秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

97回秀樹杉松坂めぐり (2018-10-22 )  ~砂利場坂、宮坂、さいとう坂、あさみ坂。~プラタナス通り、巣鴨小、江戸橋。【文京区、豊島区】

 今日は文京区の「砂利場坂」と豊島区の「宮坂」「さいとう坂」、「あさみ坂」を巡ってきました。Saitoさん、 Asamiさんが坂上に住んでいたのでしょうか? 4坂とも自治体設置の標識はないが、「さいとう坂」だけが個人か地元自治会作成と思われる石柱状の大きな標識がありました。 / Atelier秀樹

 

地下鉄丸ノ内線新大塚駅(スタート)

 

砂利場坂(じゃりばざか)(#767)

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 文京区千石3丁目。宮坂と猫股坂に挟まれ平行する坂。北東に上り。140m。かなり急な坂。ほぼ直線。標識なし

 護国寺造営の際に砂利取場となっていたため この坂名となった。後に開墾されて新田になった。(「ぶんきょうの坂道」による)

 

宮坂(みやさか)(#768)

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 豊島区南大塚1丁目と文京区千石3丁目の間。都道436号小石川西巣鴨線(プラタナス通り)の東。文京区と豊島区の境界。東北東に向かって上り。140m。やや急な坂。直線。標識なし

 明治時代,この地に有栖川宮熾仁親王が一時所有していた邸があった。その後1934(昭和9)年に尾張屋銀行が宅地開発を行った際に坂道が造成され,有栖川宮を慕って「宮坂」と呼ばれた。(「ぶんきょうの坂道」による)。命名時期:昭和9年ごろ。

 参考文献:「ぶんきょうの坂道」文京ふるさと歴史館 平成20(2008)年改訂版

 

プラタナス通り

 「砂利場坂」と「宮坂」の西側。豊島区南大塚1丁目と2丁目の境。プラタナスが植えられていました。正式名称は「都道436号小石川西巣鴨線」の由。

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 <編註>

 坂めぐりは街めぐりでもあり、一つ勉強しました。町名の「大塚」は文京区なのに、「北大塚」「南大塚は豊島区でした。ちょっと紛らわしく思いました。

 

さいとう坂(#769)

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 豊島区南大塚1丁目。巣鴨小学校の南東端から北東に向かう。北東に向かう上り坂。100m。やや急な坂。少し左右に曲がる。

 坂上に「さいとう坂」と刻まれた,個人または地元自治会が設置したと思われる,1m弱の高さの石柱状の標識がある。由来は不明。

 

巣鴨小学校

 「さいとう坂」の北。

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あさみ坂(#770)

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 豊島区南大塚1丁目。山手線に架かる江戸橋から 150mほど西。ここから南西に下る急坂。坂下の先は“大塚三業通り”にぶつかる。北東に向かって上り。80m。急坂。直線の短い坂。

 標識なし坂上“浅見”という人が住んでいたため この坂名になったと言われる。

 

江戸橋

 「あさみ坂」の北北東。橋といっても川に架かるのではなく、山手線の陸橋でした。日本橋川にかかる橋「江戸橋」(中央区)は有名ですが、この橋は今日初めて知りました。

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JR山手線「大塚駅(ゴール)

 

<編註>坂名と坂解説は、

「坂学会/東京23区の坂」sakagakkai.org に依拠。

  坂名の直後の(#)は『秀樹杉松』坂めぐりの通算合計坂数。写真撮影はAtelier秀樹。

 

 『秀樹杉松』99巻2709号 2018-10-22/  hideki-sansho.hatenablog.com #349