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橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』を読む(5) 「日本政府の背信的態度が明らかとなったサンフランシスコ平和条約」

 

 第5回は、沖縄問題の根源「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」です。68年も前のことだから、締結された事情を知っている人も少ないでしょう。私などは、「独立できてよかった」と思った程度で、沖縄には無関心でした。まして若い人は全く知らないわけですね。お読みください。 / Atelier秀樹

  

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        立春まで1週間(2018.1.28   Atelier秀樹撮影)

 

 1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ平和条約の調印により、日本は独立を果たしましたが、沖縄はアメリカの施政下に置かれます。すなわち沖縄は日本から切り離されたのです。奄美、小笠原もそうでしたよね。

 同日に、(旧)日米安全保障条約が締結されます。この安全保障条約によって、「極東における国際の平和及び安全の維持」と「日本国の安全」のために、米国陸海軍は、日本全土で「施設及び区域を使用する」権利を日本に認めさせたのです。

 

 日本国は、アメリカから独立を果たし、主権を回復しますが、沖縄は主権回復しないまま、引き続き米軍の統治下で支配され続けることになりました。アメリカは日本全土で基地を設置できる権利を持つにもかかわらず、日本を守る義務は追わないという日本にとってたいへん不平等な条約であると同時に、沖縄にとっては、日本から切り離されるという、これまたたいへん屈辱的な条約でした。

 

 どうしてこんな条約を締結させられたかについては、いろいろな見解があります。米軍は日本を米軍基地の拠点としてできる限り使いたいので、日本の独立には消極的であり、他方、国務省(外務省)は日本の自主独立に積極的だった。当時の吉田茂首相もなんとか独立を果たしたいとという思いが強く、この利害調整の中で、平和条約とは別に日本が自らの意思で日本国内に米軍基地を設置した体裁を整えたという捉え方に僕は与します。

 もちろん、米ソ冷戦が顕在化した朝鮮戦争が大きな要因となったことも事実でしょう。(略)沖縄戦に引き続き、本土は、本土のために沖縄を犠牲にする姿勢を続けてしまったのです。本土から見れば、日本の独立のためには仕方のないことでも、沖縄から見ればそれは納得できないでしょう。

 

 日本本土においては、日本は主権国家として、自国の政治的・法的手段を使って、米軍基地の撤廃・縮小をある程度実行することもできた。けれども、沖縄は主権を回復できていない状態のなままだったので、米軍の思いのままにされた。主権がないということは、そういうことなんですよ。米軍によって基地を押し付けられるだけでなく、日本本土の米軍基地縮小分を押し付けられるという、二重苦を背負わされてしまた。

 それが今も尾を引いている沖縄の基地負担問題の淵源ですね。沖縄にとって屈辱以外のなにものでもない。沖縄からすれば、こんな馬鹿な話はないわけです。

 

 平和条約に向けた交渉が迫ろうとしていた1951年の段階では、沖縄の人たちの70%以上が、日本国として主権を回復することを望んでいたといいます。ですからこの平和条約によって、沖縄の人が日本政府に裏切られたと思うのは当然だと思うんです。

 

 日本がGHQに統治・占領されて以後、在日米軍兵力は次第に減少していきました。(略)しかしながら、沖縄はサンフランシスコ平和条約が発効してから、沖縄の中の米軍基地は年々増え続けていって、1960年の沖縄に占める米軍基地の面積は50年代はじめのそれに比べて2倍になっています。

 こうした推移は、日本全土における政治の動きや国内法で撤廃することになった米軍基地を、沖縄が肩代わりすることになったと沖縄の人々が感じるのは当然でしょう。ここが、沖縄だけが基地を背負わされているという、沖縄の人々の本土に対する怒りの根源です。

 

 沖縄はもちろん、米軍基地の拡充・増設のための土地の接収を黙ってそのまま受け入れたわけではありません。本土で基地反対運動が起きたように、「島ぐるみ闘争」として抵抗が続けられました。自分の土地が米軍基地に変えられてしまって、住む場所が取り上げられたりするのですから、抵抗するのは当然です。

 

 1953年(昭和28年)に「土地収用令」というものを米軍が発布して、農業で食べていた人の農地も強制的に没収した。沖縄の人の8割が農家だったわけで、生きていくための糧を奪われることになったのです。この抵抗運動は日米両政府を相手に激化するのも当然の成り行きです。

 

 島ぐるみの闘争は、沖縄の軍用地問題が中心となりましたが、アメリカの軍政下での言論弾圧、人権侵害、選挙介入などに反発する社会問題として噴出し、この闘争を機に、ようやく本土の全国紙で大きく取り上げられることになったのです。

 

『秀樹杉松』103巻2793号 2019.1.28/ hideki-sansho.hatenablog.com #433