坂めぐり(33回=18-3-13=北区西ヶ原)~六石坂、牛蒡坂、道音坂、下瀬坂、熊野坂、大炊介坂、蝉坂。~不動院、ゲーテ記念館(阿刀田高)、旧古河庭園、東京外語大跡地、平塚神社、平塚亭(内田康夫/浅見光彦) 、駒込染井銀座「染井桜開花まつり」、西ヶ原一里塚。
東京北区も坂が多い。4回目の今日は西が丘に行ってきました。ご覧下さい。坂歩きだけでなく、色々面白いことに遭遇しました。坂めぐりの真価は、実はこういうことにあると思います。「坂道」に関心ない方でも、参考になると思います。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹
(地下鉄西ヶ原駅下車)
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西ヶ原一里塚
国指定文化財(史跡)。大正11年3月8日指定。西ヶ原一里塚は、江戸の日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚で、徳川時代に設置されたままの旧位置を留めている。23区内には18カ所あったといわれるが、当時の位置を保っているのは西ヶ原一里塚と板橋区の志村一里塚の二つだけで、都内では大変貴重なもの。大正時代に道路改修工事にともない撤去されそうになったが、渋沢栄一ら地元住民の運動によって塚の保存に成功。
<一里塚>
一里塚(いちりづか)は、旅行者の目安として、大きな道路(街道)の側に一里(約3.927km)毎に設置した塚(土盛り)である。塚の側に桧などの木を植えたり標識を立てたりしていた。日本では、平安時代末期に奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初といわれている。室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥途の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」と詠んでいる。(Wikipedia)
六石坂(ろっこくざか)
本郷通りにあり、飛鳥山公園の横を登る坂。坂名は、坂上に租六石を納める水田があったことから。
阿刀田高の名作『ナポレオン狂』(第81回直木賞)のモデルは、ゲーテ記念館といわれる。阿刀田氏は私の知人です。
熊野坂
東京北区西ケ原にある真言宗豊山派の寺院。昔は境内に熊野神社があった。
道音坂(どういんざか)
道音坂は、旧西ヶ原・滝野川の村境に沿った坂道でした。坂名は道音塚があったことによる。道は浅草道と呼ばれ、本郷と上野の二つの台地を結ぶ道で、中世は鎌倉街道だったと伝えられる古道。
牛蒡坂(ごぼうざか)
都電飛鳥山電停南方の逆川跡から道音坂坂上の鎌倉街道へ登る急坂で、その名は滝野川村の、滝野川牛蒡によるもので、この辺りは牛蒡・人参の生産が盛んであった。
東京外語大西ヶ原キャンパス跡地
西ヶ原みんなの公園
外語大跡地に造られた。
飛鳥晴山苑 / 下瀬の小径
外語大跡地にできた。やはり、下瀬は地名ですね。
下瀬坂(しもせざか)
特養ホーム(東京外国語大学跡地)の南側に沿って上る坂。坂名は、明治時代に設けられてた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。ここには、江戸時代に幕府の薬園があった。
火薬製造所は戦前に舞鶴に移転し、その跡地に外語大が移ってきた。
下瀬坂から大炊介坂に移るために、北区西ヶ原から隣接する豊島区駒込に立ち入ったら、そこは「染井吉野」の発祥の地といわれる駒込染井銀座でした。坂巡りではたまに近道を通ったりしますが、今日はそれが予期せぬいい結果をもたらしました。
東京の桜開花が10日後に予想されていますが、写真のように早くも準備されていました。今日のハイライトといってもいいでしょう。
大炊介坂(おおいのすけざか)
坂の名は、この辺りに住んでいた中世の武将保坂大炊介に因む。坂上の平塚神社にちなんで宮坂とも、樹木に覆われていたので暗闇坂とも呼ばれた。この道は岩槻街道で、江戸時代には将軍の日光東照宮社参行列が通ったため日光御成道と呼ばれたが、現在は本郷通りと呼ばれている。この大炊介坂を挟んで、西側に旧「旧古河庭園」、東側に滝野川小学校がる。
東京都北区にある都立庭園。1919年年(大正8年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形 (洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されており、東京のバラの名所として親しまれている。
内田康夫の小説によく出てくる。あの、浅見光彦シリーズの主人公「浅見光彦」は近くに住んでいる。
内田康夫氏の旧居がこの近くだったようです。私は内田康夫氏と「浅見光彦」が大好きです。
病気のために休筆した『孤道』は、他の人による完結ということになっているが、出版は未だでしょうか?平塚亭には「第16回北区内田康夫ミステリー文学賞」の授賞式は3月17日、のポスターが貼ってありました。
平塚亭には、内田康夫のサインと、浅見光彦一家の写真が掲げてありました。浅見光彦がよく食するという団子を、私も昼食がわりにいっぱいいただきました。
平塚神社
東京都北区上中里にある神社。中世の豪族・豊島氏に縁のある地で、かつては豊島氏の館があり、源義家が奥州征伐から凱旋したときにこの館に滞在し、その礼に鎧と守り本尊の十一面観音像を譲ったといわれる。祀られているのは、源義家、源義綱、源義光。 北区立滝野川小学校の「滝小音頭」の歌詞に登場するとか。
蝉坂
上中里駅から平塚神社の沿道に沿って登る坂。『東京府史料』では「或いは云う、攻坂の転訛なりと」と、室町時代の平塚城を巡る合戦を彷彿させるような坂名の由来が記されている。
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JR上中里駅 ……………………………………………………………………………………
『秀樹杉松』92巻2566号 18-3-13 # blog<hideki-sansho> 206
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