秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(41回=2018-4-26=墨田区 東京スカイツリー)~ソラミ坂、ハナミ坂、地蔵坂。~スカイツリー、第一寺島小、隅田川高。

 <坂めぐり>もあと1回ぐらいで止めようか、と前回書きましたが、もう少し続けることにしました。整理してみたら、全然行っていない区もあるので、規模を縮小して落ち穂拾いすることにしました。

 手始めの今日は、墨田区向島の「東京スカイライン」へ行き、構内に設置された階段坂(ソラミ坂・ハナミ坂)を見てきました。坂といえば普通は道路な訳ですが、4年前にできたばかりのスカイツリーの外側を、東側と西側から登る階段(東側:120段、西側:110段)が設置され、ソラミ坂、ハナミ坂という名前がつけられたのです。ついでに、すぐ近くの東向島の「地蔵坂」にも行ってきました。 

 実は、坂学会/東京23区の坂(sakagakkai.org)によれば、墨田区には今日行ってきた3つの坂しかありません。当然のことですが、坂は海に近い下町地域には少なく、山の手地域に多いわけです。坂学会のリストを見ても、江戸川区・葛飾区・中央区は坂ゼロで、足立区2・江東区2・墨田区です。反対に港区130、文京区127、新宿区114と、区によって大きな格差があります。

)坂とは、もちろん、「名前のついた坂」のことです。名無しの坂は、いくらでもあるのですが。

 坂めぐりをもう少し続けようと翻意したのは、坂がゼロの区はともかく、極端に少ない足立区2・江東区2、墨田区3は是非行きたいし、杉並区・中野区等にも確かまだ行ってないので、そのうちに足を運びたいと考えたからです。

 これまでは1日(1回)に10坂以上巡ったりしましたが、残っているのはあちこちに散発的に存在する坂ですので、今日の「3坂めぐり」みたいに戦線を縮小します。これまでは3時間~4時間かけましたが、これからは2時間以内に終わらせ、”歩き過ぎない”よう配慮します。    / Atelier秀樹

 

<今日の坂めぐりのコースと写真>

 

スカイツリー

f:id:hideki-sansho:20180426183157j:plain

 

<ソラミ坂>

 墨田区押上1丁目。東京スカイツリーの東側(イーストタワー側)からイーストタワーの4階レベルまで上る,合計約120段の階段。横に並行してエスカレータが併設されている。傾斜:急坂(高低差13m,平均斜度8度)。形態:複雑に曲がりながら,途中に踊り場や広場を挟んで7つに分かれる階段。坂下に黒い石の標識が建っている。由来:東京スカイツリーの下はビルの4階の高さの人工地盤になっていて,ここに展望台への入口ゲートがある。東(ソラミ坂)と西(ハナミ坂)から階段(+エスカレータ)で上る。命名時期:2012年。

f:id:hideki-sansho:20180426183337j:plain

f:id:hideki-sansho:20180426184103j:plain
f:id:hideki-sansho:20180426184125j:plain

 

<ハナミ坂>

 墨田区押上1丁目。東京スカイツリーの西側(すみだ水族館側)からウェストヤードの4階レベルまで上る,合計約110段の階段。横に並行してエスカレータが併設されている。坂の方向:湾曲しながら東に向って上り。長さ:70m。傾斜:急坂(高低差14m,平均斜度11度)。形態:左に曲がりながら上る。途中に踊り場を挟んで8つに分かれる階段。標識:坂下のハナミ坂広場に建つ黒い背の高い柱に坂名が書かれている。由来・命名時期は、上記「ソラミ坂」に同じ。

f:id:hideki-sansho:20180426183505j:plain

f:id:hideki-sansho:20180426184616j:plain
f:id:hideki-sansho:20180426184553j:plain

 

<地蔵坂>

 墨田区東向島1丁目と3丁目の間。

 首都高6号線の墨堤通りへの出口から見て正面に,子育地蔵尊の小さな祠がある。この前から南東に“地蔵坂通り”商店街が延びている。

 坂の標識はないが,坂上の子育地蔵堂の説明板に,地蔵坂の説明が書かれている。

f:id:hideki-sansho:20180426183648j:plain

f:id:hideki-sansho:20180426183711j:plain
f:id:hideki-sansho:20180426183736j:plain

 

子育地蔵堂  所在 墨田区東向島三丁目二番一号

 この御堂に祀られている子育地蔵は.文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたと伝えられています。初めは村の子供たちが,神輿がわりにこの地蔵をかついでいたそうです。

 この地蔵には,次のような伝承があります。ある日,この地に古くから住む木屋平方に雇われていた夫婦が川沿いの田地で殺害される事件がおきました。犯人はすぐにはわかりませんでしたが,この地蔵が村の子どもの口をかりて犯人を告げたのだとか。そこで平作は,この所に地蔵を安置して朝夕に供養するようになりました。

 その後,天保三年(1832)四月に十一代将軍徳川家斉が鷹狩に来て平作宅にて休憩した際,地蔵の由来を聞いて参拝しました。平作が,このことを記念して御堂を建てて地蔵を安置すると,人々はこぞって 参詣しました。出産・眼病その他諸病の平癒開運を祈ると霊験が現れたそうです。当時は平作地蔵あるいは塩地蔵,また子育地蔵と様々な名前で呼ばれました。

 御堂前の坂は,明治四十四年(1911),堤防修築の土盛り以降,現在まで「地蔵坂」の名で親しまれています。

 昭和八年(1933)に建てられた由来碑と御堂建立百年御忌供養塔は,地元出身の書家,西川寧(やすし)(文化勲章受章者)が揮毫したものです。

     平成二十三年八月

              墨田区教育委員会

 明治44年隅田川の堤防(現在の墨堤通り)を盛土した際にできた坂坂上の子育地蔵堂にちなんだ坂名。その後の道路改修によって、坂の傾斜はほとんど無くなり、通りの名前(地蔵坂通り)として残っている。

  

<第一寺島小学校>

   東向島三丁目。地蔵坂(地蔵坂通り)の東側。

f:id:hideki-sansho:20180501075407j:plain

 

隅田川高校>

 東向島一丁目。地蔵坂の西側。

f:id:hideki-sansho:20180501075550j:plain

 

<註>ソラミ坂・ハナミ坂・地蔵坂の解説は、坂学会/東京23区の坂(sakagakkai.org)に拠りました。

       ……………………………………………………………………………………

           『秀樹杉松』93巻2594号  2018-4-26,  #blog<hideki-sansho>234

         ……………………………………………………………………………………