秀樹杉松

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樋口一葉と恋する図書館! ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (3)

 

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『夢見る帝国図書館(中島京子著) の読書メモの第3回です。

明治5(1872)年創設の日本初の図書館「書籍館が、幾多の苦難変遷を経て

帝国図書館」となったのは34年後の明治39(1906)年

それから戦後の昭和22(1947)年に「国立図書館」と改称するまでの41年間が「帝国図書館」という館名です。それに先立つ「東京書籍館」「東京府書籍館」「東京図書館」、そして終戦後に改称した「国立図書館」を含めた76年間(1948年の国立国会図書館誕生まで)を、まとめて「帝国図書館」と呼んでもいいでしょう。

本書「夢見る帝国図書館」もこの76年間を対象にしています。

 

 

さて、今回の読書メモはスゴイ内容です。本書のハイライトと言ってもいいでしょう。向学心の高い明治の若者たちは日毎図書館に通い、のちに文士、作家、文学者などとして名を馳せた人が数多います。図書館に魅せられたように日参して本を読み、せっせと書き写したのです。

 

これを図書館から見たらどうなるでしょうか。実はこの小説は「図書館が主人公」と称するだけに、図書館の側から来館者をじっくり眺め、心から歓迎し、恋もしたのです。わたしは読んで感動を覚えました。特に、今回とりあげる

夏子(樋口一葉)と恋する図書館に! 作者・中島京子さんの軽妙な筆致には、本当に感心し、感動しました。本文に即した形で紹介します。ぜひ、ぜひ、ご覧ください。

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夢見る帝国図書館・6 

樋口一葉と恋する図書館 上野赤レンガ書庫の時代

 

もし、図書館に心があったなら、樋口夏子に恋をしただろう。そのうら若き女性は、ある時期から頻繁に図書館を訪れるようになった。

 

ひどい近眼のくせに、決して眼鏡をかけようとしない頑固な一面を持つ彼女の目に、建物全体は、あるいはぼんやりとしか映らなかったかもしれないが、図書館のほうに目があったなら、その両眼は常に彼女に釘づけになっていたに違いない。

 

上野の森に居を移した図書館は、最初のうちこそ教育博物館に間借りしていたけれども、とにもかくにも閲覧室の入った建物を新築して体裁を整えた。

若き樋口夏子が図書館にあらわれるのは、それから何年も立たないころだろう。安藤坂の萩の舎に通い始めるのは明治19年、夏子、15歳の時のことだが、萩の舎の友人と連れ立って、上野の図書館にはよく通った。少なくとも明治24年の日記には、頻繁に通う姿が登場する。

 

どれほどの書物を読んだことか。図書館は、我が懐で飲むように書籍を読了していくこの稀代の女流作家の卵が、可愛くて可愛くてならなかったに違いない。そもそも図書館がこの東京の地に書籍館」と名付けられて産声をあげた年と、樋口夏子がこの世に生を受けた年は、同じ明治5年であった。そのことも、図書館の夏子に対する偏愛の一つの理由になったかもしれない。

 

そればかりではない。図書館は、彼女を生涯悩ませ続けた金の苦労を、わがことのように知っていたのであった。図書館に心があるならば。樋口夏子は短い生涯を、いつも金のことばかり考えて暮らした。金がない。今日も明日も金がない。金さえあればと、なんど思ったことか。

金と本。彼女の人生の二大テーマだった。それは、図書館もまったく同じであった。上野の図書館の歴史は、常に資金源に泣かされた歴史であったから。

 

そして夏子の三つ目のテーマであった。図書館も夏子に恋をした。あの夏、熱い日差しを避けて建物に入った夏子に、高い窓から気持ちのよい風をせいいっぱい入れて、ほてりを冷ましてやったのは、図書館であった。

 

細い字で、備え付けの閲覧証書に書名や分類番号を書き、図書館司書におそるおそる差し出す夏子に、男の司書が「間違っている」だの「書き直せ」だの、わざと意地悪しているとしか思えないことを言うので、図書館は、この司書の態度に腹を立て、つるりとした廊下ですっころばせて、したたかに腰を打ち付けてやったこともあったのである。

 

この司書が必要な書類を紛失したり、なぜか建物の中で咳が止まらなくなって厳粛な館内でみんなから白い目で見られたりしたのは、すべて、夏子に優しくしなかったことへの、図書館の意趣返しであった。試験が近いので法律の勉強をしにくる者も多かったが、夏子の顔をじろじろ見たり、ひそひそ陰口を叩いた者が、みな試験に落ちたのも、図書館の仕業であった。

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しかし、図書館にとって最大のライバルは、夏子の師、半井桃水だった。ここで本を読むのがいちばん勉強になるのに、来てもいい頃合いに彼女が来ないと、半井桃水の家に行っているのではないかと疑われてならなかった。来ても、時折、本を読まずにぼーっとしている姿を見るにつけ、図書館は悔しかった。なんだ、あんなやつ

 

図書館は、桃水が夏子と一緒になったも同然とか、小説は俺が書いてやったんだとか、言いふらしている噂を聞きつけて悲しくなった。いい歳して、お人形で遊んでいるような男に、夏子はふさわしくないと思った。それで、夏子が桃水と会うのをやめたと知ったときは、ほっとしたのだったが、彼女の心までが断ち切られたわけではないことを、図書館は知っていた。

 

図書館は、夏子の書く小説が好きで好きでたまらなかった。小説の載った雑誌が送られてくると偏愛して、誰にも貸したくないとすら思った。夏子の小説が評判になって、文壇の寵児たちが彼女の家に頻繁に訪れるようになると、図書館は誇らしくもあったが、以前ほどには図書館に現れなくなったのを、仕方がないと思いながらも寂しかった。

夏子の生前に出た唯一の著書である、お手紙の書き方指南書『通俗書簡文』を、図書館は万感の思いで胸に抱いた

 

彼女の葬儀の日森鴎外は騎馬で葬列に加わりたいと願ったが図書館も動けるものなら葬列に参加したかった。夏子は明治29年の11月23日に息を引き取った。

図書館は、死後に出版された樋口一葉の本を次から次へと愛した。全部愛した。小説も歌も日記も手紙もすべて愛した

 

図書館には鴎外漱石露伴も来た。徳富蘆花島崎藤村も通った。田山花袋も日参した。およそ明治の文学者で上野の図書館に行かないものはなかった

けれども、誰がなんと言おうと、図書館が最も愛したのは、この、肩こりで近眼の、金の苦労の絶えなかった、薄命の女流作家であるに違いない。

中島京子『夢見る帝国図書館』p.94-98より

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(写真撮影:Atelier秀樹)

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『秀樹杉松』108巻2888号 2019.7.1/ hideki-sansho.hatenablog.com #529