秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

峠の茶屋で一服  ~「坂めぐり」つぶやき (5) ~

<地元の皆様に支えられて>

 

 1)“方向音痴”気味の私が、なんとか坂めぐりをやっているのは、(自分の努力もあるでしょうが?)、何と言っても坂周辺の皆様に温かいお世話になったからです。皆様の温かいお助けや励ましに深く感謝しております。ありがとうございました。

 

 2)これまで98回坂巡りに出かけましたが、地域の方(通行人を含む)に道や街を尋ねなかったことは皆無でした。少なくても数回、多い時は10回に及ぶこともありました。地図のどこを今自分が歩いているのかわからない場合は当然ですが、自分が選択した道に不安があるため確認のケースあります。

 

 3)だれかれ区別なしに尋ねるわけにもいかないので、一応“人選”します。長く住んでらっしゃる確率が高く、地元の坂にも通じていると思われる年配者が第一候補です。勿論当たり外れがあり「去年引っ越してきたばかりで何にもわからない」とか、「坂には興味がないので」という方もいます。お婆さんたちは大抵好意的に応対してくれます。しかし中には、「歳をとりすぎている方」もおられます。

 

 4)何しろ、多くの人は坂にはほとんど関心がないようです。しかし、関心のある方は、自分から地元の坂の由緒を誇らしく説明してくださる方もおります。一番驚き、感謝にたえないのは、現地(または近くまで)へ先に立って案内してくれるケースです。中には、一旦坂のある場所を教えてくれた上に、「心配だったから」と追いかけて来た方もいらっしゃいました。確かに「年寄り」が地図を片手に道を探している姿は、哀れにも見えるでしょうし、放ってはおけないとも思えるでしょう。

 

 5)年寄りの「徘徊」と思われないように、また急いでいる人に道や坂を尋ねて立ち止まっていただくので、「あちこちの坂道を歩いている者です」と最初から正体を名乗るようにしています。特に土曜や日曜の朝っぱらから道を尋ねられるのは異様に思われるようです。「〇〇区から朝早起きして来ました」などとつけ加えることもあります。地図を睨んで立ち止まって、アチコチを睥睨(へいげい)している年配者を見れば、道を探しているのだとすぐわかるようで、何人かの方から「どちらに行かれるんですか?」「地元の者ですから訊いてください」と声をかけられました。

 

6)坂めぐりしていると話すと、「それは結構なことですね」とか、自分の父も以前似たようなことをやってました」などが返って来ます。中には「本当にいい趣味ですね。それを続けておられることは立派です」と思いがけなくお褒めの言葉をいただいたりします。私は若いつもりですが、やはり相応の年配者だと映るのでしょう。「歩いて転んだりしないで」「決して無理はしないで」「暑いですから途中で水を飲んで下さい」「元気で行ってらっしゃい」など、心のこもったありがたい声をかけられます。

 

7)歩いている人は当然目的があって急いでいるでしょうから、道を尋ねられるのは「迷惑」なはずでしょうが、皆さんは快く話を聞いて、知っていることを教えてくれます。最近はイヤホンをしている人が多く、それを外していただくのは恐縮ですが、ほかに人が居合せないと致し方ありません。一番困るのはいくら待っても通行人が現れない時です。玄関のそばに行っても人が外に出ていないのです。だからと言って、ブザーを鳴らすことまではできません。特に土・日の朝や午前中は、住宅街は閑散としており、道を訊けないので困ります。

 

8)以上ごく一部の紹介にとどめましたが、こうした地元の皆様のご協力・励ましに支えられて、(まだもう少し出かけますが)これまでの坂めぐりが続けられたのです。わたしは「坂めぐり」は「町めぐり」であり、「自然・人との触れ合い」だといつも言うのは、こうした事情や背景があるからです。坂めぐりも先が見えてきましたが、この「峠の茶屋」での一服を済ませたら、また来月から再来月にかけて、坂めぐりを再開します。

 

 『秀樹杉松』99巻2715号 2018-10-28/  hideki-sansho.hatenablog.com #355