秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

北方謙三著『チンギス紀』一. 火眼』を読む。そして、成吉思汗 / 蒙古 / 蒙古襲来 / モンゴル /大相撲 / 強い白鵬・朝青龍 ……を思う。

 ◉前号にも書いたように、坂巡りなどで読むのが進まなかった『チンギス紀』(北方謙三著・集英社刊)の初巻「火眼」(かがん)を、今やっと読了しました。前号にアップした本書の表紙のオビに書かれているように、

 →「ユーラシア大陸に拡がる大帝国の礎を築いた英雄チンギス・カン。大草原の小さな氏族に生まれた男は、初めに何を見たのか? 世界を一変させた激動の生涯、すべてはここから始まった――。」 / Atelier秀樹

 

 ◉子供(正確には幼児?)の頃、悪いことをしたりいつまでも泣き続けていると、「モーコがやって来るぞ!と脅かされた。それでも泣き止まないと、「モーコが来たぞ!」と叫ばれ、さすがに泣くのをやめたものだ。「あ、モーコが来たぞ!」の短縮形「アモコ!」に怯えたものです。

 まさに泣く子も黙る”こわ〜いモーコ(アモコ!)だったのです。つまり、「モーコ」(アモコ) は怖いものの代名詞で、鬼よりも恐ろしかった。鬼は見たことがなかったが、それを上回る凶暴な動物か、悪魔なのかと思った。

 

 ◉これは幼児の頃の思い出であるが、学校へ上ってからは、「蒙古」(もうこ)という国が2回も日本を攻めに来た、という話を聞かされた。「蒙古襲来」とか元寇(げんこう)と教わった。強くて怖い蒙古軍ではあったが、突然吹いた「神風」には敵わず敗退・逃散した。日本はやはり「神の国」だ … などと教わった。

「そんな事があったんですか?」とびっくりする若い人たちがいるかも。(特に、私の幼児期の思い出などは)

 

 ◉これらについてやはり、ネット情報を紹介したほうがいいでしょう。以下のようになってます。

 

<蒙古襲来>

 蒙古襲来は、1274年と1281年に行われた、モンゴル帝国による2度の日本遠征のことで、博多湾を中心に、九州北部あるいはその周辺で戦闘が行われた。鎌倉時代当時はこの名称で呼ばれており(あるいは「蒙古合戦」)、元寇と呼ばれるようになったのは江戸時代以降である。(ピクシブ百科事典

 

元寇

 元寇(げんこう)とは、日本鎌倉時代中期に、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。主に九州北部が戦場となった。(wikipedia.org

 

元寇の神風>

 文永・弘安の役での2度にわたる元寇元軍に大損害を与えた暴風雨のこと。…ただ、この撤退途上に元軍が遭遇した暴風雨について気象学的には、過去の統計から、この時期に台風の渡来記録がないため、台風以外の気象現象という見解も採られている。(wikipedia.org

 

<蒙古>

 蒙古(もうこ)は、モンゴル高原に居住する遊牧民や、彼らが居住する地域についての自称モンゴルに対する中国語による音写の一種鎌倉時代では、「もうこ」と共に「むくり」や「むこ」などとも呼んでいた。

 ...蒙古には「おろかで古い」という悪い意味合いがある漢民族による蔑称であるとして、日本ではモンゴル人と日本人の合同署名による広告活動で、使用をやめるように運動が起きている [1] 。しかしながら元寇を指す「蒙古襲来」や蒙古斑など、定着している表現もある。(wikipedia.org)

 

 ◉戦前・戦時中は「蒙古は怖い」と教わったが、いまではモンゴルは相撲が強いで、朝青龍白鵬などの大活躍もあり、日本では親近感が持たれている。最近の大相撲は“モンゴル時代”と言える。もっともいろいろあって、今や“学生横綱時代”?

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    『秀樹杉松』96巻2647号 2018-8-7 / hideki-sansho.hatenablog.com #287

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