註:詩人のハインリッヒ・ハイネとは別人

ビリリョフ・・・ロシア艦長

スネル兄弟

 スネル商会エドワルドとヘンリイのスネル兄弟は、のちの戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に武器を売る<死の商人>となった。

オールコック・・・イギリス公使

ベルクール・・・フランス公使 

 

<幕末期の「革命家」ら>

 

清河八郎

 攘夷ローニン。「わたしはお前たちを、この国から叩き出す男だ。わしの名を覚えてもらおう」男は清河八郎と名乗った。清河八郎は横浜を去った後、九州を遊説して尊皇攘夷派を扇動した。一方で上洛する将軍警護のため浪士隊を結成するという奇策を打った。この浪士隊が新撰組となり、幕末の風雲を呼び起こす。

小栗忠順(豊後守)

 外国奉行。忠順は造船所を造る計画書を練り、3年後の元治元年(1864)から、勘定奉行として横須賀製鉄所の建設についてフランス公使と交渉、借款契約を成立させ、アジアでも最大の海軍工廠の建設に取り組んだ。

 慶応3年<大政奉還>が行われ、大坂から江戸に戻ってきた徳川慶喜強硬な交戦論を疎まれた小栗忠順は、勘定奉行を罷免された。知行所の上野国権田村に土着しようとしたが、官軍に捕らえられ斬首されるという悲劇的な最期を迎える。

勝麟太郎(海舟)

 咸臨丸艦長。「おいらは、幕府蛮書調所勝麟太郎というものだ。このホテルに泊まっているロシア人のことを知りたいのさ」。のちに軍艦操縦所教授方頭取、蕃書調所頭取。

高杉晋作

 毛利家世子定広の小姓役。幕府による長州征伐が迫る中、藩内で決起して恭順派の反政府を倒し、幕府との戦いに勝利をもたらしたのは高杉晋作だった。

  

<小説のエンディング>(要約)

 → 父はオランダ総領事ウィットとの確執が絡んで、幕府に解雇された。日本を愛し、尽くしたいと願っていた父は、かつて<シーボルト事件>によってその望みを果たせなかった。老年になって、ようやく願望がかなうと思った父は欣喜雀躍していた。だが、またしても父の思いは裏切られた。日本に二度まで裏切られ、夢を砕かれた父だったが、あくまで努力を怠らず、謙虚であれと諭し、希望を抱き続けることの重要さを語って惓まなかった。 

 →父はずっと甲板に立ったまま、大きく手を振り続けていた。それが永久の別れだった。父は5年後の1868年ミュンヘンで亡くなった。私たちは、あの日、横浜で別れてから二度と会うことはなかった。

 

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   『秀樹杉松91巻2555号/18.2.25   #blog<hideki-sansho>195

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