秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

田道間守(たじまもり)説話と、文部省唱歌  ♪田道間守。70年以上前を思い起こしました。

 きのう(12月27日)、練馬の<ふらっと b おんがくたいむ>で、今年を締めくくる歌声に参加しました。いつものように前日以前に寄せられたリクエスト曲を前半で、当日の参加者から出されるリクエスト曲を後半で歌いました。

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前半のリクエスト曲の中に「田道間守」(たじまもり)があるのを見て、非常に驚きました。なぜなら、第一に、こんな古い曲がリクエストされたことに先ずびっくり、第二に、戦時中の国民学校(戦後小学校となる)時代に私が感動して歌った曲(文部省唱歌)だったからです。

 

そんなわけで、みんなでたう前に私は特に発言を求め、いま書いたことを申し述べました。そして、「こういう古い文部省唱歌をリクエストされた方を尊敬する、この席にいらっしゃいますか」と尋ねました。「それは私です。母がよく歌っていた歌でしたから」と、私の隣のご婦人が答えられたので、さらにびっくりしました。

 

この方はどうやら、私と同年輩かと見受けました。長嶋真美先生主宰のこの <ふらっと b おんがくたいむ> の参加者は、男性よりも女性が多く、男女とも(調べたわけではありませんが)“後期高齢者”が多いようです。リクエスト曲に、文部省唱歌が含まれるのは、<新宿ともしび>を上回るような気がします。

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という次第で、70年以上前に歌った文部省唱歌 ♪田道間守 を歌いました。大昔?のことなので、記憶もぼんやりしつつあり、ちゃんと歌えるかどうか若干不安もありましたが、歌い出したらスラスラといきました。哀調を帯びた「♪いま帰る田道間守、田道間守」を、感情を込めて歌い上げました。

 

天皇の命で橘を求めて海を渡った田道間守10年後に任務を果たして帰朝したが、天皇はその1年前に崩御天皇のお墓で泣き悲しんで自殺した。国民学校生の時に何度も歌って、田道間守を立派だ、可哀想だと思ったことを、昨日のように思い出しました。だから私は、この歌をリクエストされた方を尊敬したいのです。有難うございました。

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田道間守(たじまもり)の説話

 

当然ながら、田道間守について、wikipediaで調べてみました。日本書紀古事記などに書かれている説話ですが、文献によって多少異なる記述があるようですが、論文ではないので簡潔に、日本書紀中心にまとめてみました。 

 

それによると、田道間守(たじまもり)記紀に伝わる古代日本の人物で、天日槍(アメノヒボコ。渡来人または渡来神)の後裔。三宅連(三宅氏)の祖。現在は菓子の神、菓子祖としても信仰さているそうです。

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さて、天皇の命を受けて橘を求めて常世の国(海外)へ出かけたときの、説話を紹介します。私のような年配者は別として、全くご存知ない方も多いのではないでしょうか。どうぞお読みください。

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垂仁天皇90年に、田道間守天皇の命により非時香菓(ときじくのかくのみ)、すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国(とこよのくに=古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界)に派遣された。しかし垂仁天皇は(9年後の)垂仁天皇99年に崩御。翌年(すなわち出発から10年経って)(景行天皇元年)田道間守は非時香菓8竿、8縵(葉を取った8枝、葉のついた8枝)を持って常世の国から帰ってきたが、天皇はすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵(みささぎ=墓)で自殺したという。

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 文部省唱歌「田道間守のうた」の歌詞を紹介します。

 

田道間守(文部省唱歌

 

かおりも高い たちばなを

積んだお船が いま帰る

君の仰せを かみしめて

万里の海を まっしぐら    

いま帰る 田道間守 田道間守  

 

おわさぬ君の みささぎに

泣いて帰らぬ まごころよ

遠い国から 積んできた

花たちばなの香とともに

名はかおる 田道間守 田道間守

 

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『秀樹杉松』111巻2957号 2019.12.28/ hideki-sansho.hatenablog.com #597