秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(37回 =2018.5.13、大田区)~洗足坂、夫婦坂、貝塚坂、庄屋坂、鸛の巣坂、稲荷坂、蝉坂、大久保坂、猿坂、相生坂。~洗足池、池月橋、名馬池月の像、弁財天、西郷隆盛(南洲)留魂祠、徳富蘇峰詩碑、勝海舟夫妻墓、小池公園、玉倉稲荷、大森六中。


 今日は前回に続き、東京大田区千束、上池台方面へ行ってきました。洗足坂、夫婦坂、相生坂などの10坂を巡り歩きました。坂道とは別に、今日のコースには、洗足池公園、小池公園も含まれたが、この二つの池は大池、小池と称される由緒ある池です。

 下調べの段階で判明したのですが、洗足池公園には西郷隆盛勝海舟関係の遺跡がいくつかありました。西郷隆盛(南洲)留魂祠など、幕末での二人の功績を記念するもので、勝海舟夫妻の墓もありました。 / Atelier秀樹

 本号は二部構成とします。

 第一部 = 坂道歩き

 第二部 = 洗足公園、小池公園

 

 第一部

<坂歩きの部>

 

東急池上線「洗足池」下車

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洗足坂(せんぞくざか)

 この道(中原街道)は、江戸から平塚の中原に通ずる街道で、江戸期には、東海道脇往還としてさかんに利用された。明治期以後も産業の発達に伴い、東京への物資の輸送路として大きな役割を果たした。しかし、このあたりは坂が多く、重い荷車は難儀をした。昔の洗足坂は道幅も狭く、現在の坂より短い急な坂であった。大正十二年になると道路が改修されて、ゆるやかな坂となり、その後さらに拡幅されて現在の道路となった。

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夫婦坂(めおとざか)

 この坂は、北馬込一丁目品川境から、環七通りを挟んで上池台四丁目地先に連なる坂で、その向い合うさまを夫婦にたとえてよぶようになったといわれている。

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貝塚

 坂名の由来となった馬込貝塚を、『大森区史』は「馬込の根方に貝塚というのがある。石器時代の器物や矢の根石などがよく掘り出されたといっている。今もなお好事家の尋ねて来るものが少なくない」と記している。

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庄屋坂

 坂の付近に、昔から庄屋の家があったと伝えられることから、この名がついたといわれる。

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鸛の巣坂(こうのすざか)

 鸛(こうのとりの巣があったということから、この付近を鸛の巣山と呼んでいた。坂名は、それに由来する。また坂下に今でも残る水路は、鸛の巣流れといわれている。

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蝉坂(せみざか)

 この坂の付近一帯を、もとは蝉山といっていた。坂名の由来はこれによったらしい。付近に蝉山橋もある。

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大久保坂

 昭和初年の耕地整理によって出来た坂道で、坂の名は、昔、大久保氏の屋敷跡であったということに由来するという。

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稲荷坂(上池台5丁目)

 玉倉稲荷は、稲荷坂とは坂上からでも100mほど離れています。

稲荷坂大田区内にあと二つ(北千束2丁目・石川町1丁目)ある。

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玉倉稲荷神社(大明神)

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猿坂

『新編武蔵風土記稿』の林昌寺の項に、「境内墓所の側に坂あり、猿坂と呼、昔山林茂りて猿多く住せし故是名あり」と記されている。おそらく、古くから知られた坂道であろう。

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相生坂(あいおいざか)

 新幹線を挟んで両側に、二つの坂が並んでいるところから、この坂を相生坂という。昭和初年耕地整理により出来た坂である。

(新幹線を挟んで並行する二つの坂の写真を撮ってきました。)

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          新幹線の北側(上池台5丁目) ↑

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                                    新幹線の南側(仲池上1丁目)↑

 

 

 第二部

<洗足公園、小池公園の部>

 

<洗足池>

名の由来

 この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。由来としては仏教用語千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であって、千束の貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがある。

 のちに、身延山久遠寺から常陸湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。

 日蓮袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」(3代目)も残っている。池の北側の中島には弁才天が祀られている。(Wikipedia)

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水源

 湧水池であり、流れ込むはないが、付近一帯には農家が作物の洗い場として利用していた大小の湧水が多くあり、用水路を通して池に流れ込んでいた。洗足池の主要水源となる湧水は4か所あったとされ、現在は水窪弁財天大田区北千束1-26)の涌水が残っている。今も水量が豊富で、浸透管を用いて洗足池に流れている

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   洗足池へ流れ入る寸前の水流。大きな鯉が何匹も泳いでいました。

 

下流

 洗足池を出た水は洗足流れとなり、最後には呑川へと合流する。かつては農業用水として利用されたが、現在は住民の憩いの場となっている。

 

<洗足池公園>

 北千束水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池のある公園です。江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残しています。春はサクラでにぎわい、秋には紅葉を満喫することができます。生物に目を向ければ、冬は渡り鳥の楽園となり、夏には水辺を飛び交うトンボなどの姿も見られます。散策スポットとしては、池月橋、水生植物園のほか、歴史を伝えるものとして勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。また、ボートもあります。(大田区HP)

 

 洗足池を含む一帯は大田区立洗足池公園となっている。池月橋、水生植物園やボート乗り場がある。都内有数のの名所としても知られ、には賑わいを見せる。また、池の東南のほとりに大田区立洗足池図書館がある。公園内はバリアフリー化が計画され、継続した取組みが進められている。(wikipedia

 

池月橋(いけつきばし)

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千束八幡神社(せんぞくはちまんじんじゃ)

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名馬 池月の像

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弁財天(べんざいてん)

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水生植物園

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西郷隆盛(南洲)留魂祠>

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西郷隆盛(南洲)留魂詩碑

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南洲先生建碑碑

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 勝海舟夫妻墓所大田区指定史跡)

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勝海舟夫妻の墓>

 かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区文化財に指定されている。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城西郷隆盛に直談判するため、官軍薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。

 勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。(Wikipedia

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向かって右が勝海舟、左が勝海舟室(奥方)。仲良く並んで眠っておられます。 

 

徳富蘇峰の詩碑>

1937年昭和12年)に勝海舟西郷隆盛江戸城無血開城の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑が青木藤作ら九人の人々によって建立された。

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<大森六中>

 幕末・維新の功労者、勝海舟の別荘跡地に建てられた中学校。平成23年度には、ユネスコスクールに加盟。

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<洗足小池>

 洗足池の南東、池上線の南側には「小池」と呼ばれるもう1つの池があり、公園として利用されている。これに対して洗足池を「大池」とも呼ぶ。

  <小池公園>(上池台1丁目)

 かつては洗足池の大池に対して、小池(上池台)と呼ばれていた溜池の雰囲気を復元した公園 です。水辺環境を活かし、身近な生き物との共生をテーマに整備しており、季節により野鳥の子育ての様子、サギ、カワセミ、などが見られます。 親水 ( しんすい ) デッキを周遊すれば、四季の野草、小魚の泳ぐ姿、夏にはトンボの飛び交う場面、などが見られます。

 小池は洗足池とともに、古くは灌漑用水として利用されていた。昭和4年の行政整理によって池の一部が埋め立てられたが、昭和9年に釣堀として開業した。平成16年に釣堀は営業を終了し、現在は池を中心とする親水性豊かな小池公園となっている。(大田区HP)

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満開の花!

 連休を待たず、ツツジはどこも満開でした。  

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4時間あまりの充実した「坂めぐり」を終えて、都営浅草線西馬込駅から帰宅の途につきました。

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     『秀樹杉松』93巻2589号  2018-4-13,  # blog <hideki-sansho> 229

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