秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(42回=2018/4/28-29=杉並区和泉・堀ノ内・松ノ木・永福)。~大聖寺坂・佐内坂・山王坂・いの坂・番屋坂・尻割坂・本村坂・地蔵坂・法印坂・永泉寺坂。~堀ノ内熊野神社・地蔵堂・神田川・善福寺川・善福寺川鯉のぼり・済美養護学校・大宮橋・宮下橋・一本橋・番屋橋・永高橋・永福橋・和田堀公園・和田堀池・大宮八幡宮・大宮馬頭観音(祭馬塔)・八幡太郎義家鞍懸の松・貴船神社・和泉熊野神社・和泉村地蔵堂墓地・神田川の鯉・玉川上水永泉寺緑地 etc.

 地図で見る限り、東京杉並区には坂(名前のついた坂)が無いようなので、坂めぐりの対象外にしていました。だが杉並区は思い出の多い区なので、念のため「坂学会/東京23区の坂(sakagakkai.org)」にアクセスしたら、ちゃんとありました。

 そこで早速に杉並区の和泉界隈の坂めぐりを思いつき、4月28~29日に出かけました。4月のブログ写真容量が満杯なので、月替りの今日(5月1日)に二日分をまとめて写真入りで投稿します。二日かけてじっくり歩き、坂数は10でしたが、それ以上の坂近辺の旧跡・名所などの写真もたくさん撮ってきました。解説文にも力が入りました。大げさにいえば、”総力結集編”です。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹

 

大聖寺(だいしょうじざか)

 杉並区堀の内1丁目。大宮小学校の正門前を通る坂。この坂を上りきると方南通りに出る。標識なし。大宮小学校のある場所にもと大正寺があったが、この寺の本尊が大聖不動明王と称した事に因む。また八幡太郎義家が奥州で大勝利を得て帰りに通った坂だから大勝利坂といったとの説もある。昔は追剥が出たところと伝えられている。(sakagakkai.org)

 前記大正寺山の西側の坂、一説に八幡太郎が奥州で大勝利を得て帰りに通った坂だから、大勝寺坂というと聞いた。『杉並の通称地名』を読むと、由来について「大正寺」と「大聖寺」は地元の古老からの話、一方「大勝寺」はやや離れた土地に居住する郷土史家が子供の頃耳にした話であることが載っています。大正寺が不動明王を本尊としていたと伝えるのを見ると、大聖不動明王と称しているから、文字はこちらの大聖寺の方が当たっているか。(tokyosanpo.my.coocan.jp)

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だいしょうじ公園

 杉並区堀ノ内1丁目27番40号。 開園年月日: 昭和43年10月1日。 面積: 6,520.63平方メートル。 その他. トイレ有り、誰でもトイレ有り、流れ有り。 善福寺川沿いの南側に位置し、イチョウ並木やスダジイなどの大木が生い茂った自然豊かな公園です。善福寺川の護岸整備に伴い、公園も整備し、河川の親水護岸と一体的な公園として平成25年度にリニューアルオープンしました (杉並区公式HP)。(註)大聖寺坂のすぐ近くです。

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堀ノ内熊野神社

 杉並区堀ノ内二丁目。当社は旧堀之内村の鎮守で、大屋津姫命五十猛命・抓津姫命の3柱が祀られています。社伝によれば当社は文永4年(1267)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまり、室町時代北条氏綱が上杉頼興を破り、江戸を攻略した際社殿を修築し祝祭を行い、江戸時代の寛永11年(1634)にさらに修繕を加えたと伝えられています。 別当は村内の妙法寺明治維新までつとめていました。(杉並区公式HP)

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地蔵坂

 杉並区堀の内2丁目。標識なし。坂上に地蔵堂があり、地蔵尊が祀られていることに由来。

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地蔵堂

 杉並区堀ノ内2-8-10。 庚申塔のほか地蔵菩薩馬頭観音などが祀られています。

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左内坂

 堀ノ内3丁目8と13の間にある坂道です。坂の東側に面して左内坂教会があります。(tokyosaka.sakura)

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善福寺川

 善福寺川(ぜんぷくじがわ)は、東京都を流れる荒川水系神田川支流の一級河川である。杉並区善福寺公園内にある善福寺池に源を発する。杉並区を北西から南東に貫くように流れ、中野区地下鉄丸ノ内線中野富士見町駅中野検車区)付近で神田川合流する。中流の川沿いには都立善福寺川緑地と都立和田堀公園が全長約4.2 kmに渡り整備されている。(wikipedia

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善福寺川鯉のぼり

 毎年4月末~5月初、済美養護学校側の善福寺川に鯉のぼりが掛けられる。

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済美養護学校(せいびようごがっこう)

 杉並区立。善福寺川がすぐ側を流れています。

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和田堀公園 済美山運動場

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大宮橋

 大宮一丁目から和田堀公園への入り口。善福寺川に架かる橋。

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山王坂

 杉並区松ノ木1丁目。松ノ木1丁目の松ノ木遺跡近くの松ノ木運動場の東側。標識なし。この台地に山王社の小祠があった事に由来する。

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和田堀公園 陸上競技

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和田堀公園野球場(=和田堀第六号調節池)

 杉並区大宮1丁目6番。台風やゲリラ豪雨など、善福寺川増水時用の調節池は、普段は野球場として使用されている。

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和田堀公園

 東京都杉並区に所在する都立公園である。善福寺川に沿う形で広がっており、東京23区内では数少ない、閑静かつ広大な緑地帯により形成された公園である。住民の憩いの場としてはもちろん、遠方からの来訪者も多い。春にはの名所として多くの来訪者が訪れる。(Wikipedia

 白山前橋から下流済美橋まで12の橋にまたがる公園。(fourthquare.com)

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和田堀池

 和田堀池には、都心では珍しい水鳥のカワセミが生息しています。都市化の進展で姿を消していたのが、数年前に再び戻ってきたもの。和田堀公園の周辺には、巣作りに欠かせない赤土の崖があり、池にはエサのクチボソ、タナゴといった小魚がたくさんいるうえ、中島の茂みや水生植物のガマなど、身をかくす所が多いためでしょう。済美山地区にある自然林が、バードサンクチュアリになっています。クヌギ、コナラを中心とする雑木林では、四季を通じて色々な種類の野鳥が観察できます。(tokyo-park.jp)

 

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宮下橋

 大宮八幡宮の東、善福寺川にかかる。和田堀公園と大宮八幡をつなぐ橋。

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大宮八幡宮

 大宮八幡宮(おおみや はちまんぐう)は、日本南関東東京都杉並区大宮に所在する神社である。明治時代以降は大宮八幡神社と呼ばれていたが、1981年(昭和56年)に「大宮八幡宮」に改められた。源頼義により建立された。武蔵国三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は約15,000と都内でも3番目の広さを持つ。子育て・安産に特に御利益があるとされ、遠方からも多数の参拝客が訪れる。東京のほぼ中央に位置するため「東京のへそ」という異名も持つ。

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大宮馬頭観音

 大宮八幡宮参道と荒玉水道の通りの小さな交差点に「祭馬塔」があります。

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馬頭観音

 観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。忿怒相をもち,人身で,頭が馬のものと,馬の頭飾りを戴くものとがあり,馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされる。しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰され,3面8臂,4面8臂などのものもある。(コトバンク

 

八幡太郎義家公鞍懸の松

 この前の道は、大宮八幡宮の参道です。参道に面して、「鞍掛けの松(鞍掛の松)」があります。この松の名称は、平安時代の武将・源義家(1039~1106)が、奥州遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けた、という伝承に由来します。この伝承は、『江戸名所図会』(江戸時代の地誌)にも紹介されています。松そのものは代替りしていますが、こうした伝承が地元に長く語り伝えられてきたことは、この地の歴史の古さを物語るものといえます。(平成14年(2002)3月 杉並区教育委員会

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いの坂

 杉並区和泉3丁目。神田川に架かる一本橋の北から大円寺南東角付近まで。標識なし。この台地に山王社の小祠があった事に由来する。和泉3丁目52にある徳川・島津家とも縁のある格の高い大円寺にまで続いていた坂であったらしいが,今は途中から平坦。

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神田川

 神田川(かんだがわ)は、東京都を流れる一級河川荒川水系の支流である。フォークグループかぐや姫の楽曲(神田川になっていることでも有名である。

 東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区中央区墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km2と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。(ja.wikipedia.jp)

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 一本橋

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番屋橋

 和泉四丁目。近くに番小屋があったらしい。

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番屋坂

 杉並区和泉3丁目。神田川の番屋橋から西に上ると,左手に貴船神社が見える。神社の北側に接する坂。標識なし。坂下に番屋橋があるところから、ある時期番小屋があった事に由来していると思われる。

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番屋

 江戸時代に消防、自警団の役割をしていた自身番の詰所のこと。木戸番や火の見櫓を併設していることが多く江戸や大坂、京都などの大都市、地方の城下町で見られた。自身番は地元住民が交代で役割を担っていたことから、現在も地域の安全の拠点となる消防団の詰所や公民館として跡地が残る場所が多い。交番の元祖とも言える施設。(Wikipedia

 

番小屋

 【デジタル大辞泉】1 見張りの番人がいる小屋。2 江戸時代、江戸の町の自身番の詰め所。各町の町人が、交代で夜番をした。番屋。(コトバンク

 

貴船神社(きふねじんじゃ)

 当社は和泉熊野神社の境外末社です。当社はこの水を支配し豊饒を約束する神として信仰されていた、山城国(現京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝えられています。境内の池は“御手洗の小池”と呼ばれ、かつてはいかなる干天にも涸渇することがなく、村民の雨乞を行う場所であり、その豊富な湧水から“和泉”の地名は、この池に由来するともいわれています。(杉並区HP)

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尻割坂(けつはりざか)

 杉並区和泉3丁目。和泉二丁目公園から神田川を越えた西側,熊野神社より1ブロック北の道。標識なし。急坂なので力を入れて登り降りすることから、腰の筋が張るという意味の「けつはり」に由来する。

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和泉熊野神社

 杉並区和泉三丁目。文永4年(1267年)に紀州熊野神社の分霊を祀ったのが当神社の創建である。弘安7年(1284年)に社殿を修造し、その後北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも社殿を修めたと伝えられる。江戸時代には寛永16年(1639年)と元禄9年(1696年)の両度にわたって社殿の改修をおこなった。(Wikipedia

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眼福

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本村坂(ほんむらざか)

 杉並区和泉3丁目。井の頭通りと京王井の頭線の間。標識なし。旧字本村にあった梅田家(もと名主をつとめ、屋号を本村といった)の脇の坂であったことに因む。

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地蔵坂

 杉並区和泉2丁目。神田川蔵下橋をわたり京王井の頭線沿いに南東に約80m歩くと坂が始まる。標識なし。この坂を上ったところに“地蔵堂墓地”と書かれた石碑がたっている。(長い曲がりくねった坂でした)

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泉村地蔵堂墓地

「杉並の通称地名」(杉並区教育委員会)で、地蔵堂(和泉二ー一○、一一、一三)の項の説明の中に、「共同墓地入口前の屈曲した坂道が地蔵坂と現在も呼ばれている。」と書かれています。坂の中ほどの脇に「泉村地蔵堂墓地」があります。(tokyosaka.sakura.ne.jp)

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法印坂(ほういんざか)

 杉並区永福1丁目。神田川永高橋から約50メートル程ほど 神田川に沿って北東に歩き,左折すると民家の中から坂が見える。標識なし。永福1丁目34に日照寺という法印住職のいた真言があったことに由来する。

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神田川の鯉

 見事な鯉が、淀みに集まっていました。

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栄高橋

 1978年開校の都立永福高校が79年12月に大泉高校仮校舎から新校舎に移転。その時に正門前の神田川にかけられたのが永高橋。都立高校の統廃合・再編計画で旧永福高等学校と旧桜水商業高等学校を併合し、2004年4月に都立杉並総合高校が誕生した。(永福高校は四半世紀の短い歴史に終わったが、永高橋に名残をとどめている)

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永福学園

 永福高校の跡地に永福学園が設置された。

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永福橋

 永福通が神田川にかかる橋。

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永泉寺坂

 杉並区永福1丁目と下高井戸2丁目の間。永福通りの神田川にかかる永福橋を渡り、100mほど南の右側に杉並消防署永福出張所がある。その前を上る坂。標識なし。この坂を上った左手に永泉寺緑地公園がある。

 昔永泉寺がここにあり、後に永昌寺と合併した。そこで永昌寺と龍泉寺との間の坂をこの名で呼ぶ。(tokyosaka.sakura)

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杉並消防署永福出張所

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玉川上水 永泉寺緑地

 玉川上水は、江戸時代に江戸の町に飲料水を供給するためにつくられた上水路で、現在は一部が暗渠となって杉並区内を通っています。その暗渠の上に東京都水道局から借地してつくられた3つの公園と1つの緑地があります。下流から玉川上水公園玉川上水永泉寺緑地玉川上水第三公園玉川上水第二公園の順に並んでおり、その全長は約2,000メートルにもおよびます。

 玉川上水公園から少し西に下ったところにあるのが玉川上水永泉寺緑地です。樹木の濃い敷地は起伏に富んでいます。これに続いて玉川上水第三公園になります。(杉並区公式HP)

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永昌寺

 曹洞宗天長山永昌寺といい、本尊は釈迦如来座像です。明治43年、寺院の維持発展のため、現下高井戸二丁目にあった同宗永泉寺を合併し、当所へ移転した。(永泉寺坂の坂名はこの合併前の永泉寺に因む)。 

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 <>坂名に関する解説は、特に記入ある場合を除き、全てsakagakkai.org(坂学会/東京23区の坂)に依拠しています。

 

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          『秀樹杉松』93巻2595号 2018-5-1,  #blog<hideki-sansho>235

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