秀樹杉松

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<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(14)どれが本当の菊坂か

 

どれが本当の菊坂か

 やや込み入った内容で、文献引用もありますが、横路氏の坂研究の真髄がうかがわれます。ぜひお読みください。1年前の「秀樹杉松坂めぐり」の写真も添えてありますので。 / Atelier秀樹

 

 本郷の菊坂というのは、どの辺を言っているのであろうか。地名としての神楽坂や道玄坂は、必ずその坂を中心としているが、地名としての菊坂は坂を中心としていない菊坂という坂がはっきりしていないためか、明治以降の菊坂町という地名に頼っているようだ。

 

 地名としての菊坂町から考えてみると、最近の菊坂町と昔の菊坂町とは、その地域がだいぶ違っている。今日では、この辺は全て文京区本郷5丁目と改称されてしまったが、その前は、菊坂町というのは、本妙寺のあった辺、この辺の大体、谷のようなところの市街を含んだところであった。だから、本妙寺下から西北方田町の方へ行く長い緩やかな坂路を、菊坂通りなどと言っていたのである。

 

 嘉永の頃の菊坂町は、その頃の阿部伊勢の守(最近の西片町)に近い方、胸突坂梨木坂の坂下あたりが中心であって、明治の菊坂町は、本妙寺、長泉寺とその門前町が中心であり、明治の菊坂町は東の方が中心になっていた。だから明治以来、菊坂という名は、坂から離れて町名にのみ頼ってきたので、肝心の菊坂の存在を忘れてしまったのである。

 

 江戸の地誌、絵図その他によって菊坂を探してみると、次の四つに分けることができる。

 (1) 今の本妙寺坂を菊坂とするもの本妙寺門前から弓町の方へ行く坂)

 (2) 本妙寺、長泉寺前を西方町の方へ行く通りの坂。(今の菊坂)

 (3) 梨木坂(梨坂とも)

 (4) 胸突坂

 

 なんといっても、菊坂はまず菊坂町にあった坂でなければならない。それも昔の菊坂町でなければならない。菊坂町の文政9年の菊畑についての「書上」をみると、次のように書いてある。

同所(菊畑のあったところ)の坂を菊坂と唱へ、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱へ候」

 坂上方が菊坂台町、坂下の方が菊坂町である坂は、(3)の梨木坂と(4)の胸突坂の二つだけである。しかし、梨木坂が本当は菊坂であるということにはならず、もちろん胸突坂が菊坂だということにはまだならない。しかし、次の菊坂町の「書き上」を読むと、どうやら胸突坂が本当の菊坂に近づいてきたように思われる。

 

 → 一、なし坂この坂辺までにて菊畑之無き候故、いつの頃よりか、なし坂と唱へ候。一、菊坂、右二ヶ所共町方持ちにて、当所並びに菊坂台町両町持ちに御座候」

 

 これによって、菊坂は菊坂町と菊坂台町の両町持ちの坂であることがわかった。菊坂と梨木坂(梨坂とも)とが出ていて、この条件に合う胸突坂という坂名が、どこにも見当たらない。そして、梨木坂は昔からの梨木坂であって、菊坂ではないということになる。菊坂と梨木坂とは立派に独立した二つの坂であった。ということは、梨木坂は、決して菊坂ではないということである。

 

菊坂の条件にピッタリする坂は、今の胸突坂以外にはないということがわかったのである。(略)

 梨の木坂付近にかつて住んでいた戸田茂睡という人の書いた『紫の一本』が一番正確な記述を残していると思う。(略)

これで、胸突坂が、昔の菊坂であったことが証明されたわけだ。

 

<編注1> 

 因みに、梨木坂(梨坂) は梨に関係あるかと思いきや、上記の引用文献によれば、「この辺までで菊畑が無くなるので、いつの間にか「なし坂」と唱えられるようになった」とあります。この「なし坂」は「梨坂」ではなく「無坂」だった?

 横関氏が菊坂の候補として最初にあげたのは、次の4坂です。この4坂には1年前に「秀樹杉松坂めぐり」行ってましたので、4坂を写真入りで掲げます。2ページにわたるので見にくいですが、地図の写真も出しました。

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  1. 本妙寺

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  1. 菊坂(今の) …… 菊坂通り(600mの長さ)

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  1. 梨木坂梨坂とも)

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4. 胸突坂(むなつきざか) (別名:菊坂)= これが「本当の菊坂」 

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<編注2>

 坂学会sakagakkai.org「坂のプロフィール」の「胸突坂」の由来説明には、次のように明記されています。

 胸突坂  別名:菊坂

 かつてはこの坂が「菊坂」と呼ばれていたが、現在の菊坂の方に名前を譲って、こちらは「胸突坂」となった。

 

『秀樹杉松』102巻2765号 2019-1-2/hideki-sansho.hatenablog.com #405