秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第66回=2018-8-5=東京大田区南馬込・西馬込)~馬込坂・二本木坂・南坂・蛇坂。~馬込橋・二本木橋・駒込八幡神社・長遠寺・馬込小・松原橋。

 3回連続で大田区の坂へ行ってきました。大田区は東京都の最南部で、都心からは一番遠い。多摩川を境に神奈川県川崎市と接している。坂の数では23区内で6番目だが、面積は最大を誇っている。調べたら23区で面積の広いベスト3は、大田区(60.4㎢)、世田谷区(58.68㎢)、足立区(53.20㎢)で、23区平均の26.88k㎢に比してダントツの広さです。(もっとも、大田区の3分の1は羽田空港なそうですが)。 

 地図で見たら、大田区「馬込」地域の町名は、東馬込・西馬込・南馬込・北馬込・中馬込と、5つの揃い踏みです。東西南北と中が五つ揃うケースは、今回初めて知りました。大概は3つか4つが多いのですが。ところで「馬込」の地名の由来ですが、ネット情報だと「馬が込み合う」つまり馬が多く集まるところとあります。馬込・牛込・駒込など、山手台地上の牧場としての利用が地名の由来という。(kotobank.jp等

 今日は都営地下鉄浅草線の「西馬込駅」をスタート、ゴールは「馬込駅」でした。大田区の坂は分散しているところが多いため、今日も4坂だけでした。今夏の異常な暑さ対策には好適で、“朝駆け”とばかり、早朝5時前に自宅を出ました。コンパクト坂めぐりをどうぞご覧ください。

 馬の話だけではウマ味にかけると思いつつ、地図でゴールの都営地下鉄浅草線馬込駅」周辺をよく見たら、立体交差の松原橋がある。大田区HPとウィキペディアを調べたら、日本最初の立体交差などと出ている。車とは無縁の私は初めて見ました。本文と写真でお確かめください。これで何とか、本号もウマくいきそうです。 / Atelier秀樹

 

第66回坂めぐり(2018-8-5)大田区南馬込・西馬込

 

 今日の坂めぐりは「馬込」一色でした。商売道具?の地図帳を公開します。

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都営地下鉄浅草線西馬込駅(スタート 6:10)

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馬込坂(まごめざか)(#592)

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 大田区南馬込5丁目と西馬込1丁目 の間。第二京浜国道の“馬込陸橋”付近から"馬込坂下"交差点付近まで 南西に下る 緩やかな坂。北東に上る。480m。緩やか(高低差10m,平均斜度1.2度)。直線。坂途中の長音寺付近に,大田区が設置した標識がある。

→「馬込坂 まごめざか 坂名は,第二京浜国道が建設され,昭和二十四年頃より五反田から多摩川際までのバスが通るようになり,馬込坂下,馬込橋のバス停ができると自然に 馬込坂 と呼ばれるようになった。第二京浜国道ができる前のこの付近一帯は 小高い丘や水田で,坂下には内川の清流が流れていた。昭和六十三年十一月  大田区

 命名時期:昭和20年代中頃。参考文献:大田区HP:「馬込地域の坂道」

  

二本木坂(にほんぎざか)(#593)

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 大田区西馬込1丁目。第二京浜国道の"馬込坂下"交差点より もう一つ北側の信号を西に入り150m先が坂下になる。ここから北西に。北西に上る坂。210m。緩やか(高低差7m,平均斜度1.9度)。坂下に大田区が設置した標識がある。

→「二本木坂 にほんぎざか この坂道は,馬込の八幡神社付近の南坂を通り,旧池上村根方方面に向かう古い道である。坂名は,旧馬込村の小字二本木に由来する。昭和六十一年三月  大田区

 由来他:この付近一帯は、馬込村小字二本木と呼ばれていて,坂名はその地名に由来すると思われる。この坂道は,八幡神社の南の南坂からここを通り,旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道。付近の新幹線にかかる橋は、二本木橋と名づけられた。坂下には,地下鉄(東京メトロ)の馬込工場があったが,2004(平成16)年に廃止され,跡地は空き地になっている。

 

二本木橋

 東海道新幹線横須賀線に架かる。橋には安全のため金網がはりめぐらされているので、線路は見にくいです。

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南坂(みなみざか)(#594)

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 大田区南馬込5丁目。第二京浜国道の"馬込坂下"交差点より100m北側の信号を東に入り,八幡神社長遠寺に向かって上る。車の通行量がかなりあり,歩行者にとっては 歩きにくい道。坂下は東に,途中から北東に向かって上る。130m。やや急な坂(高低差5m,平均斜度2.3度)。緩くS字状に曲がる。坂下付近に,大田区が設置した標識がある。

→「南坂 みなみざか 馬込の中心にある八幡神社からみて,南側にあるので南坂といわれている。坂は,道幅も狭く急な坂で,今の第二京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り,池上の坂の方に通った古い道である。昭和六十年三月 大田区

 由来他:その当時,坂道の両側は高く,下る左側は雑木が繁り,右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶだった。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなった。(大田区HPより)

 

馬込八幡神社

  大田区南馬込5-2-11。馬込村総鎮守。

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長遠寺

 大田区南馬込5-2-10。海岳山 大乗院 長遠寺

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馬込小学校

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第二京浜と新幹線・横須賀線との立体交差

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馬込橋

 東海道新幹線に架かる陸橋。

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蛇坂(へびざか)(#595)

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 大田区南馬込1丁目。環七通りが東海道新幹線のガードをくぐってすぐに南西に曲がり,住宅街を抜ける坂。坂下は マンションが並ぶ。坂下は西に,坂上は南に向かって上り。85m。かなり急な坂(高低差6m,平均斜度4度)。左に曲がりながら上る,短い坂。坂の中ほどに,大田区が設置した標識がある。

→「蛇坂 へびざか 蛇のように曲がっていることから,この名がついたという。また,昔は 坂のあたりに ヘビがいたことによるともいわれる。昭和六十一年三月 大田区

 由来他:坂名の詳しい由来は明らかでない。坂のあたりに蛇が多く生息していたことによるとも,また蛇のように曲っていることからこの名がついたとも言われる。(大田区HP

 

松原橋

 日本最初の立体交差。日本で初めてできた新線道路の立体交差が、昭和15年(1940年)に完成した、環状七号線と第二京浜国道の交差点、松原橋です。(city.ota.tokyo.jp

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松原橋立体

 松原橋は東京都道318号環状七号線(環七通り)を越える跨道橋であり、1940年(昭和15年)に完成した。なお、第二京浜国道と環七通りをランプで接続する構造は、日本初のインターチェンジ構造((不完全クローバー型)となる立体交差である。馬込インターチェンジとも呼ばれる。なお、松原橋の橋下には、都営地下鉄浅草線馬込駅の出入り口がある。(wikipedia

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<編注>

日本最初の立体交差「松原橋

 地元で尋ねたらどなたも「インターチェンジとは言わない」。確かに上掲の文章でも「日本初のインターチェンジ構造」となっている。本号冒頭に掲げた地図帳の写真には、「松原橋」が第二京浜と環七を繋いでいるように書かれています。ドライバーの方はとっくにご存知でしょうが、初めて見た私はびっくりしました。

 高い所を走る第二京浜から低い方の環七に下る道路(環七からは上る道路)ができており、この道路が交差する上下の道路を繋いでいるからです。なるほど、今のインターチェンジとは大違いですが、戦前の昭和15年(1940年)にできたのだから、「日本最初の立体交差」大田区HP)でしょう。歴史的価値の高い橋(実は道路)を目の当たりにしたのは、今日の大きな収穫でした。

 ところで、立体交差する上下の道路をつなぐ道路だから、当然曲がりくねった坂道になっています。これって、「松原橋」ならぬ「松原坂」とも言えますね。大発見?でした。

 

都営浅草線馬込駅(ゴール)

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   松原橋の橋下には、都営地下鉄浅草線馬込駅の出入り口がありました。

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  『秀樹杉松』96巻 2645号 2018-8-5 / hideki-sansho.hatenablog.com #285

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