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<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(3)坂と寺院 / 一名二坂

 坂研究の権威・横関英一さんの『江戸の坂 東京の坂』をテキストに勉強を始めたわけですが、さすがは名著です。「面白くて為になる」ことばかりです。(3)をお届けします。/ Atelier秀樹

 

<坂と寺院>

 善光寺坂、金剛寺坂、蓮華寺坂、東福院坂と言っても、決してそのお寺へ行くための坂ではない。お寺詣りのために造られた坂ではない。たまたま、その坂のそばにお寺があったのでその寺号が坂名に利用された。江戸時代には、寺院の名は最もよく知れわたった、的確な目標であった。お寺のそばの坂に、そのお寺の名前がかぶせられたのに不思議はない。

 寺院は創建以来、他の施設物のように移転、取り壊し、改名、荒廃が比較的少ないので、数時代にわたって談話や記録の重要な、便利な目標となっていた。寺院は、あらゆる文化史の研究にとって、常に拠点を与えてくれる。また江戸の人々は、寺という字のつく坂は、習慣的にその寺の字を省いて呼んだ。円通寺坂は円通坂、安養寺坂は安養坂、三念寺坂は三念坂、というように。

 

 有名な寺院が他に移転した場合、その坂の名は依然として、その元地に残っている。谷中の善光寺が、宝永2年に青山の現地に移転したが、その後ずっと善光寺は谷中に残っている。麹町の善国寺坂には、もう善国寺はない。そ地に寺がなくなってしまっても、寺という字をつけて呼ばれている間は、その坂の名称の起因をはっきり認識できる。

 

 寺という字を省かれたまま、言い伝えられた坂の名は、そこに寺があればともかく、寺もなければ文献も見当たらない場合、その坂の名称に起因を知ることは困難になる。麻布の幸国坂、牛込の安養坂、三田の安全坂などにはまごつく。意味のあるようなないような名前は、江戸では大概お寺の名前だと思えば間違いない。

 

<一名二坂> 

 一本の道路が、こっちの台から向こうの台地に達するには、谷を一つ渡らなければならない。こっちの台には下り坂が、向こうの台には上り坂が、例の通り、谷をはさんで各々一つずつできる。この坂が大きな場合、または広い場合は問題ないが、谷が極めて小さい場合には、この二つの坂が相接続した一つの感じになってしまう。

 こうした場合江戸っ子は、坂の名前をつけずに谷の名を呼んで、坂の意味を持たした。御厩谷、鈴振谷、樹木谷、傘谷、薬研谷、などなど。御厩谷(おんうまやだに)といった場合は、御厩谷をはさんで向かい合った二つの坂を、同時に言ったのである。それがいつの間にか、坂という字をつけるようになった御厩谷坂、樹木谷坂、傘谷坂など。

 

 二つの坂に名付けた名称であるべきなのに、後には、どっちか一方をのみ呼ぶようになってしまったものもある。そして、無名の坂が一つできるのである。これはすこぶる要領が悪い。それなら無理に坂という字をつけるには当たらない。最初のように、坂の名を呼んで、同時に二つの坂を意味した頃の巧妙さには遠く及ばない。

 

 赤坂の薬研谷のところの二つの坂を薬研坂(やげんざか)と呼んだのは、実にうまいものだ。一つの名称が、二つの坂に利用されたのである。一石二鳥ではなくて、一名二坂である。薬研という言葉が面白い。片一方の坂だけでは薬研にならない。どうしても、二つの坂が一緒にならなければ、薬研坂にならないところに味がある。名前のつけ方も、ここまでくるとうまいものだ。

 

 四谷の忍原横町夫婦坂(みょうとざか)というのがある。北から南へ下って、さらにまた南に登る小さい坂である。これも一つの名を二つの坂に利用した巧妙な名のつけかたである。二つ揃って初めて夫婦坂と言えるのであり、一つだけでは夫婦坂にならない。この種類の坂に相生坂(あいおいざか)がある。今日残っている相生坂の完全なものは、新宿区牛込白金町と西五軒町の間を北へ下る坂と、これに並行して白金町から東五軒町へ下る、二つの坂であるが、どちらか一つだけでは相生坂にならない。二つ揃ったところで相生坂となる。

 

 この二つの坂には鼓坂(つづみざか)という別名もある。なかなかうまい名だ。二つ揃って鼓坂となるが、片一方だけでは鼓坂にならない。東大久保の向坂も、東西二つの坂が向かい合っているので、二つの坂に同時に名付けられた一つの坂名である。旧尾州候の下屋敷(今の戸山ハイツ)の南側の坂である。向坂は旧道の坂で、今日では、戸山ハイツに沿って大久保通りという新道路ができているので、向坂の道は新道の崖下になってしまった。

 

 薬研坂、飛坂、夫婦坂、相生坂、鼓坂、向坂という一つの名が、同時に二つの坂に利用されたのは偶然の巧妙で、意識的ではなかったとしても、また、江戸っ子の無精から二つの坂の名を一つで間に合わせたのであるとしても、こうした坂の名としては絶妙である。

 

以上、横関英一『江戸の坂  東京の坂』(全) p.028~p.026から

 

『秀樹杉松』101巻2750号 2018-12-16/hideki-sansho.hatenablog.com #390