今日の<坂めぐり/落穂拾い第5回 (通算55回)は、世田谷区岡本・瀬田の8坂へ行ってきました。この8坂のうち、私の地図帳に坂名が記載されているのは「馬坂」のみ。そのため「落穂拾い」となりましたが、谷戸坂と無名坂(仲代達矢の無名塾前)を除く6坂は「国分寺崖線」で、どれも堂々とした一流の坂ばかりです。
久しぶりで本格的な一流の急坂めぐりを堪能しました。スマホの歩行記録も2万歩を超えています。
今日のハイライトは、無名坂と無名塾でした。仲代達矢の無名塾に初めて行きました。「無名坂」は坂名の無い坂ではなく、無名塾にちなんだ坂名でした。写真をとってきましたので、どうぞご覧ください。
過般の「川歩き」でも取り上げましたが、今回も治大夫橋(治太夫橋)のことに詳しく言及しました。 / Atelier秀樹
谷戸川(やとがわ)、四之橋(しのはし)
「川歩き」以来の再会。
①谷戸坂(やとざか)(#522)
坂下住所:世田谷区岡本1丁目30と34間、坂上住所:世田谷区岡本1丁目31と32間。谷戸川の四之橋から、東北東方向の東名高速へ上る坂。標識なし。由来他:岡本は坂が多く、静嘉堂から玉川病院に行く坂―馬坂、四の橋から東名に向かう坂―谷戸坂、・・・・・・とある。「ふるさと世田谷を語る 第十五集 大蔵・鎌田・岡本・宇奈根・砧編」より。参考文献:ふるさと世田谷を語る 世田谷区生活文化部文化・交流課 平成11年2月1日 発行
②岡本三丁目坂(#523)
世田谷区岡本3丁目。仙川に架かる“西谷戸橋”から東北東に向かって“岡本三丁目”交差点に向かう急坂(国分寺崖線)。車で降りようとすると,まるで落下するかのような急な坂道。坂の上からの眺めは絶景。晴れた日には富士山が見える。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)。
標識なし。坂上に 国土交通省が設置した「関東の富士見100景」という石碑がある。ここに「地点名:東京富士見」とあるが,これは“東京にある富士山の見える坂”全般を指す名称として使われているようだが,非常にまぎらわしい。実際“岡本三丁目の坂”の正式な名前は“東京富士見坂”だと思ってしまう人がいるようで,困ったことである。
参考文献:「世田谷 国分寺崖線散策マップ」 せたがやトラスト協会 平成12年
<編註>地元の人と話したら、「坂名は知らないが、富士山がよく見える坂だよ」と教えてくれました。今日は曇天で富士山は見えなかったが、「関東の富士見百景」の看板が出ていました。
仙川と西谷戸橋
やはり「川歩き」以来の再会。
水神橋と丸子川
川歩きを思い出しました。丸子川も撮ってきましたが、ブログへのアップに失敗しました。(どういう訳か、時々あって困りますね)
③堂ヶ谷戸坂(どうやがとざか)(#524)
世田谷区岡本2丁目と3丁目の間 (国分寺崖線)。アルジェリア大使館の西脇から国分寺が緯線を下り,坂下は堂ヶ谷戸橋まで。標識なし。坂名の由来は明確でない。谷戸というのは崖地の入り込んだところで,堂ヶ谷は文献のうえで“西の方にある”と解説しているが,今のどの谷をいっているのかわからない。(「東京の坂風情」より)。
参考文献:「東京の坂風情」道家剛三郎 東京図書出版会 2001年
丸子川親水公園
丸子川は「親水公園」となっています。
岡本公園
この先が急な八幡女坂で、登り切った左側に岡本八幡神社がありました。
④八幡女坂(はちまんおんなざか)(#525)
世田谷区岡本2丁目。“岡本公園民家園”と“静嘉堂文庫”の間の八幡橋を渡って,崖線を上る階段。坂上は静嘉堂文庫の裏口に通じるが,途中で西に折れて岡本八幡神社に上る階段坂 (国分寺崖線)。標識:坂の左手前(岡本八幡神社の正面参道手前)に「右・おんな坂」と刻まれた石碑が建っている。由来他:静嘉堂の裏門に続く切通しのような坂道。登りきると,崖線の上の道にも出られる。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)。岡本八幡神社の正面石段を男坂として,こちらの傾斜の緩い坂を女坂と呼んだのだろう。
岡本民家園(世田谷区立)
岡本公園民家園 旧長崎家主屋。昭和55年12月に開園した岡本公園民家園には、区の有形文化財第1号に指定された旧長崎家住宅主屋と、土蔵1棟、椀木(うでぎ)門を復原し、江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現しています。東京都世田谷区岡本2-19-1。(city.setagaya.lg.jp)
静嘉堂文庫 /美術館(せいかどう)
静嘉堂文庫は、和漢の古典籍を保存し、永く後世に伝えることを使命として活動している専門図書館です。静嘉堂美術館は、岩﨑彌之助(1851~1908 彌太郎の弟、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵しています。(seikado.org.jp)
岡本八幡神社
岡本静嘉堂緑地
聖ドミニコ学院
⑤無名坂(むめいざか)(#526)
世田谷区岡本1丁目。岡本静嘉堂の北側の“やのはし”バス停附近から北に分岐する道を入ると,北東に上る 急な坂がある。(国分寺崖線の坂)。この坂を 息を切らして上ると,さらに緩い坂が続く。この一連の坂が「無名坂」。坂上の道が突き当たる手前,仲代達矢の“無名塾”がある。
無名坂 若きもの/名もなきもの/ただひたすら/駆けのぼる ここに/青春ありき/人よんで/無名坂 1975年始まる / 無名塾/仲代達矢
由来:無名塾があって その前を通る坂道だから 「無名坂」 になったと思われる。
無名塾(仲代劇堂)
日本の俳優養成所。主宰は俳優の仲代達矢。創立者は仲代の妻であった宮崎恭子である。所在地は東京都世田谷区岡本。映画やテレビ舞台で活躍している役所広司、益岡徹、若村麻由美、....(Wikipedia)。(岡本1-6-2)
⑥馬坂(うまさか)(#527)
世田谷区瀬田4丁目と岡本1丁目の間。“岡本静嘉堂文庫”(静嘉堂緑地)の正門前から北西に上る坂道(国分寺崖線の坂)。
標識:坂途中の湾曲部に高さ50cmぐらいの小さな石杭がある。馬坂 世田谷区 玉川地団協
由来他:それまでの坂道があまりにも勾配が急なため,人は上り下りできても馬はどうすることもできなかった。そのため別に勾配の弱い道をつくり,馬も楽に往復出来るようにしたので,この名がついた。(「てくたくぶっく」による)。参考文献:「てくたくぶっく」兵庫島編 「玉川の郷土を知る会」編
⑦とうかん坂(#528)
世田谷区瀬田4丁目。玉川病院の北西。下山稲荷の脇を大倉通りへ下る。急坂(高低差12m,平均斜度11度)。狭い階段。標識なし。由来他:不明。参考文献:「ふるさと世田谷を語る-大蔵・鎌田・岡本・宇奈根・砧-」 世田谷区生活文化部文化・交流課編集 1999刊。
<編註> 階段の急坂で、上り下りは大変でした。
玉川病院
下山稲荷神社
⑧慈眼寺坂(じげんじざか)(#529)
世田谷区瀬田4丁目。丸子川から北に上る。左に玉川神社,右に聖アントニオ神学校(国分寺崖線)。標識なし。由来他:丸子川にかかる次大夫橋をわたり,玉川神社・慈眼寺へと向かう坂道。坂道を上る途中で,将監山の
雑木林が右手に見える。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)
非常に長い坂なので、4枚も撮りました。
慈眼寺(じげんじ)
瀬田玉川神社
聖アントニオ神学院
治大夫橋(じだいゆうはし)。
治太夫橋(じだゆうばし)とも。丸子橋に架かる橋。六郷用水(次太夫堀)を開削した代官・用水奉行の小泉次大夫にちなんだ橋。
橋名の漢字表記と読み方に異種あり。
◉現地の橋プレート =治大夫橋(じだいゆうはし)(写真)
◉djp.jp「東京の橋」その他のネット情報= 治太夫橋(じだゆうばし)
<註1>治大夫橋は次大夫堀 (六郷用水)の開削に功績のあった、徳川家康の家臣小泉次太夫(初代は次大夫、2代目は次太夫)にちなむ。創架年代は未詳。「大山道」の丸子川に架かる橋の1つ。2010年に架け替え工事が完成。(mingniwa)
<註2>近くの喜多見5丁目にある公園は、次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)。ややこしいですね。
<註3>治大夫橋と治太夫橋、じだいゆうばしとじだゆうばし、次大夫堀と治大夫橋、次大夫と治大夫、…ややこしくて、さっぱり分かりませんですね。
<小泉 次大夫(こいずみ じだゆう)>
天文8年(1539年)~ 元和9年12月8日(1624年1月27日))は戦国時代から江戸時代初期の旗本代官および用水奉行。名は吉次(よしつぐ)。慶長16年(1611年)、二ヶ領用水、六郷用水が完成。これら2つの堀は「四ヶ領用水」「次大夫堀」(じだゆうぼり)とも呼ばれた。
<註>大夫(たいふ/だいぶ/たゆう)とは、ほんらい古代中国における身分呼称のひとつ。日本では太夫(たゆう)とも表記し、人物の呼称として色々な意味を持つようになった。(Wikipedia)
「にこたま」は多くの人で賑わっていました。
<編註1>坂名に関する記述は、sakagakkai.orgに依拠しています。
<編註2>坂名見出しの後につけた「#〇〇」は、坂めぐり通算の番号です。
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『秀樹杉松』95巻2623号 2018-6-17 / hideki-sansho.hatenablog.com #263
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