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大野幸則『「うたごえ喫茶ともしび」の歴史 ― 歌いつづけた65年間』を読む(続)

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うたごえ喫茶ともしび」の65年の歴史なのだから、長いに決まっています。ですから、ある段階・区切りで「以下省略」とすべきを、私は前号において、「この調子だと長くなるので、ここで打ち止めとします。」としました。これは全く合理性にかけた、一方的な「途中切り捨て」に等しいものであることに気づきました。

しかも、著者の大野幸則氏はこう書いています。

最初の一大事が起こります。なぜともしびが、歌声喫茶として生き残ったのかという質問をとても多く受けます。その答えの一つが1962年から始まる、一大事に立ち向かった先輩たちの行動や考えにあり、そのことによってほかの歌声喫茶と違った道を私たちのともしびが歩むことになったと言えます。」

この「一大事」に入ったところで「打ち止め」にしたのは、著者に対して、また皆様への失礼に当たりました。お詫びを申し上げます。以上の猛省を踏まえ、一段落するところ(第一部終了)までを、続編として本号に書くことにしました。ご了承ください。

/ Atelier秀樹

 

3)歌声喫茶の相次ぐ閉店

最初の一大事!コマ裏「灯」(新宿)にて労働組合結成(1962年)

1962年(S32)2月、一人のウエイトレスが解雇されたことに憤激したコマ裏「灯」の従業員たちは、労働組合を結成、解雇を撤回するよう求めて立ち上がった。労働組合を嫌った経営者は、「経営の見通しが立たない」として「店を閉鎖し、全員解雇する」と通告してきた。労働組合の反対で、通告を撤回。(前号はここで終わりました

 

労働組合、経営立て直し案を提案

創立10年で存立の危機に立たされた組合側は、これを機に、経営立て直しの自主的計画を作成。

店内にたくさんのサークルを作る、②店ステージを文化創造の場にする、③店宣伝を兼ねて積極的に外部団体に出演する

 

サークル協議会の発足  (1963年)

灯合唱団」(53名)、「灯峯山岳会」が作られ、灯サークル協議会が発足。歌声喫茶では、山の好きな人たちによって山の歌が紹介され、数多く歌われた。

 

「灯を守る会」から「灯を発展させる会」へ

経営者の「店閉鎖、全員解雇」の再度の通告に対して、従業員(労働組合)だけでなく、お客さんの有志が「灯を守る会」を結成し、会員は600名に達した。翌年夏、三度目の「閉鎖」通告。何が起こるかわからない状況の中、職場を守るため、従業員たちは店内に泊り込みを始め、守る会の人たちも交代で泊り込みの支援を始めた。経営者も今度は必死の構えで、組合員の追い出しのため暴力団を使うことをほのめかすなどの緊張した毎日であった。「灯を守る会」は「灯を発展させる会」と改称、会員は1400名になった。

7月に「選挙で戸別訪問した」と警察が組合員一人を逮捕し、早朝5時ごろ、100名ほどの警官が店を包囲し、組合員を外へ追い出し、家宅捜査。不当逮捕された組合員は「完全黙秘」で、不起訴処分を勝ち取った。

 

遊びの達人たち

オペレッタ劇団「灯」には「灯」を発展させる会」とともに、多様なサークルがあり、また、「労音ともしび」「AA連帯ともしび」等が、他団体との交流、国際連帯の活動を展開。

 

構成ステージの始まり(1964年)

店再生の自主計画の二番目、「店ステージを文化創造の場に」の方針のもとに、店内構成企画が次々と取り組まれた。国民的課題を正面から取り上げ、また世相を巧みに切り取り、感動的なステージが構成された。

 

平凡パンチに取り上げられた「えらく楽観的な奇妙な争議」(1964年)

1964年、新宿のコマ裏「灯」はついに争議に入り、労働組合が職場管理を続けた暴力団が壊しに来るということで、毎日泊り込みが続いた。

営業後、お客さんが帰った後、一階の客席の丸イスを二階へ上げ、並べてベッドとし、カンパでもらった布団を10枚ほど敷き詰めて泊り込みが始まった。窓からの侵入を防ぐため、内側から板張りをするが、営業中は外さなければならず、毎日付けたり外したり。泊り込みの時間を使って夜遅くまで学習会や討論会が行われるようになり、他の労組から支持者を含めて「労働者の学校」の感を呈した。

このことは「えらく楽観的な奇妙な争議」として若者向け雑誌『平凡パンチ』に取り上げられた。

 

オペレッタ「シンデレラ」の上演(1964年)

「催しをやって、お客さんに来ていただこう。来ていただくことが争議支援ということで、割引券付き前売り券をたくさん売ろう」と話し合い、あちこちへ訴えていった。取り上げた企画はなんと「シンデレラ」。貴族たちの退廃的な生活に飽き足らない開明的な王子は、庶民の娘シンデレラに惹かれ求愛するという設定がお客さんにも大いに受けて、繰り返し店内で上演されるようになった。

 

オペレッタ第二弾「おむすびころりん」(1965年)

集団創作が模索された。ベトナム戦争の影響もあり、もらったおむすびを食べて力をつけたネズミたちが、ベトコンに、そしてアメリカに見立てたイタチをやっつけるというもの。

 

コマ裏「灯」協定書結ばれる(1965年8月)

渋谷の「牧場」の会社偽装解散、組合員のみ解除されたことに対し、「牧場」の労働組合は都労委に提訴、翌年6月都労委は不当労働行為を認めたが、職場復帰はならなかった。

8月には様々な経緯と関係者の努力で、

コマ裏「灯」の労使の協定が結ばれた

一年後の再開を経営者と約束し、コマ裏「灯」から従業員が一時出て、再開を待つということだった。

労働組合と「発展させる会」では、「デッカイ灯を・全都にともしびを!」をスローガンに掲げて、こんな店を東京中にぜひ作ろうと手分けしてオルグに入った。

 

4)西武新宿駅前「灯」の歴史

本書『「うたごえ喫茶ともしび」の歴史』は、私たち(コマ劇場裏「灯」)の歴史が中心になってしまいます。歌声喫茶としては西武新宿線駅前の店が「本家」です。

1960年代後半になると、東京では西武新宿駅前「灯」、吉祥寺「灯」、亀戸「灯」、新宿「カチューシャ」、「カチューシャ」渋谷店、「どん底のみとなる。

 

5)「夜明けの前がいちばん暗い」

 

ともしび運動史上最も困難な時代

1965年と、その後の活動は全く過酷と言ってよい状況だった。まさに「夜明け前夜」の様相だった。コマ裏の一年後の再開が約束されたが、給料は保証されていなかった自分たちで稼ぎ出さねばならなかった。吉祥寺「灯」も閉店が取りざたされ始めた。

ともしび運動の歴史の中で、この時期があらゆる意味で最も困難を極めた。オルグをサボる者、出演先にこない者や、ともしびを辞めようと思う者・・・。にも関わらず、組合員を支えたのは、閉鎖反対の争議時代の団結と、「全都にともしびを!」の夢と、一年後の約束されたコマ裏「灯」の再建再開であった。

 

「灯」吉祥寺店と新宿「灯」の連携

「灯」吉祥寺店でも変化が起りはじめ、社長(当時)から経営の困難さが言われるようになり、従業員たちは仕事を守るため労働組合を結成し、経営者が別だったコマ裏のメンバーと吉祥寺のメンバーが連携し合うようになり、現在のともしびの組織的運動の出発となった。

1961年に作られた吉祥寺「灯」でも1964年、ボーイの一人が当時60円の時給を65円にしてくれと要求し断られたのをきっかけに、労働組合が作られた。結成された労働組合は、新宿コマ劇場裏の「灯」の労働組合に支援を求め、ここから新宿と吉祥寺の関係が生まれたる。(経営者は別)

65年10月頃吉祥寺店で、経営困難を理由に企業閉鎖、全員解雇の通告が出た。しかし、翌66年2月「6ヶ月間、労使双方が努力する」、「6ヶ月たったらまた話し合う」で交渉がまとまった。

閉鎖撤回を勝ち取った日のステージでは、上條恒彦が男泣きに泣きながら勝利の報告をした。伊藤晴夫だけが終始冷静であったと「さすが労組委員長」と評価を高めた。勝利を機会に、上条ほか何名かが「灯」をやめ、巣立って行った

 

亀戸店開店への底流

コマ裏「灯」の時代から、常連のお客さんやサークルの会員、店での構成ステージへの出演者などに、東部在住の人がたくさん参加していた。秋葉原「ドリーム」での一日歌声喫茶は、人的にも地域的にも「灯」と東部を結びつけるさらに強い契機になった。「全都にともしびを!」を掲げた活動の中で、東部におけるかつての南葛労働会からの伝統を受け継ぐ労働運動と、何人かの強力なパートナーの存在との出会いが、

歴史的な亀戸店開店(1966)に結びついていった。

 

文工団「たんぽぽ」―公演活動の開始(1962年)

1960年台半ばは歌声喫茶にとっても転換点で、現在のともしびのもう一つの基礎、公演活動を開始した時代でもあった。

1962年に文工団「たんぽぽ」が作られ、1964年12月にはオペレッタ「シンデレラ」がコマ裏「灯」の店内で初めて上演された。66年11月にはオペレッタ「貧乏神」が四国労音11カ所で上演された。うたごえ喫茶65年になるが、ともしびの公演活動も57年続いている。

 

灯「オペレッタ

オペレッタ「ごんべえかかし」は、「灯」のオペレッタを見た学校の先生から子供向けの作品を是非にと懇願され、一晩でみんなで作った。

なぜ「オペレッタ」という言葉を使うようになったかですが、庶民的な音楽劇を目指した「灯」にとって、ミュージカルでもオペラでもなく、「小歌劇」と訳されるオペレッタがふさわしいと考えた。奇しくも、日本の能と狂言との関係に似ている。

 

6)この時期の「灯」について、あれこれ

「灯」と「ともしび」

歌声喫茶」と「うたごえ喫茶

 <註>この2項については、前号に書きましたので、ご参照ください。

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以上、前号と本号に収めた読書メモは、

大野幸則『「うたごえ喫茶ともしび」の歴史』第一部 創業から国民的ブーム、一転して相次ぐ閉鎖(1954~64年頃)、についてであります。本書(上下2冊、全596ページ)は六部からなっています。

第一部 創業から国民的ブーム、一転して相次ぐ閉鎖(1954~64年頃)

第二部 自主的な店作り、音楽文化集団ともしびの結成(1965~74年前後)

第三部 歌声喫茶の灯消える!」報道、しかし地道に地方へ広がる(1975~84年頃)

第四部 旺盛に展開するともしびの音楽創作活動(1980年代後半)

第五部 危機からの再構築(1990年代~2004年頃)

第六部 うたごえ喫茶の新たな展開(2005年ごろから現在)

 

この六部構成の中から、創業から約10年間の第一部の読書メモを、本ブログ2号にわたって投稿しました。第一部はページ数にして1割強に過ぎません。第二部~第六部は、どうぞ本書そのものをお読みください。

奥付の通り、本書の発行日は6月3日(1週間後)となっています。5月21日の「春の大うたごえ喫茶」参加者には、会場にて特別に先行発売されたので、私は2週間ばかり早めに読むことができました。

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『秀樹杉松』107巻2864号 2019.5.27 hideki-sansho.hatenablog.com #504