秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、深い感動を覚えました(1)。~福沢諭吉の説明を受け、明治五年、博物館に「書籍館」(しょじゃくかん)が併設され、日本初の図書館が誕生。草創期に苦労しながら活躍する、若き日の永井久一郎(永井荷風の父)。「The Pen Mightier Than The Sword.」(ペンは剣よりも強し)~

 

f:id:hideki-sansho:20190629172640j:plain

f:id:hideki-sansho:20190629172649j:plain

f:id:hideki-sansho:20190629172656j:plain

中島京子『夢見る帝国図書館(文藝春秋 2019)

 

 

『夢見る帝国図書館(中島京子著)

を書店の新刊書コーナーで見つけ、すぐ手に取ってみました。読書好きの私は日頃図書館のお世話になっているので、書名の「帝国図書館」に引き込まれのです。帝国図書館といえば上野にあった国立図書館(愛称:上野図書館のことで、今の国立国会図書館の源流の一つ。ちなみにもう一つの源流は、衆議院図書館・参議院図書館。

 

奥付の著者・中島京子さん(1964~ )のプロフィールを読んだら、直木賞泉鏡花文学賞河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、柴田錬三郎賞中央公論文芸賞、日本医療小説大賞、などを受賞している女流作家でした。恥ずかしながら、中島京子さんの作品は今回初めて読みました。

 

この小説は、「わたし」(著者自身?)が十五年ほど前に上野公園のベンチで、

「喜和子さん」と知り合ったことから始まります。「喜和子さん」が書きたいと思って書けないでいたのが、「上野図書館が主人公の小説」(本書p.19)、しかも「お題はね、『夢見る帝国図書館』ていうの」(同p.20)。

「わたし」が書くことになったのが本書、という設定になっています。「喜和子さん」は全くのフィクションなのか、モデルがいるのか、、、。

 

本のには「明治に出来た日本初の図書館と、戦後を生きた喜和子さん。ふたつの物語は平成で一つに―」「『図書館が主人公の小説を書くのはどう?』 作家のわたしに、喜和子さんはそう提案したのだった。」と、この誕生のエピソードとして書かれています。

帯の「本がわれらを自由にする」は、国立国会図書館の「真理がわれらを自由にする」に因んだものでしょう。書名の「夢見る」の意味は何だと思われますか?

ともかく「図書館が主人公」の小説なのです

f:id:hideki-sansho:20190629172012j:plain
f:id:hideki-sansho:20190629171958j:plain

 

本書は、小説の部分帝国図書館史の部分の二つが交互に書かれております。珍しい組み立てで、図書館の歴史と小説の展開をうまく結びつけたのは、さすが名女流作家ですね。この小説は間違いなく名作、名著です。何かの賞を差し上げたいものですね。既存の賞以外にも、例えば「日本図書館協会賞」とか「図書館小説賞」みたいなものも差し上げられたら、なおいいと思います。

 

帝国図書館の歴史部分は、以下の25項から構成されています。正直、よくまとめられていると思います。今回は、1 前史「ビブリオテーキ」東京書籍館時代 「永井荷風の父」を、本文に即して紹介します。

日本初の図書館(書籍館)誕生草創期の苦難、永井久一郎(永井荷風の父)の活躍、を取り上げます。単なる図書館の歴史にとどまらない日本史の勉強にもなります。どうぞご覧ください。そして何よりも、本書そのものを推奨いたします。

 

夢見る帝国図書館

 

・1 前史「ビブリオテーキ」

・2 東京書籍館時代「永井荷風の父」

・3 孔子様活躍す・東京府書籍館時代

・4 寒月と露伴湯島聖堂時代

・5 家事に追われて上野へ 図書館まさかの再度合併

・6 樋口一葉と恋する図書館 上野赤レンガ書庫の時代

・7 上野に帝国図書館出現 またもや戦費に泣かされる

・8 白い化粧煉瓦の帝国図書館、一高生たちを魅了する

・9 図書館幻想 宮沢賢治の恋

・10  『出世』『魔術』『ハッサン・カンの妖術』

・11  関東大震災と図書館の小説の鬼

・12  悲願の増築―そしてまた戦争・昭和編

・13  モダンガールの帝国図書館

・14  上野図書カン、全館ストライキに入ります!

・15  昭和8年のウングリュックリッヒ (不幸)・『女の一生山本有三

・16  913の謎と、帝国図書館のドン・ルイス・ペレンナ

・17  「提灯にさはりて消ゆる」本の数々

・18  動物たちは大騒ぎ①

・19  帝国図書館の略奪図書

・20  動物たちは大騒ぎ②

・21  そして蔵書たちは旅に出る

・22  帝国図書館の「日本のいちばん長い日」

・23  宮本百合子、男女混合閲覧室に座る

・24  ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる

・25  国立国会図書館支部上野図書館

…………………………………………………………….

(以上の25項から数点を選んで、二、三回、原文に即した紹介をいたします)

 

f:id:hideki-sansho:20190629172225j:plain
f:id:hideki-sansho:20190629172236j:plain

 

夢見る帝国図書館・1 前史「ビブリオテーキ」

 

ビブリオテーキ!」 明治政府の要人たちは眉を寄せて口々につぶやいた。

江戸が明治に取って代わられる前に三回も洋行をしていた福沢諭吉の繰り出す奇怪な西洋風言葉には、しかし何処か重厚な響きがあり、無視し得なかった。

 

「言うなれば、文庫だな」「文庫がその」「ビブリオテーキ」「読み本や図画を閉じたのもあれば、古書や珍書もあって、世界中から集まった書物が据えられていて、誰でも勝手に読む。・・・」。「それを西洋語で「ビブリオテーキ」

それがないことには、近代国家とは言えないわけだな」「一刻も早く近代国家にならなければ不平等条約が撤廃できない」「ビブリオテーキがないことには、不平等条約が撤廃できないということか」「そういうわけだ」。

そういういうわけで明治新政府は、ビブリオテーキを作ることを思いついた

                                                            (中島京子『夢見る帝国図書館』p.22-23から)

………………………………………………

 

夢見る帝国図書館・2 東京書籍館時代 「永井荷風の父 」

 

永井荷風の父、久一郎は憤慨のあまり、椅子から転がり落ちそうになった。「本がない?」

彼は二十三歳の若き文部省官吏であり、等級にしてみると八等官だった。しかし、八等官であろうがどうだろうが、彼の書籍への思いの熱さは相当なものだった。ちなみに久一郎はこの時まだ結婚しておらず、のちに自分が永井荷風の父になることなど知る由もなかった

 

書籍館なのに、本がない?」「ないというわけではないが、博覧会事務局が浅草に持って行ってしまって、しかも閲覧禁止にしてしまったので、実質、国民に図書を提供するという書籍館業務は無くなった」同僚が申し訳なさそうに未来の永井荷風の父に言った。

書籍館業務はなくなったって、あんた、始めたばっかりでしょうが!」

 

もとはといえば、大久保利通が、と、久一郎は心の中で呪詛した。

明治五年八月、東京は湯島の聖堂に日本初の近代図書館「書籍館」が開館した。「書籍館」は「しょじゃくかん」と読む。しかし、この書籍館はもともと、博物館との抱き合わせであった。書籍館の開館から遡ること数ヶ月前に、湯島聖堂では日本初の「博覧会」が催された。

 

「来年はオーストリアのウイーンで万国博覧会が開かるっとでごわす、ウイーン万博に日本館を出しもんそう」と大久保利通が言った。「近代国家たるもの、万博に出店しないわけにはいかないな」「近代国家たる日本の産業の粋を見せてやるわけだな」「国家発揚でごわす」「不平等条約の撤廃にも一歩近づく」「まずは東京で予行演習だな」「となると、湯島の聖堂あたりで博覧会をやらねばならんな」。 

明治五年三月に開催されたのが「文部省博覧会」であり、、、大盛況となった。この博覧会が恒久的展示を行う博物館を誕生させた。

 

書籍館は、博物館のオマケではない!」と久一郎は吠えた。ウイーン万博の開催された明治六年に、書籍館事業は文部省から博覧会事務局に吸収され、翌年の明治七年には、書籍は全部、浅草に引越しを余儀なくされて、しかも閲覧が禁止になってしまった。

 

「えーい、いまいましい。博覧会事務局からもう一回文部省に事業を奪還して、人々の閲覧に堪える書籍館を作り直さねば!」心ある文部官僚たちが一念発起し、頑張って書籍館を文部省の管轄に戻した

こうして、明治八年に名前を改めた東京書籍館湯島聖堂大成殿にに発足するのだが、「蔵書はもらっておくよ。これは博覧会事務局のもんだからね」と言い渡されて、蓋を開けてみたら、なんと、本がなかったのである。

 

「本がない?書籍館なのに本がない?」将来は永井荷風の父となるべき久一郎は憤った

国威発揚とか富国強兵とかばっかり考えている明治政府は困るよ国民に本を読ませない国は滅びるよ。本当に大事なのは、教育ですよ。ものを考える力を養うことですよ。ペンは剣よりも強しと言うだろう

 

「なにそれ」。同僚はぽかんとして顔を上げた。「知らんの? ペンというのは西洋の筆ですよ。筆でもって書いたもの、すなわち書物ですよ。書物の力、言論の力は、武力に勝るという西洋のことわざですよ。知らんの、あなた」

f:id:hideki-sansho:20190629190929j:plain
f:id:hideki-sansho:20190630062836j:plain

 それからの久一郎の働きは目覚しかった。「書籍館なのに、本がない」という状態を払拭すべく八面六臂の大活躍をしたのだった。東京書籍館館長・畠山義成に変わり、これらすべてを取り仕切ったのは、弱冠二十三歳の館長補・永井久一郎であった。

何故ならば、畠山館長は、よせばいいのに米国フィラデルフィア万博をを視察に出かけた帰路、洋上で病死してしまったからである。かえすがえすも、恨みの万博である

 

しかし、久一郎の近代図書館にかける情熱の火は赤々と燃え続け無かった蔵書はむくむくと増えて、七万冊を超えるに至った

万感の思いを込めて久一郎は、東京書籍館の新しい蔵書票にこう印刷させたのである。

「The Pen Mightier Than The Sword.(ペンは剣よりも強し) 東京書籍館 明治五年 文部省創立

 

久一郎渾身の英文であった。広く万民の教育に資するという高い志のため、蔵書は無料公開となり、久一郎の若き情熱のもと、東京書籍館の前途は洋々たるかに見えた。一瞬だけ。わずか二年ほど。

風雲は、まさしく本当に、急を告げる。大事件が起こったのは、明治十年のことであった。

「は、い、し?」 永井荷風の父、久一郎は、再び憤激のあまり椅子から転がりそうになった。「廃止って、どういうこと?まだ、開館したばかりでしょうが!」

「永井さんも知らないわけじゃあるまい。いま、政府が何にてんてこ舞いしているか」「なにって、なに?」「そりゃあんた、西郷隆盛の挙兵じゃありませんか!」

「西郷さんと、われわれ書籍館になんの因果関係?」西南戦争で戦費がかさんじゃって、国は、経費節減、行政機構縮小を図ることになりました」「な、なんですと」書籍館のように金を食うばかりで戦さの役に立たない事業は、廃止することになったそうです

 

このようにして、永井久一郎の夢はわずか二年で潰えたのであった。無念。いとおしい蔵書を、東京府に下げ渡し、東京府書籍館として存続させるために奔走すると、久一郎は東京女子師範学校三等教諭兼幹事に転任することとなったのであった。

失意の久一郎は、ぽっかりと胸に空いた穴の存在を感じ、「嫁でも、もらうか」と考えた。そして、この年、師である鷲津毅堂の娘、恒と結婚し、小石川区金富町に居を構えた。

 

長男の壮吉、のちの断腸亭主人、永井荷風が生まれるのは二年後のことである

                                                          (中島京子『夢見る帝国図書館』p.32-38から)

...........................................................

 (写真撮影:Atelier秀樹)

............................................................

『秀樹杉松』108巻2887号 2019.6.29/ hideki-sansho.hatenablog.com #527