秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

下町風物めぐり~131回ミニウォーク(2018-7-7/東京都ウォーキング協会/5km)~に参加。「入谷あさがお市」「下町七夕まつり(かっぱ橋本通り)」を楽しみました。

 今日は曇り空で、いわばウォーキング日和。毎月第一土曜日開催のミニウォークも、今日が131回目を迎えました。私は、今は通常のウォークには参加していませんが、月一回の5kmミニウォークには、元会員として参加しています。日頃は家の近辺を毎日1時間ぐらい歩いていますが、たまには仲間と会える、そして“いいところ”へ案内してくれる、ミニウォークに参加するのを楽しみにしています。カメラ持参で参加し、こういう形でブログに投稿しています。どうぞ、ご覧ください。/ Atelier秀樹

 

 さて、今日は「七夕」です。これにちなんで、タイトルは七夕まつり見学を含む「下町風物めぐり」でした。コースは、

 上野公園~入谷鬼子母神のある「入谷あさがお市」~山伏公園(休憩)~曹源寺(かっぱ寺)のある河童橋本通りの「下町七夕まつり」~浅草の浅草寺メインは朝顔市と七夕祭りでした。

 

JR上野駅 公園口(集合)

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上野公園

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      東京文化会館 / 国立西洋美術館    

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        国立科学博物館 クジラ像

 

 

入谷あさがお市

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朝顔市で鉢植え(2千円)を買いたかったのですが、持ち歩くのも大変なので(それと、懐具合もあって?)写真を撮るだけにしました。私の前に写真撮影した人に対して、朝顔業者が「買いもしないで写真を撮るだけは非常識だ。買うのが当たり前でしょう。そういうのを“盗みどり”というんだよ!」にはびっくり。ただでさえ超混雑の現場なので、写真を撮るのは大変でした。

 こういう業者(あからさまに「買え」という)だけではなく、「見るだけで結構ですから、どうぞご覧になってください」という方もおられました。「この店で買っていこうか」と思いましたが、今回はやめました。「朝」を過ぎて、朝顔は萎みかけているのもありましたが、おかげさまで、人人が殺到する有名な「入谷朝顔市」を堪能しました。買わずに「盗み撮り?」して、御免なさい。


 

入谷鬼子母神(いりやきしもじん)

畏れ入谷の鬼子母神」、すごい混みようでした。

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朝顔市から七夕会場へ移動  f:id:hideki-sansho:20180707171437j:plain

 

山伏公園(トイレ休憩)

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かっぱ橋本通り / 下町七夕まつり

 河童橋本通りは800mぐらいの長い通りに、色とりどりの七夕が飾られていました。人出が多いことと、通りの先(東側)に下町、いや東京のシンボル「スカイツリー」が望まれるのに、びっくりしました。いいところですね!

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曹源寺かっぱ寺)

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浅草 浅草寺(せんそうじ)

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解散

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迷子しるべ石浅草寺境内)

 解散後、浅草寺境内の有名な「迷子しるべ石」(迷子知らせ石標)の写真を撮ってきました。

「迷い子しるべ石」は、もとは、安政2年(1855)の大地震における遊郭での死者を弔って、新吉原の楼主・松田屋嘉平衛が安政7年に建てたもの。(直下型の大地震とそれに伴う火災で、吉原の死傷者は1000人といわれている)

 江戸時代には仁王門(現在の宝蔵門)の前にあったが、第二次大戦で崩壊し、台石の一部だけを残すのみとなり、現存する石標は昭和32年に復元されたもの。東京都指定旧跡。(「東京都文化財めぐり」から) 

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          まよいごしるべ 石


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          まよひごのしるべ(迷子の標) 

 

 

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       らする方( = しらする方 = 知らせる方)

 

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          たづぬる方(尋る方=尋ねる方)

 

<註>江戸時代は迷い子や尋ね人が多く、日本橋一石橋や浅草浅草寺などの盛り場に迷い子のしるべ(標)石が建てられました。今なら交番(警察)へ届け出ますが。、迷い子を尋ねる(探す)方と、知らせる方がここに張り紙して情報を交換したそうです。

 なお、今では迷い子を「まよいご」と呼んだら笑われそうですが、昔は「まよいご」でよかったんですね。(笑い)

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    『秀樹杉松』95巻2630号 2018-7-7 / hideki-sansho.hatenablog. com #270

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