秀樹杉松

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<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(15)昔の坂と今の坂  ――壱岐坂、大坂、権之助坂――

 

昔の坂のすぐ近くに新しい同名の坂ができたケースがいくつかありますが、代表的なケースとして、今回は本郷の壱岐(いきざか)、渋谷の大坂、目黒の権之助坂(ごんのすけざか)を取り上げます。 / Atelier秀樹

 

壱岐坂>

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                ↑ 第20回秀樹杉松坂めぐり(2018.1.3)/ 写真:Atelier秀樹

 本郷に壱岐(いきざか)という坂がある。本郷2丁目から一丁目に下る大きな坂で、坂下は後楽園の野球場と子供の遊園地との間である。幅の広い緩やかな大きな坂である。しかし、この坂路は昔の壱岐坂の道筋とは全然違う道筋である。

 昔の壱岐は、今の本郷二丁目の28番と24番との間、いわゆる、本郷大横通りを下って、東洋女子短大のところで壱岐坂に交差して、まっすぐに新壱岐坂の東に並んで、後楽園や野球場に下る下る坂を言う。

 

 今日では、昔の古い狭い坂のそばに、大きな立派な坂ができて、昔の坂名を奪い取ってしまった感じである。しかし、昔の坂がはっきりと残っているからには、その坂を無視することはいけない。新しい方の壱岐坂にしても、壱岐坂と名乗ること自体僭越であって、新しくできた坂は「壱岐」と称すべきであろう。新壱岐坂は最近できた新坂であるから、江戸の坂ではない。江戸の坂は古い方の壱岐坂である。

 

<大坂>

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   ↑(旧)大坂第76回秀樹杉松坂めぐり 2018.9.5 /写真:Atelier秀樹) 

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         ↑(新)大坂(第76回秀樹杉松坂めぐり 2018.9.5 /写真:Atelier秀樹)

 壱岐坂と同じような坂に、大坂がある。渋谷の道玄坂から厚木街道を西に下る坂である。玉川電車の通る坂で、元は坂の南は松平邸、北側は中将湯の製薬工場があった。(略)度々の道路改修、拡張のため、まっすぐ大きな坂が出来上がった

 しかし、古い昔の大坂は、この新大坂の北崖下になってしまった。新しい大坂の頂上から、元中将湯製薬工場のあった裏の方へ下る坂が、昔の大坂であった。(略)坂は左に折れて、氷川神社の高台下に向かって上っていき、新道路の大坂に合体する。これが古い大坂の道筋で、これを曲がった弓と考えると、新しい大坂の道筋は弓の弦ということになる。古い大坂が弓のように湾曲しているのに対して、新しい大坂は、その弦のようにまっすぐである。

 しかも、幅も広く、あらゆる車がこれを利用している。それに比べて、古い大坂は昔ながらの侘しい裏通りの狭い坂道に落ちぶれてしまった。軒をかして母屋を取られてしまったのだ。新しい方の大坂は江戸の坂ではない。古い方の大坂が江戸の坂である。

 

<権之助坂>(ごんのすけざか)

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           ↑ 権之助坂  第17回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.19  / 写真:Atelier秀樹)

 国電目黒駅のところの陸橋を渡って、西へまっすぐに行く大きな坂を権之助坂と言っているが、昔は途中から右へ折れて田道(でんどう)へ行く坂が、本当の権之助坂であった。戦後の道路大改修が権之助坂をこんな立派な道路にしてしまった。

 

 これに並んで南の方に行人坂がある。ずっと昔は誰もが知っていたものであった。そのころ権之助坂の道筋はなかった。下丸子道は、この行人坂一本であった。祐天寺方面へ行くにも、この行人坂を下って大鳥神社の前へ出て行くのが道順であった。その後権之助坂ができたが、初めは田道の方へゆく坂であって、今日のように、その曲がり角からまっすぐに大鳥神社前へ向かっていたのではない。

 今日のように大鳥神社へむかう坂路ができたのは、ずっと後からである。その証拠に、坂下の目黒川架橋を「新橋」と呼んでいる。新橋とは新坂下の橋という意味である。だから、権之助坂の一名を新坂とも呼ぶのである。権之助坂の名は古い。その坂を新坂と呼ぶのは、この坂が、古い頃の権之助坂とつながりが少ないので、全体を新坂と呼びたくなったのであろう。(略)

 

 新権之助坂は、今では立派な大道路となった。昔の本通りの行人坂に対しては、北裏通りと言われた昔を、行人坂へ返上して、今では全くの本道となって、かえって行人坂通りの方が南裏通りになってしまた格好である。

 

<行人坂> (ぎょうにんざか)

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    ↑ 行人坂 第17回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.19  / 写真:Atelier秀樹)

 

『秀樹杉松』102巻2766号 2019-1-3/hideki-sansho.hatenablog.com #406