秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり:落穂拾い第5回(通算55回)/2018-6-17/世田谷区岡本・瀬田。〜谷戸橋・岡本三丁目橋・堂ヶ谷戸橋・八幡女坂・無名坂・馬坂・とうかん坂・慈眼寺坂。〜谷戸川・仙川・岡本公園・岡本民家園・静嘉堂・無名塾(仲代達矢)・慈眼寺・瀬田玉川神社・下山稲荷神社・聖ドミニコ学園・聖アントニオ神学院・玉川病院・四之橋・西谷戸橋・八幡橋・治大夫橋。

今日の<坂めぐり/落穂拾い第5回 (通算55回)は、世田谷区岡本・瀬田の8坂へ行ってきました。この8坂のうち、私の地図帳に坂名が記載されているのは「馬坂」のみ。そのため「落穂拾い」となりましたが、谷戸無名坂(仲代達矢無名塾前)を除く6坂は国分寺崖線で、どれも堂々とした一流の坂ばかりです。

 久しぶりで本格的な一流の急坂めぐりを堪能しました。スマホの歩行記録も2万歩を超えています。

 今日のハイライトは、無名坂無名塾でした。仲代達矢無名塾に初めて行きました。「無名坂」は坂名の無い坂ではなく、無名塾にちなんだ坂名でした。写真をとってきましたので、どうぞご覧ください。

 過般の「川歩き」でも取り上げましたが、今回も治大夫橋(治太夫橋)のことに詳しく言及しました。 / Atelier秀樹

小田急成城学園前からバスで「聖ドミニコ学園前」で下車。

 

谷戸(やとがわ)、四之橋(しのはし)

 「川歩き」以来の再会。

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谷戸(やとざか)(#522)

 坂下住所:世田谷区岡本1丁目30と34間、坂上住所:世田谷区岡本1丁目31と32間。谷戸四之橋から、東北東方向の東名高速へ上る坂。標識なし。由来他:岡本は坂が多く、静嘉堂から玉川病院に行く坂―馬坂、四の橋から東名に向かう坂―谷戸坂、・・・・・・とある。「ふるさと世田谷を語る 第十五集 大蔵・鎌田・岡本・宇奈根・砧編」より。参考文献:ふるさと世田谷を語る 世田谷区生活文化部文化・交流課 平成11年2月1日 発行

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岡本三丁目坂(#523)

 世田谷区岡本3丁目。仙川に架かる“西谷戸”から東北東に向かって“岡本三丁目”交差点に向かう急坂(国分寺崖線)。車で降りようとすると,まるで落下するかのような急な坂道。坂の上からの眺めは絶景。晴れた日には富士山が見える。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)。

 標識なし。坂上国土交通省が設置した「関東の富士見100景」という石碑がある。ここに「地点名:東京富士見」とあるが,これは“東京にある富士山の見える坂”全般を指す名称として使われているようだが,非常にまぎらわしい。実際“岡本三丁目の坂”の正式な名前は“東京富士見坂”だと思ってしまう人がいるようで,困ったことである。

 参考文献:「世田谷 国分寺崖線散策マップ」 せたがやトラスト協会 平成12年

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<編註>地元の人と話したら、「坂名は知らないが、富士山がよく見える坂だよ」と教えてくれました。今日は曇天で富士山は見えなかったが、「関東の富士見百景」の看板が出ていました。
 

仙川西谷戸

 やはり「川歩き」以来の再会。

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水神橋と丸子川

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川歩きを思い出しました。丸子川も撮ってきましたが、ブログへのアップに失敗しました。(どういう訳か、時々あって困りますね)

  

堂ヶ谷戸(どうやがとざか)(#524)

 世田谷区岡本2丁目と3丁目の間 (国分寺崖線)。アルジェリア大使館の西脇から国分寺が緯線を下り,坂下は堂ヶ谷戸まで。標識なし。坂名の由来は明確でない。谷戸というのは崖地の入り込んだところで,堂ヶ谷は文献のうえで“西の方にある”と解説しているが,今のどの谷をいっているのかわからない。(「東京の坂風情」より)。

 参考文献:「東京の坂風情」道家剛三郎 東京図書出版会 2001年

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丸子川親水公園

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 丸子川は「親水公園」となっています。

 

岡本公園

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八幡橋

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 この先が急な八幡女坂で、登り切った左側に岡本八幡神社がありました。

 

八幡女坂(はちまんおんなざか)(#525)

 世田谷区岡本2丁目。“岡本公園民家園”と“静嘉堂文庫”の間の八幡橋を渡って,崖線を上る階段。坂上静嘉堂文庫の裏口に通じるが,途中で西に折れて本八幡神社に上る階段坂 (国分寺崖線)。標識:坂の左手前(岡本八幡神社の正面参道手前)に「右・おんな坂」と刻まれた石碑が建っている。由来他:静嘉堂の裏門に続く切通しのような坂道。登りきると,崖線の上の道にも出られる。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)。岡本八幡神社の正面石段を男坂として,こちらの傾斜の緩い坂を女坂と呼んだのだろう。

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岡本民家園(世田谷区立)

 岡本公園民家園 旧長崎家主屋。昭和55年12月に開園した岡本公園民家園には、区の有形文化財第1号に指定された旧長崎家住宅主屋と、土蔵1棟、椀木(うでぎ)門を復原し、江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現しています。東京都世田谷区岡本2-19-1。(city.setagaya.lg.jp

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静嘉堂文庫 /美術館(せいかどう)

 静嘉堂文庫は、和漢の古典籍を保存し、永く後世に伝えることを使命として活動している専門図書館です。静嘉堂美術館は、岩﨑彌之助(1851~1908 彌太郎の弟、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵しています。(seikado.org.jp

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本八幡神社

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岡本静嘉堂緑地

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聖ドミニコ学院

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無名坂(むめいざか)(#526)

 世田谷区岡本1丁目。岡本静嘉堂の北側の“やのはし”バス停附近から北に分岐する道を入ると,北東に上る 急な坂がある。(国分寺崖線の坂)。この坂を 息を切らして上ると,さらに緩い坂が続く。この一連の坂が「無名坂」。坂上の道が突き当たる手前,仲代達矢の“無名塾がある。

 坂上の“無名塾”の壁面に,銅のプレートがはめ込まれている。

 無名坂 若きもの/名もなきもの/ただひたすら/駆けのぼる ここに/青春ありき/人よんで/無名坂   1975年始まる  / 無名塾/仲代達矢

 由来:無名塾があって その前を通る坂道だから 「無名坂」 になったと思われる。

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無名塾(仲代劇堂)

 日本俳優養成所。主宰は俳優の仲代達矢創立者は仲代の妻であった宮崎恭である。所在地は東京都世田谷区岡本。映画やテレビ舞台で活躍している役所広司益岡徹若村麻由美、....(Wikipedia)。(岡本1-6-2)

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馬坂(うまさか)(#527)

 世田谷区瀬田4丁目と岡本1丁目の間。“岡本静嘉堂文庫”(静嘉堂緑地)の正門前から北西に上る坂道(国分寺崖線の坂)。

 標識:坂途中の湾曲部に高さ50cmぐらいの小さな石杭がある。馬坂 世田谷区 玉川地団協

 由来他:それまでの坂道があまりにも勾配が急なため,人は上り下りできても馬はどうすることもできなかった。そのため別に勾配の弱い道をつくり,馬も楽に往復出来るようにしたので,この名がついた。(「てくたくぶっく」による)。参考文献:「てくたくぶっく」兵庫島編 「玉川の郷土を知る会」編 

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とうかん坂(#528)

 世田谷区瀬田4丁目。玉川病院の北西。下山稲荷の脇を大倉通りへ下る。急坂(高低差12m,平均斜度11度)。狭い階段。標識なし。由来他:不明。参考文献:「ふるさと世田谷を語る-大蔵・鎌田・岡本・宇奈根・砧-」 世田谷区生活文化部文化・交流課編集 1999刊。

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  <編註> 階段の急坂で、上り下りは大変でした。

 

玉川病院

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下山稲荷神社

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慈眼寺坂(じげんじざか)(#529)

 世田谷区瀬田4丁目。丸子川から北に上る。左に玉川神社,右に聖アントニオ神学校国分寺崖線)。標識なし。由来他:丸子川にかかる次大夫橋をわたり,玉川神社慈眼寺へと向かう坂道。坂道を上る途中で,将監山の

雑木林が右手に見える。(「世田谷 国分寺崖線散策マップ」より)

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 非常に長い坂なので、4枚も撮りました。
 

慈眼寺(じげんじ)

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瀬田玉川神社

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聖アントニオ神学院

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治大夫橋(じだいゆうはし)。

 治太夫橋(じだゆうばし)とも。丸子橋に架かる橋。六郷用水(次太夫堀)を開削した代官・用水奉行の小泉次大夫にちなんだ橋。

 橋名の漢字表記と読み方に異種あり。

 ◉現地の橋プレート =治大夫橋(じだいゆうはし)(写真)

 ◉djp.jp「東京の橋」その他のネット情報=太夫橋(じだゆうばし)

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 <註1治大夫橋は次大夫堀 (六郷用水)の開削に功績のあった、徳川家康の家臣小泉次太夫(初代は次大夫、2代目は次太夫)にちなむ。創架年代は未詳。「大山道」の丸子川に架かる橋の1つ。2010年に架け替え工事が完成。(mingniwa)

註2>近くの喜多見5丁目にある公園は、次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)。ややこしいですね。

 <註3夫橋夫橋だいゆうばしだゆうばし大夫堀大夫橋大夫大夫、…ややこしくて、さっぱり分かりませんですね。

 

<小泉 次大夫(こいずみ じだゆう)>

 天文8年(1539年)~ 元和9年12月8日1624年1月27日))は戦国時代から江戸時代初期の旗本代官および用水奉行。名は吉次(よしつぐ)。慶長16年(1611年)、二ヶ領用水、六郷用水が完成。これら2つの堀は「四ヶ領用水」「次大夫堀」(じだゆうぼり)とも呼ばれた。

 <註>大夫(たいふ/だいぶ/たゆう)とは、ほんらい古代中国における身分呼称のひとつ。日本では太夫(たゆう)とも表記し、人物の呼称として色々な意味を持つようになった。(Wikipedia

 

東急田園都市線二子玉川」駅(ゴール)

 「にこたま」は多くの人で賑わっていました。

 

<編註1>坂名に関する記述は、sakagakkai.orgに依拠しています。

<編註2>坂名見出しの後につけた「#〇〇」は、坂めぐり通算の番号です。

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 『秀樹杉松』95巻2623号  2018-6-17 / hideki-sansho.hatenablog.com #263

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