秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

「健康第一」

 

アメリカ第一」とか「都民ファースト」を声高に叫ぶ政治家が、アメリカや東京に君臨しています。こういう形の政治手法に全面賛成の方もおられる反面、何がしかの違和感を覚える人がいるかもしれません。こうした政治問題が今回のテーマではありません。 / Atelier秀樹

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スカイツリーと東京タワー

 日常生活でよく聞く言葉に「健康第一」があります。これを問題視する人は、おそらく誰もいないでしょう。当然の考え、そして言葉だと思われるからです。私もそうです。

 だが、必要以上に強調されると、「あれ?」と思ったりします。手紙の文末に「時節柄、御身お大切に」はありがたく思いますが、「くれぐれも健康第一にお過ごしください」と書かれていたりすると、「健康第一」にオヤ?とおもったりします。

 

 全く書かれた通りであり、それに違和感を覚える方がおかしいでしょう。私ももちろん健康への配慮をおろそかにしてはいないし、その大切さは自分なりにわかっているつもりです。ある意味わかりきったことを「健康第一」と特に強調されると、なんか自分が健康への配慮に欠けているのを見透かされている感じで、ドキッとします。明からさまに強調されると、ありがたい気持だけでなく、時として“お仕着せがましい言葉”にも思えるのです。

 

 しかし冷静に考えてみると、私が確かに「健康第一」を本気に考えているかどうかは、非常に訝しいのです。健康が大切であることは常識的に知っており、実際そう考えていることも確かです。しかし、

健康を「第一」に掲げて信奉し、日頃の生活でそれを実践しているかと言われれば、そうではないと思います。ですから「健康第一」の強固な信念で毎日を貫いている人から見れば、その限りで、“健康第一”ではないのかもしれません。(さりとて、健康第二、第三ではないが)

 

 現に、何回も病気に罹り、何度も入院手術を経験しています。健康を第一にした生活をしている方に比べたら、確かに際立っているかと思います。前号で「腰痛」や「人工関節」をとりあげ、そこで私の生き方に少し触れました。

「健康第一」という言葉は一度も出てこないのみか、我が人生の生き方として、「自分のやりたいこと、自分にしかできない(と思う)ことをやる」と書きました。健康への配慮、健康第一とかの文言は出てきません。何かをやれば、それに伴う因果関係が生まれるが、その結果は甘んじて受ける、などとも書きました。

 

 「ウォーキング」や川歩き」や「坂めぐり」も終わったので、今後はアウトスポーツ(歩く)はないでしょう。人並みに健康への配慮もしていくつもりです。朝から夜まで、テレビの健康番組などに夢中になっている人を見るにつけ、まさに「健康第一」の毎日で頭が下がります。そういう方は、おそらく100歳まで長生きできるでしょう。長寿への切なる想いに感動します。

 

 私にとっては、健康は目的に非ず、手段(適当な言葉ではないが)です

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『秀樹杉松』104巻2812号 2019.2.21/ hideki-sansho.hatenablog.com #452