秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

川越宗一『熱源』(162回直木賞受賞)を読む  ~ 壮大な、国際的な、歴史的な、人間の大ロマン。「生きるための熱の源は、人だ。」(本書p.371) ~

 

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川越宗一『熱源』文藝春秋 2019刊) 

 

芥川賞の古川真人『背高泡立草』につづき、直木賞の川越宗一『熱源』を読みました。受賞したばかりの芥川賞直木賞作品を読んだのは、今回が初めてです。読んだ動機は大した理由ではなく、前者は書名の「背高泡立草」に惹かれ、後者もやはり「熱源」とは何だろうと。

 

著者(川越宗一氏)の略歴を見たら、1978年生まれで42歳と若い。龍谷大学文学部史学科中退。2018年「天地に燦たり」で松本清張賞受賞、とある。文学部史学科に学び、第1作目でいきなり松本清張賞、そして2年後の今年、42歳の若さで直木賞、、、。いうことないでしょう!迷うことなく、書店ですぐ買いました。

 

芥川賞の『背高泡立草』の読後感を「秀樹杉松」(2/9)に書きました。その時の見出しは、芥川賞は、(私のような)「大衆」には手の届かぬ背高「純文学」賞でしょうか?!としました。

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さて今回の直木賞『熱源』は何とすべきか、ちょっと難しい。あまり褒めると前者に悪いし、さりとて過小評価はもちろんできない。「手が届いた」とはとても言えず、全部理解できたかどうかの自信もない。しかし、限りない親近感と共感を覚えたことは確かです。

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この小説の内容は複雑で壮大です。登場人物も、アイヌポーランド人の二人が、いわば「主人公」で、歴史的とも国際的とも言えるでしょう。展開される舞台も、樺太(サハリン)を中心に、北海道、ロシア、ポーランドリトアニア、そして驚いたことに南極も登場します。登場人物も、アイヌ、日本人、ポーランド人、、、多彩です。

 

この小説の主人公・樺太出身アイヌのヤヨマネクフ山辺安之助)、ポーランド人のプロニスワフ・ピウスツキらの他に、南極探検隊長の白瀬矗(のぶ)アイヌ語研究家の金田一京助、南極探検隊後援会長の大隈重信、らが登場することです。時代も明治から終戦までの長きに渡ります。

 

本書の広告(アマゾン)「圧巻の歴史小説」「書き下ろし歴史大作」は大げさではないと思います。本書末尾に「この物語は史実をもとにしたフィクションです」と記載されていますが、<本屋が選ぶ時代小説大賞2019>受賞も当然でしょう。

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私の下手な“解説・感想”はこの程度にして、ちゃんとした専門的な文章に耳を傾けましょう。

アマゾン情報(amazon.co.jpを紹介します。

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樺太の厳しい風土やアイヌの風土が鮮やかに描き出され、国家や民族、思想を超え、人と人とが共に生きる姿が示される。読者の心に「熱」をおこさずにはおかない書き下ろし歴史大作

 

故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌは「アイヌ」として生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島樺太(サハリン)。人を拒むような酷寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太アイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感動に揺り動かされる、圧巻の歴史小説

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私の世代(戦前に国民学校初等科で、戦争教育を受けた)は、樺太アイヌは馴染みがあるが、若い人はあまり聞いたことがないかもしれません。樺太は日本統治の頃の呼び名で、今ではサハリンと呼ばれている。この小説では、アイヌ樺太のことが描かれており、初めて知ることが多い。

 

私はしばしば、自分が読んで満足・感動した小説を、「面白くてためになる小説」と形容評価しますが、この『熱源』は、そうですね、、、「自分が知らなかったことが色々わかった」「勉強になるだけでなく、読んで楽しい壮大な、国際的な、歴史的な、人間のロマン」としか、表現できません。何はともあれ、多くの方にこの本をお薦めします。

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最後に、書名に用いられた「熱源」は、本書の2カ所に出てきました。

生きるための熱の源は、人だ。/ 人によって生じ、遣わされ、継がれていく。それが熱だ。/ 自分の生はまだ止まらない。熱が、まだ絶えていないのだ。/ 灼けるような感覚が体に広がる。沸騰するような涙がこぼれる。/ 熱い。確かにそう感じた。(第五章 故郷 p.371)

 

→「もう一つ故郷がありましてね私には」/ 流刑で凍った魂に生きる熱を分けてくれた島。そこから出て何を成せたわけででもないが、生きているうちにもう一度帰りたいとずっと思っていた。/ 「いや、故郷と言うか―」/ 答えながら足を上げ、前に出し、踏み下ろす。いつもどおりとはとても言えないが、まだ歩けている。/ 「熱源」と言ったほうがいいですね」/ 次の足を踏み出す。ドアのノブまで、あと一歩と少し。手を伸ばせば届く。視界が低く、暗くなっていく」(第五章。p.388)

 

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(写真撮影:Atelier秀樹)

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『秀樹杉松』112巻2969号 2020.2.20/ hideki-sansho.hatenablog.com #609