秀樹杉松

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<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(16)二つの南部坂と浅野屋敷

南部坂」はなぜ二つあるのか?、「南部坂雪の別れ」はどっちの坂か?

 今回は旧南部藩に関わる「南部坂研究」です。横関英一氏の著述に、一昨年11月の「秀樹杉松坂めぐり」の写真もつけました。南部藩に関係する方はもとより、そうでない方も是非お読みください。 / Atelier秀樹

 

 東京には、江戸時代からの南部坂が二つある。一つは港区麻布盛岡町の南部坂(編注:今の赤坂2丁目と六本木2丁目の境)で、もう一つは、港区赤坂福吉町と麻布今井町との境(編注:今の南麻布4丁目と5丁目の境)の南部坂である。赤坂の南部坂の方が、麻布の南部坂よりも古い。南部坂の名称起因は、坂のそばに南部屋敷があったからである。南部の殿様は、奥州盛岡の城主で二十万石の大名であった。

 

 南部坂(赤坂)
              第2回秀樹杉松坂めぐり(2017.11.23  /写真:Atelier秀樹)

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 南部坂(麻布)
              第1回秀樹杉松坂めぐり(2017.11.21  /写真:Atelier秀樹)       

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 正保元年の江戸地図を見ると、赤坂の南部坂上には「南部山城守下ヤシキ」とある。それから後世麻布盛岡町と呼ばれたところには、「浅野内匠頭下屋敷」とある。(いま有栖川記念公園のあるところ)。その頃から約30年経った寛文13年2月の寛文図を見ると、赤坂の南部坂の頂上、南部山城守の下屋敷があったところが、「アサノ采女となっていて、麻布の浅野内匠頭下屋敷のところは、「南部大ゼンと変わっている。

 

 正保図と寛文図とを並べて見ると、期せずして、南部邸と浅野邸が入れ替わっている。この入れ替わりは、南部家の記録によっても明らかにされている。明暦2年2月、南部山城守重直の赤坂築地の中屋敷と、浅野内匠頭長直の麻布の下屋敷とが相対替(あいたいがえ)になったのである。この時以降、麻布の浅野屋敷は南部屋敷に変わったのであった。

 

 この南部屋敷のそばにあった坂に、南部坂という名が生まれたのも、浅野屋敷がなくなって、その後へ南部屋敷が移ってきてからのことである。浅野の屋敷がここにある間は、いつまでたっても、南部坂という名は生まれてこなかったわけである。麻布にあった浅野屋敷の内匠頭というのは、赤坂屋敷の浅野采女正長友の父で長直といい、この長直の孫が浅野長矩で、元禄時代の内匠頭である。

 

南部坂雪の別れ>

 南部坂について時々問題になるのであるが、「忠臣蔵」という芝居や浪花節の「南部坂雪の別れ」に出てくる南部坂というのは、果たしてどちらの南部坂であったのであろうか。

 『江戸の今昔』という写真集には、麻布盛岡町の南部坂の写真に、次のような解説をつけている。

→ 「元禄年中、義士討入の前日、雪の中を、大石義雄 浅野家奥方に対し御暇乞いに参上、当時御屋敷は左側木立の中と覚ゆ、浪花節により南部坂雪の別れとして名高く、南部森岡よりの古事により森岡といふ也」

 これは大変な間違いである。元禄の頃の麻布の南部坂には、もう浅野の屋敷はなかったのである。明暦2年に浅野家屋敷が南部屋敷と入れ替えになってから、元禄15年で、ちょうど46年も経っているのだ。ここが浅野屋敷でないことは、火を見るより明らかで明らかなことである。第一、ここが浅野家の下屋敷だと言ったのでは、南部坂の解説にはならない。南部屋敷があってこそ、この坂が南部坂と呼ばれたのである。

 

南部坂雪の別れは 赤坂の南部坂

 この坂の付近には、浅野内匠頭長矩の奥方が身を寄せるべき浅野式部の屋敷は、どこにも見当たらない。浅野内匠頭切腹以後、内室(瑶泉院)の引き取られたところは、浅野式部の赤坂下屋敷で、今日の赤坂氷川神社の境内にあたる。ちょうど赤坂の南部坂の頂上辺である。大石内蔵助が雪の降る日に、御後室に最後のお別れに参上したとすれば、その時の南部坂は、この赤坂の南部坂でなければならない享保二十年頃の『続江戸砂子』には、「浅野土州侯上り地、今の氷川神社の境内也」とある。この土佐守は長澄と言って、浅野式部少輔長照の嗣子である。

 

『秀樹杉松』102巻2767号 2019-1-4/hideki-sansho.hatenablog.com #407