秀樹杉松

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関東大地震。悲願の増築、そしてまた戦争 ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (7) ~

 

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中島京子『夢見る帝国図書館読書メモの第7回です。

今回は大正12年関東大震災と、悲願の増築ですが、またしても戦争突入で図書館の夢は吹き飛びます。本シリーズも次回で終了の運びとなりました。なおこれまで通り、なるたけ本書の文章に即した読書メモです。どうぞお読みください。

夢見る帝国図書館・11  関東大震災と図書館と小説の鬼

 

予算不足に泣かされ続けた帝国図書館初代館長・田中稲城は、大正10年11月、本人の願い出により退官した。じつに、24年、東京図書館詰を兼務した時期を入れれば、31年の長きにわたる奉職であった。後任は、東京高等師範学校教授の松本喜一で、まず、帝国図書館司書を兼任し、帝国図書館長事務取扱いを命じられたのちに、大正12年1月、正式に館長を拝命した。

 

かの大災害が帝都を襲ったのは、その年の秋のことである。揺れがきたのは、9月1日午前11時58分だった。昼飯を準備する時分時が災いしてか、震災は、多くの出火ををも引き起こした。

 

書籍の運命と言うなら、この時特筆すべき史実として、日本橋丸善の全焼が挙げられる。このほかに、東京帝国大学図書館も焼失して50万の書籍を失った。松廼舎(まつのや)文庫も類焼、神田神保町の古本屋街も火に包まれ、天文学的な数字の頁が灰燼に帰した

 

この地震の後は、様々な流言が跋扈し、上野公園内の帝室博物館も帝国図書館も皆焼けた、動物園の猛獣類は逃走すると危険だからことごとく射殺してしまたという(うわさ)も流れた。

 

いつものように図書館業務を行っていた帝国図書館にも、当然ながら揺れはきた。しかし、コンクリートで補強した鉄骨煉瓦造の重厚な建物はこの激震に耐え、屋根や壁に少しの損傷と、書架の倒壊を起こしただけで無事だった。消失図書は和洋合わせて922冊、破損図書は8500冊のみで、帝都の図書館としては奇跡的に少ない被害を記録したのであった。

 

しかし、この時、図書館周辺で何が起こっていたかといえば、とんでもない事態が発生していたのである。日活、帝国博品館松坂屋は一夜にして焼け落ちた。帝都破滅とまで言われた地震とその後の火災の中を、少しの家財道具を積んだリヤカーとともに、あるいは着の身着のままで、人々は逃げ惑い、上野駅広場に殺到した。群衆は、そのまま、火の手のない上野公園に上って来る50万人にのぼる人々が、上野の山に押し寄せた

 

帝国図書館は、この緊急事態を受けて、ただちに館を開放して被害者を収容し、仮の避難所の役割を担って、救助に努めたのだった。しかし、帝国図書館といえども、50万の被災者すべてをいけ入れられるはずもなく、館内に入りきれない人々は上野公園内の森の中に野宿を強いられた。二日目には、雨が降った。その頃から、あの流言飛語は、図書館の建つ上野の山にも谺(こだま)するようになる。

 

朝鮮人が井戸に毒を入れた / 朝鮮人が爆弾を抱えて火をつけて回っている / 上野松坂屋が全焼したのは、朝鮮人の仕業だ / 朝鮮人が三千人、爆弾を抱えて帝都に向かっている / 朝鮮人がいたらつかまえろ / 捕まえて、アイウエオと言わせろ /、、、、/ 言えないやつは、朝鮮人なので殺してしまえ / 朝鮮人を見つけたら、殺してください

 

小説家の宇野浩二は、上野桜木町で被災した。9月2日には、宇野も例に漏れず、自警団として繰り出されることになった。自宅の近所で警戒していたが、そのあたりは警備の人も多いので、人の少ない上野の森の奥にも行ってやらないといけないと誰かが言い出す。町内の6、7人とともに、小説の鬼こと宇野浩二が及び腰で出かけて行ったのは、上野の美術学校と帝国図書館の門の入り口あたりであった。

 

小説の鬼帝国図書館入口の角の草原にしゃがみ込み、こんな恐ろしい警戒は一刻も早くやめにしたいとだけ考えながら、空の星をひたすら睨んで小一時間を過ごす。

「誰だ!」耳元で割れるような鐘のような声がした。それと共に、剣つき鉄砲の切っ先が、小説の鬼の鼻先に突き出された

 

このとき、宇野の舌が恐怖にもつれて思うように動かなかったならば、そして兵隊に言えと強要されてなにがしかの言葉がうまく出てこなかったならば、あるいは、上野桜木町の町会の仲間が止めに入らなかったならば、小説の鬼はその銃剣の先で喉か心臓を突かれていただろう、朝鮮人として

 

この数日間、帝国図書館を擁する上野の森にも、根も葉も無い流言飛語を信じたものたちによって殺された人々の死体が、投げ出されることになったのだった。

 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.156-160から)

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夢見る帝国図書館・12 

悲願の増築 ― そしてまた戦争・昭和編

 

関東大震災は、帝都の読書子に衝撃的な影響を与えた。読むべき本の多くが、被災して消失したからである。堅牢な鉄骨煉瓦造りの帝国図書館は幸いにして被害が少なかったため読書子はここに殺到し、震災前の数倍の利用者が薄暗い上野の森に列をなすこといなった。

 

入館できない人々は、鬱蒼とした樹々にお猿さんのようにぶら下がったり、ごろりと置かれた石の上に亀のように腹ばいになったりなどして、ただもう、待つだけの一日を送っても、中に入れず失望して帰るなどということになり、明治以来の悲願であった増築は、もう一刻の猶予もない、という話になった。

昭和に入ってようやく第二期拡張工事が始まることになったが、図書館員たちは、これが中途半端な増築に終わるのではないかと、心の底から懐疑的だったらしい。

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ビブリオテーキを作るって言って、図書館事業を起こして早や54年帝国図書館設立案が制定された明治30年から数えても、四半世紀以上が過ぎました。ところが結局のところ、欧米諸国みたいな立派な図書館は、できてない。もう諦めて現場に甘んじようという腰の引けた気持ちになりがちですが、そんなことではいけません。本館建築、完成させましょう別館を作るわけじゃないんですからね。本館が、まだ4分の1しかできてないって、思い出しましょう。第二期拡張工事にとどまらず、引き続き増築、増築を切望します!

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というような意味の文章が図書館の年報に載り、ともかく昭和2年に拡張工事は始められたそれから2年かかってようやく竣工した新館もちろん、本館の一部であることはいうまでもない)は、鉄筋コンクリート造りで、ルネッサンス様式を踏襲した、三階建てに地階を持つ建物であった。

 

これだけあれば、文句ないだろう。と、文部省が思ったかどうか知らないけれども、実はこれで明治期初期に構想した帝国図書館の建物の、ようやく3分の1にも満たない部分が完成したに過ぎない

 

こんなことではごまかされんぞ!有識者たちはたいへん不満に思い、昭和10年帝国議会に建議を提出した。「何ですか、これ。単に閲覧室と事務室の一部をちょっと増やしただけじゃないですか。閲覧者は日増しに増加しており、このままにしておくわけはいかないのであります。特に書庫の整備を改良増築して時代の要求に応ずることは、社会教育振興上、最必要であると認めますので、本案を提出します!」

 

この建議は可決されて、図書館の更なる増築の必要性は認められたにも関わらず、その後、帝国図書館が増築されることはなかったのである。東洋一の夢は、ここに潰える

 

昭和12年7月、盧溝橋事件の勃発により、日本は再び戦時体制に入る。そして同16年12月には米英両国と戦端を開く

 

図書館には永井荷風の父、久一郎の亡霊が現れて嘆いたに違いないのだった。またもや戦費が図書館の金を食ってしまうのかと。

 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.170-172から)

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写真=Atelier秀樹

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『秀樹杉松』108巻2893号 2019.7.5 / hideki-sansho.hatenablog.com #533