台風襲来が予報されたが、東京直撃はなかったので、目黒区緑が丘の坂めぐりへ出かけました(早朝5時自宅出発)。最寄駅の「自由が丘駅」からスタート。巡ったのはたったの3坂。実は自由が丘には第36回(今年4月5日)に出かけ、谷畑坂・睦坂・蜀江坂・兵庫坂・寺郷の坂・鉄飛坂・鶯坂の7坂をめぐり、ブログで公開済みです。
今回「坂学会sakagakkai.org」で再調査し、自由が丘の東隣緑ヶ丘に3つの坂(地図には記載なし)が残っているを発見、再び自由が丘駅を訪れました。70mばかりの間隔で3坂が集中しているので、坂めぐりはあっという間に終わりました。
実は前回、「自由が丘」という地名・駅名・街路・商店街に何かしら「自由な雰囲気」を感じたので、今回改めて自由が丘の街を散策し、沢山の写真を撮ってきました。〇〇通り(St.)がいっぱいあります。今日の坂めぐりは自由が丘散策がハイライトです。それと、この際なので、「自由が丘」小スタディと踏み込みました。目黒区自由が丘はいいところですね!ぜひご覧ください。 / Atelier秀樹
第67回坂めぐり(2018-8-9) 目黒区自由が丘・緑が丘
東急東横線「自由が丘」(スタート)
①旭坂(あさひざか)(#596)
目黒区緑が丘2丁目。緑が丘小学校の100mほど東を北に伸びる坂。北方向に上る。110m。少々急な坂(高低差10m,平均斜度5.2度)。直線の坂。標識無し。由来他:「坂下には信号機がついている。戦前、旭坂と名付けられていた」とある。(「郷土目黒」より)
参考文献:郷土目黒 第四十八号」 目黒区郷土研究会 平成十六年十月一日 発行
②ちどり坂 (#597)
目黒区緑が丘1丁目と2丁目の間。中根公園すぐ西側の道を南に250m進んだ坂。北方向に上る。110m。少々急な坂(高低差8m,平均斜度4.2度)。直線の坂。標識無し。由来他:「・・・は『ちどり坂』と称していたがこの坂の」・・・と「郷土目黒 第四十八号」にある。
参考文献:「郷土目黒 第四十八号」 目黒区郷土研究会 平成十六年十月一日 発行
③稲荷坂(いなりざか)(#598)
目黒区緑が丘1丁目。目黒緑が丘郵便局すぐ東側の道を北方向に80m進んだ坂。北方向に上る。90m。少々急な坂(高低差8m,平均斜度5度)。真っすぐ上る坂。標識無し。坂の途中に江戸時代、名主のみに許されていた立派な長屋門を持つ家のお稲荷さんがあったので、戦前は稲荷坂と呼んでいた。(「郷土目黒 第四十八号」より)
グリーンロード(緑ヶ丘1.2丁目)
旭坂・ちどり坂・稲荷坂の南。緑ヶ丘だからグリーンですね。
鎌倉時代以前の創建と伝えられている。熊野詣が盛んだった頃、地元の住民が講を作って熊野参りをして本宮の御分霊を拝受して創建したと伝えられる。(wikipedia.org)
九品仏川緑道(くほんぶつがわりょくどう)
「九品仏川緑道」は、1974(昭和49)年、九品仏川を暗渠化して造られた長さ約1.65kmの緑道だ。東急「自由が丘」駅南口の駅前広場から南へ進み、踏切を渡ると東西に延びている。目黒区と世田谷区の区境を、かつての九品仏川の流れに沿って続いていき、緑道沿いにはウコンザクラやソメイヨシノなどの桜のほか、サツキやキンモクセイなどが多数植えられ、散策者の目を楽しませてくれる。(town.mec-h.com)
自由が丘公園
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自由が丘の街路(通り / St.)
「自由が丘には〇〇通り」が非常に多い。自由が丘1丁目〜3丁目に〇〇通りは1ダースもあるのは、正直驚きです。通り名がない街路は探すのに苦労するほど。しかし、標識は少ないので、地元民に尋ねても「知らない」人が多かったです。「あそこに交番があるから」と教えてくださるが、お巡りさんも地図に出ているような街路はともかく、名前が乗っていない「通り名称」は手に負えない感じだった。
それでも何人かの親切な方のご協力をいただいて、名前のついている街路は全部歩くことができました。ターゲットはもちろん「坂めぐり」ですが、実質今日は「街路めぐり」でした。地元の皆さんに心からお礼を申し上げます。なお、うっかりミスで「女神通」の写真掲載できませんでした。
自由通(自由が丘1丁目)
東京都道426号上馬奥沢線(とうきょうとどう426ごう かみうまおくさわせん)は、東京都世田谷区上馬三丁目から、目黒区八雲を経由し大田区雪谷大塚町に至る特例都道である。この道路は自由通りと通称される(Wikipedia)。自由が丘1丁目を南北に縦断。
カトレア通(自由が丘1/2丁目)
学園通(自由が丘2丁目:自由が丘学園の横を通る)
緑小通(自由が丘1丁目)
「みどりこどおり」は何処でしょうかと訊いたら、直ぐに答えがなかった。「みどりしょうどおり」(緑小学校の通り)が正しいからでしょう。
サンタ通(自由が丘1丁目)
すずかけ通(自由が丘2丁目)
メイプル通(自由が丘2丁目)
しらかば通(自由が丘2丁目)
ヒロストリート/Hiro St./Hilo St.(自由が丘2丁目)
自由が丘正面口(ロータリー前)と南口のほぼ中間にある東急大井町線の踏切。それと「亀屋万年堂」駅前店から閑静な住宅街の方にのびるのが、ヒロストリート(広小路)。
<編注>横文字のHiroとHiloが気になりますが、「広小路」なら、Hiro St.でしょう。
トレンチ / Trainchi(自由が丘1丁目)
駅近くの小道でした。「通り」の名ではない。
マリークレール通 / rue marie claire(自由が丘1丁目)
フランスのファッション雑誌Marie claire(マリークレール)1982年に創刊。日本語版発行に連動して、「とうきゅう通り」を「マリークレール通り」と改称。
女神通(自由が丘1丁目)
自由が丘南口の改札を出るとすぐにある通り。自由が丘駅正面口ロータリーには女神像「あおぞら」(澤田政廣作)があり、あおぞらに因んで「自由が丘女神まつり」が毎年10月に開催される。
<編注>
「女神通」の写真は撮ったはずだが、写真整理の際に自信を持って特定できなかったので、曖昧掲載はしません。
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「自由が丘」小スタディ
今日のハイライト「自由が丘小研究」を始めましょう。先ずはウィキペディアで、自由が丘の概要を抜粋引用します。
<地理>
目黒区南部に位置する。地域内には東急東横線と大井町線が通り、それらが交差する自由が丘駅がある。また、地域の中央部に自由通り、北端に隣接して目黒通りが通る。 駅周辺は戦前に「衾沼(ふすまぬま)」と言う沼地を埋め立てて造成された土地であるため、丘と言う地名ながら、周辺と比較して低地となっている。(wikipedia.org)
<歴史>
自由が丘は東急東横線が開通するまでは竹やぶだったが、鉄道開通後は急速に発展し、文化人や芸能人が住居を構えた。1933年に創業されたモンブラン(日本初の、モンブランを提供する洋菓子店)に文化人が集まったことで、「高級志向」の街といった認識をされるようになった。
駅前ははじめ20軒ほどの商店街があるのみであったが、第二次世界大戦後の復興にあたって駅前広場を設置し、1956年(昭和31年)には537軒もの店が構えられるようになり[7]、1963年には自由が丘商店街振興組合(後述)が設立された。
1970年ごろには町の形がほぼ整ったが、住宅街には木が多く、また、熊野神社に竹やぶの一部が残っている。1974年に九品仏川は暗渠化され、九品仏川緑道として整備された。2000年ごろからは雑誌の取り上げられ方にも変化が見え、親しみやすさや庶民派というフレーズも見られる街となってきている。(wikipedia.org)
<町名の由来>
地域内に設置された自由ヶ丘学園及び、それにちなんで改称された自由ヶ丘駅にちなみ「自由ヶ丘」となった。その後、「自由が丘」に改称された。大正、昭和初期に活躍した舞踊家の石井漠が、この地に舞踊研究所を開き、その際「自由ヶ丘」の地名を最初に名乗ったとされている。(wikipedia.org)
東急東横線「自由が丘」(ゴール)
<編注>
坂名および坂の解説は、坂学会情報に依拠しています。いつも有難うございます。写真はAtelier秀樹の撮影。坂名直後の(#〇〇)は、『秀樹杉松』坂めぐりの累積坂数。 ………………………………………………………………………………………………………
『秀樹杉松』96巻2648号 2018-8- 9 / hideki-sansho.hatenablog.com #286
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