秀樹杉松

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峠の茶屋で一服 ~「坂めぐり」つぶやき(7)~「坂」と「坂道」、「坂」と「阪」~

1)「坂」と「坂道」

 

「茶屋で一服」のいい機会ですので、もう一つ坂にまつわる話題を取り上げます。一服というしゃれた言い方をしてますが、実はこの1週間は風邪に見舞われておりました。写真容量が更新される明後日は何とか、久しぶりの坂めぐりに出かけられるでしょう。

 

 実は10月23日の浅草・吉原の坂めぐりで、小雨に遭いました。予報では降雨率0%でしたので、傘を持たずに出かけたのです。傘なしでもなんとか歩けるので、様子を見ていました。このままだと濡れるのではと思ったが、近くにはコンビニも見当たりません。今日の坂は3坂と少ないし、写真もなんとか撮れるし、帽子も被っているので、結局約2時間、雨中を歩いたのです。まさか風邪をひくとは思いもよらなかったのですが。

 

 さて、ご紹介したように、坂学会「坂」を、日本坂道学会は「坂道を使っています。これは常識的にも「坂=坂道」なので、文献にあたって調べるまでもないでしょう。特に、坂歩きとか坂めぐりという名称は、歩くとかめぐるの言葉が伴うので、意味は明快です。坂学会も発足宣言には終始「坂道」の文言が使われております。

 

2)『坂』と『阪』

 ご存知ですか? 今の「大阪」は当初「大坂」だったことを。

 Wikipediaを開くと、次のようにに出てきます。

→近畿の経済文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都副都としての歴史を持つ。蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる

漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する。一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる

 

<編註>

この解説には2つの重要事項があります。

一つは、大阪は小坂(おさか)と言われたということです。つまり「小」は「お」と読まれるのです。5年前の「川歩き」でも勉強しましたが、練馬区の「大泉」は、元は「小泉(おいずみ)だったそうです。「小」を「お」とよむケースはたくさんあります。小川、小山、小沢、小野寺、小原、小野田、小山内、小畑、…苗字に多いですね。もちろん、小林、小森、小山、小堺、小平、小峰、などの「コ」も多いですが。小山などは両読みされます。

 

 今様に表記すると「お」(O)ですが、これが「おほ」(Oh)と伸びると、「小」が「大」となります。紛らわしいですね。練馬区の「小泉(おいずみ)」の住民が役所で住所を訊かれると、「おいずみ」と答えても「大泉」に聞こえたそうです。そこで、どうせなら「小」より「大」がよかんべ、ということで、正式に「小泉」から「大泉」町・地域名が変更されたそうです。

 

 このことは5年前の私には初めて知ることで、当時の「親川記」(川歩き紀行)にも書きました。そういう次第で、今回「大坂」は「小坂」であった、ということはすぐに理解できました。川歩きも坂めぐりもこういうことの勉強ができるので、やめられないですね!

 

 二つ目は「大坂」が「大阪」になった由来です。『明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌った」とあるのは、さもありなんですね!「坂」を「士(武士)が叛く」と読んだあたりは、当時の新政府の自信のなさでしょうか。何れにしても。「小坂(をさか=おさか)を「大坂(おほさか=おおさか)に変え、小を大にするなど当時の新政府のどさくさ対応は目に見えるようです。

 

 ついでながら、「逢坂関」が「大坂」の古称だという説があり、私もいっとき思い込んでいましたが、逢坂は山城と近江の境で、大坂の古名ではないそうです。

 

 『秀樹杉松』99巻2717号 2018-10-30/  hideki-sansho.hatenablog.com #357