秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂が俺を呼んでいる。待ってる! ~ 坂/坂名の魅力と坂学会坂プロフィール (第1回)

 

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2月の坂学会(松本崇男会長www.sakagakkai.org坂研究会は、渡邊一夫講師による「坂は変わる。変わる坂」という研究報告でした。「坂とは?」に始まり、1、坂は、なぜ、生まれたのか、2、坂は変わるもの、などの研究成果が発表されました。

 

私は「坂は変わる」が非常に勉強になりました。渡邊先生は坂が変わる事情として (1) つづら折りから直線へ、(2) 坂の勾配を緩やかに、(3) 道路行政が坂を変える、(4) 坂の両側のほとんどは私有地。私有地は姿を変えやすい、(5) 大規模再開発が坂を変える、を挙げられましが、全くその通りだと共有しました。

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私は1年少々前に坂学会に入会して以来、坂研究会で松本崇男会長(坂学研究の権威)の研究報告などを何回か受けております。実を申す、と私は2017年11月に、"坂道シリーズ” と愛称される乃木坂46」「欅坂46につられて「乃木坂」「鳥居坂」「けやき坂」を見に行きました。その時に坂道への興味が湧き、これをきっかけに、23区でいちばん坂が多い港区の「坂めぐり」を始めたのでした。

 

いつの間にか坂に惚れ込み、「坂が俺を待っている!」「坂に会いに行こう!」とばかり、坂歩きをかさね、気がついたら876坂に達しました。坂めぐりでは、坂だけでなく周辺の名勝旧跡などの写真も撮りました。この写真を含めて、自分のブログ「秀樹杉松」に投稿しました。当然、歩いた坂の坂名などの「坂研究」を、事前事後に致しました。坂めぐりは、単なる「坂歩き」にとどまらず、何がしかの「坂研究」と不可分だったからです。

 

つまり、坂学会入会以前にも、私なりの坂研究(初歩的ではありますが)を重ねていました。少し本格的に坂研究をしたい、との気持ちで坂学会に入会しました。松本会長の「坂研究報告」には、毎回感動しました。こうした事情・経緯を踏まえ、先日の渡邊講師の「坂は変わる」は、876坂を巡り歩いた私の胸にストンと落ちました

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渡邊さんの研究報告に触発されて?、私も坂について少し書いてみようか、の気持ちが湧いてきました。さはいうものの、「研究報告」などはとても無理だから、自分の関心事である「坂名」を取り上げようかと。坂名研究は坂学の中心テーマの一つで、古くからいろいろ語られ、言い伝えられ、書かれています。現にいま私の手元(座右の書)には、横関栄一『江戸の坂 東京の坂(全)』(ちくま学芸文庫) があります。

 

ところで私は、坂めぐりに際しては、当初は日本坂道学会の「東京23区の坂道」(tokyosaka.sakura.ne.jp.)、その後は長い期間、坂学会の「坂学会/東京23区の坂」(sakagakkai.og)に依拠しました。こうした坂ファイルがなければ、876坂を歩き、しかもそれをブログに投稿することなどは、とてもできなかった筈です。坂学会に深い敬意と共有感を抱きました。だからこそ、坂学会に入会させていただいた次第です。

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以上縷々綿々綴ったように、「坂学会/東京23区の坂」に依拠して、「坂名」について少し書くことにしました。もちろん「坂名研究」という大げさなものではありません。実は、渡邊さんの「坂は変わる」にちなんで、「坂名も変わる」に留意しました。

 

一つの坂でも、時代を経るにつれて坂名が変わったりします。坂ファイルを見ると、「坂名」のほかに「別名」が掲載されている坂もあります。最初から複数の坂名があったケースよりも、その坂の時代環境の変化につれて坂名が変わり、その結果複数の坂名が発生した場合が多い、ように私には思われます。

 

そこで、坂歩きをスタートした坂(乃木坂・鳥居坂・けやき坂)があり、23区内で最多の坂数を有する港区内の坂に標準を合わせて、「別名」が記載されている坂、すなわち、複数の坂名を有する坂に限って、坂名を紹介することにしました。“坂名研究”などとはとても言えず「坂学会/東京23区の坂」の紹介の域を出ない内容です。坂研究の最高レベルと思える「坂学会/東京23区の坂」ファイルの紹介ですので、重要な参考資料にはなるかと確信します。

私は876坂を巡り歩いた直後の、本ブログ『秀樹杉松』(2018.11.23)の「坂めぐりを終えて(2)」で、坂に行き続けたのはなぜだったかを自問し、「坂が俺を呼んでいる・待っている」からだと自答しました。今回のタイトルを「坂が俺を呼んでいる・待っている」とした理由です

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序説は以上にとどめ、本編に入ります。まずはじめに、東京23区の坂数の現況を、坂学会のHPから紹介します。整理・集計と一覧表作成には「秀樹杉松」編集部(Atelier秀樹)が当たりました。

 

坂学会 / 東京23区の坂

                 

        坂 数   別名有    %      (消滅坂)

港区    130   57  43.8%  (4)

文京区   127 69 54.3%  (2)  

新宿区   114   42 36.8%  (4)

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板橋区    67  11

千代田区   66    31           

○北区     62  12

○世田谷区     58      

大田区    55      

○杉並区    48      3        (8)

○目黒区    47     12      (4)

○渋谷区      40    7

○品川区    27   

台東区    25     12                  (2)

○豊島区      19     

○中野区      12     

荒川区    10     

……………………………………………………………

練馬区            

墨田区            

○足立区           

江東区            

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江戸川区    0     

葛飾区     0    0

中央区     0    0

ーー―――――――――――――――――――――

23区合計 921  277  30.0%  (24)

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<編注>

1)23区の坂数は全部で921、うち24は現在では消滅した坂。

 

2)港区・文京区・新宿区の3区内の坂が断然多く、最多は港区の130坂で、以下文京区の127坂、新宿区の113坂と続きます。

 

3)ベスト3区(港・文京・新宿)がそれぞれ3桁の坂数ですが、2桁は板橋区の67坂以下の13区、1桁は練馬区など4区となります。

 

4)当然のことながら、下町地域の区には坂(名前のついている坂)は少なく、江戸川・葛飾・中央の3区は、坂数ゼロです。

 

5)「別名」を有する坂、すなわち複数の坂名をもつ坂についてみると、今回取り上げる港区にあっては、全坂数130のうち、複数の坂名をもつのは57坂(43.8%)です。

 

6)文京区は、127坂中69坂(54.3%)が別名を持っており、半数以上が複数の坂名を持っています。23区全体では、921坂のうち277坂(30.0%)、約3割が複数の坂名を持っていることになります。複数の坂名ということは、その坂が歴史を持っている、ということでしょうか。その意味で、今回の「複数の坂名を有する坂」は、坂に関心のある方はもとより、関心のない方にも、何がしかの参考になると思います。

 

7)それでは、「複数の坂名をもつ、港区の坂 」を投稿します。ただし、港区内の坂に限っても相当量になるので、“一挙掲載”は避けて、今号に全部は諦めて、残りは次号に送ることにいたしました(長くても一気に読みたい方、短いのを何回か読みたい方、がいらっしゃるでしょうが、、、)

…………………………

 

【凡例】

 

坂名 別名

「坂学会/東京23区の坂」の文章(そのまま)

編注

編者たる私の注記です。876坂を歩き(多少の勉強もした)私の補足・コメント・感想・呟き、みたいなものです。坂学研究の専門家には「ろくに勉強もせずに、分かったようなことを勝手に書いている」と叱られるでしょう。それでいいのです。坂研究者・専門家と庶民の橋渡しが、私の役割だと思っていますから。本項を読まれた方のお一人でも「坂は面白そうだ」「いつか坂歩きしてみようかな」、と思っていただけるなら、それだけで大満足です。

(港区坂標識)……… 港区設置の坂標識

(坂標識なし)……… 坂標識はない。坂の説明板のような場合は、それを記載しました。

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<編注>先ずは、私の坂めぐりのスタートとなった3坂(乃木坂・けやき坂・鳥居坂)から始めましょう。

 

1) 乃木坂 行会坂、なだれ坂、幽霊坂、膝折坂

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 *坂下寄り一の鳥居脇に大きな石碑が建っている。「乃木坂の由来 乃木大将の殉死された大正元年9月以来、幽霊坂が乃木坂と改名された。寄贈 東京赤坂ライオンズクラブ」。(坂標識なし)

編注

明治時代は幽霊坂。この坂は、別名(行き会い坂・なだれ坂、膝折坂)が多いですが、説明はない。でも坂名から、急坂だったことがわかりますね。因みに、「坂道シリーズ」の “長女”?に当たる乃木坂46はこの坂名に因んでいるそうです。

 

2) 鳥居坂鳥井坂

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 *江戸時代の半ばまで、坂の東側に大名鳥井家の屋敷があった。元禄年間(1688~1703)ごろ開かれた道。(港区坂標識)

編注

乃木坂46」に続く坂道シリーズの ”次女”?欅坂46は、メンバー募集時は鳥居坂46」であったが、メンバー発表時に突如欅坂46と変更発表されたのでした。その意味で、鳥居坂とけやき坂は因縁があるわけです。

 

 

3) けやき坂

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*六本木6丁目、六本木ヒルズ内。2003年6月に開業した六本木ヒルズの中を、東西に通るメインストリート。坂名だけを書いた標識はないが、構内のあちこちに立っている案内板に、坂の名が書かれている。→「 けやき坂 KEYAKIZAKA

編注

けやき坂は誕生から17年にすぎず、別名はありませんが、前項の鳥居坂との関係から、特別に加えました。「欅坂46」は募集段階では「鳥居坂46」だったからですが、もう一つの理由は、私が最初に歩いた坂にこの「けやき坂」が含まれるからです。

因みに、「欅坂46」の二軍的存在だった「ひらがな欅坂」が成長して、「けやき坂」になり、さらに発展して「日向坂46」と改称しました。(高齢の私が知っているのはおかしいですね?)

  

4) 日向(ひゅうが)坂 ひなた坂、袖振坂 

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 *江戸時代前期 南側に徳山藩毛利日向守(ひゅうがのかみ)の屋敷があった。袖振坂ともいった。由来は不明。誤って「ひなた坂」とも呼んだ。(港区坂標識)

編注

日向(ひゅうが)坂をひなた坂と呼んだのは、よくわかります。ヒュウガは難しいし、ヒナタは暖かくていいですからね。

因みに、「けやき坂46」が「日向坂46」と改称しましたが、ヒュウガではなく、ヒナタと読ませます。アイドルグループとしては当然でしょう。活躍を期待しています。

なお、別名の「袖振坂」の由来は不明とあるが、「日向坂46」の美女たちが振袖姿で日向坂を歩くのを、私は一度見てみたいですね!

 <編注2

秋元康プロデュース乃木坂46」「欅坂46」「日向坂46」は、坂道シリーズ”と愛称されています。実は、私の坂めぐりには、こうした背景(坂道シリーズのへ行ってみよう)もあったのです。

因みに、私は秋元康に注目しています。秋元康作詞の「川は流れる」(美空ひばり) は、“人生賛歌”の名曲に思えて、私の愛唱歌です。「新宿ともしび」などでは、蛮声を張り上げて歌っています。

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5) 安全寺坂安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂

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 *坂の西に江戸時代、安全寺があった。誤って安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれたことがある。(港区坂標識)

 <編注>安全が安鎮、安珍、安心、安泉、安楽など、似たような発音・意味合いの坂名でも呼ばれた。こうしたケースは、別名には少なくありません。

 

 

6) (いたち)イタチ坂

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 *この坂につながる「(ねずみ)」「植木坂」と紛らわしく説明されたり、植木坂の一部と説明されることもあった。坂名の由来についての確証はないが、起伏の激しい谷筋にあっただけに、いたちも出没して人を騒がしていたのではないか。続いている鼠坂や近くの狸穴(まみあな)にも対応しているのかもしれない。坂下の東は崖となって谷に続き、西は山地の崖際で、いわば崖の一部を削って道としたような位置にある(「東京の坂風情」より)。(坂標識なし)

編注

今の私もそうですが、昔は鼬と漢字で書ける人は少なかったでしょうね。イタチと書いた理由は明白。全く同じ坂でも、記録があれば、イタチ坂は別名になるのです。

 

 

7) 牛鳴坂牛啼坂、皀角(さいかち)

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 *赤坂から青山へ抜ける厚木通りで、路面が悪く、車をひく牛が苦しんだため名付けられた。さいかち坂ともいう(港区坂標識)

編注

鳴=啼ですが、違う漢字だと別名となります。漢字がカナになっている場合でも、同様に別名となります。こういうケースが当然多いわけです。私の勝手な感覚ですが、別名の「皀角坂」は、坂のあたりに皀角(さいかち=落葉高木)でもあったんでしょうか。この例のように、坂周辺にお稲荷さんがあると「稲荷坂」などが坂名となっており、坂名の特徴です。

編注2

横関栄一著『江戸の坂 東京の坂』(以下、横道書と略称))では、坂名「牛啼坂」別名「牛なき坂」「皀角坂」となっています。「新潮国語辞典」で調べたら、「【鳴く・啼く】鳥・虫など、動物が音声を出す、となってますが、国語辞典ですから、それ以上は踏み込んでいません。

<編注3>

ほぼ同じ意味で使われていても、漢字が違えば少し意味合いが違います。例えば、<見・視・観>、<聞・聴>など。愛用の「学研 漢和大字典」で<鳴・啼・泣>を調べました。

鳥がなく。また、獣などが声を出す。(鳥偏)

 つぎつぎと声を出して続けてなく。鳥獣が鳴くときにも用いる。(口偏)

  声を立てずになみだを流してなく。「泣」は「水+粒の略体」の会意文字で、なみだを出すことをあらわす。(サンズイ偏)

<編注4>

これではっきりしました。やはり「泣」は人間が涙を流してなくことですね。サンズイ偏だから、私は「水が立つ」すなわち「涙が出る」と直感しましたが、ほぼ当たり!でした。

口偏の「鳴・啼」は「声を出してなく」で、想定内でしたが、「啼」は「つぎつぎと声を出してなく」は、全くの想定外でした。

しかし言われてみれば、「鴬が啼く」や「月落ち烏啼いて霜天に満つ」 も、啼き続ける鴬・烏にぴったりですね!

<編注5>

いまでは、声を立ててなく場合も「泣く」ですが、件の大字典にはこう出ています。

「泣」「哭」(大声をあげてなく)に対することば。確かに「慟哭」(どうこく=悲しんで大声をあげて泣く)と言います。

「哭」= 大声をあげてなく。「口二つ+犬」の会意文字。犬は大声でなくものの代表で、口二つはやかましい意を示す。なるほど「犬が哭く」ですか。普通は「犬が吠える」ですが、口は一つだけですね、

同じ口偏でも、咆・吼は「猛獣が太い声でなく」なそうで、確かに「咆吼(ほうこう)と言いますね。

<編注6>

車をひく牛が苦しんだため牛啼坂と名付けられた(坂標識)とありますが、それならいっその事「牛泣坂」と呼びたいですね。牛が野原や牧場で草を食みながら、のんびりモーと「鳴く」のはピッタリですが、坂がきつくて・荷物が重く辛いのだから、牛の目にも涙が光っていたのではないでしょうか。「泣く」がいいのでは?これから私は、この坂を(勝手に)「牛泣坂」と呼ぼうかな。

 

 

8) 円通寺 円通坂

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  *元禄8年(1695)に付近の坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前、同名の別寺があったともいう。(港区坂標識)

編注

ここでも、お寺の名前が坂名となっています。坂名が地名にもなっていたようです。近くにお稲荷さんがあれば「稲荷坂」。

 

 

9) 桂坂(かつら)坂、魚堅かつお

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 *むかし蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。鬘をかぶった僧が、品川からの帰途急死したからともいう。(港区坂標識)

編注

「鬘」は難しい漢字なので、意味が全く違っても、「桂」が使われたのでしょうか。桂は当て字、とありますが、近くに大きな桂とか、キンモクセイがあったかもしれない、と想像することもできますね。研究論文だったら、とてもこんなことは書けませんが、気楽な立場での呟き(Twitter)です。

かつお」の説明はないが、カツラとカツオは似てますね!カツラの「ラ」を走り書きしたり、離れてみると「」に見えませんか?ですから「カツヲ」ではなく「カツラ」だ、と書かれたのを読んだか、聞いたような記憶がります。しかし、自信はありません、記憶違いだったらごめんなさい。「カツオ」との関係があるからの別名かも知れません。

 

 

10) 土器(かわらけ)河原毛坂

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 *坂名の由来には2説あり。①渡辺綱がここで川原毛(黄褐色ないし亜麻色の毛色)の名馬を求めた。②この土地に土器師が多くいたため(「東京の坂風情」)。(坂標識なし)

編注

土器と河原毛は共にカワラケですね。2説あると紹介されてますが、どちらかを別名とすることになります。これは発音「カワラケ」で両立する、好例でしょう。最初から同時平行ではなく、どっちかが後付けの場合も当然考えられます。

 

 

11) 雁木(がんぎ)岩岐坂、雁来

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 *階段地になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角に組まれていたからともいい、当て字で岩岐坂とも書く(港区坂標識)。

編注

この例のように、当て字も使われています。しかし私などは「雁来」に雁が渡って来る光景、「岩岐」には敷石を感じたり、勝手な坂名の“ロマン”を抱くのです。

 

 

12) 紀伊国 紀国坂、茜(あかね)

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 *坂の西側に江戸時代を通じて、紀州徳川家の広大な屋敷があったから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある。(港区坂標識)

編注

Wikipediaには次のように書かれています。「赤坂の地は古くは茜坂と呼ばれていて、茜草が群生していた茜山へ上る坂(今の紀伊国坂)を茜坂と呼んでいたのが、赤坂に転化したという」。

なお、「横関書」には「赤坂とも」とあり、赤坂を紀伊国屋坂の別名としている。

編注2

紀伊国」の別名「紀国坂」は、後出の鮫河橋坂の別名にもなっています。また「紀国坂」は千代田区(竹橋〜北詰橋:北はねばし)にもありますが、横関書では「紀の国坂」と「の」が入っています。

 

  

13) 三光坂三鈷(さんこ)坂、三葉坂

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 *本来は坂下専心寺にあった三葉の松に基づき、三鈷(さんこ・仏具)坂だったという。日月星の三光などともいう(港区坂標識)

編注

サンコとサンコウ、二つだったのか、一つだったのか、いや三つ?

 

 

14) 三年坂三念坂

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 *三年坂は別名三念坂などとも呼ばれ、同じ名前の坂が他にもあります。京都清水のそばに同名の坂があります。昔の人が遠く京都をしのぶ気持ちを坂の名前に込めたとしたらロマンでしょうか(麻布土木事務所の由来碑)。(坂標識なし)

編注

三年坂、三念坂は坂研究にはよく出てきます。難しくなるので省略しますが、横関書には次のように書かれています。

 

→「三年坂にまつわる俗信ー 三年坂と呼ぶ江戸時代の坂は、いずれも寺院、墓地のそば、または、そこからそれらが見えるところの坂である。三年坂はときどき三念坂とも書く。昔、この坂で転んだものは、三年の内に死ぬというばからしい迷信があった。お寺の境内でころんだものは、すぐにその土を三度なめなければならない。もちろん土をなめるまねをすればよいのであるが、こどものころやらされたものである。....三年坂というのは、坂のそばに寺か墓地があって、四辺が静粛で、気味の悪いほど厳粛な場所の坂を言ったもののようである」

 

これだとなるほど、三年坂を三念坂としたくなりますね。同時に「三念」の意味はなかったのかと、私などは思ったりします。横関書には、6つの三年坂と2つの三念坂が載っています。

 <編注2

坂学会坂ファイルによれば、千代田区五番町にも「三年坂」があります。千代田区の坂標識には、「新選東京名所図会」を引用して、「三年坂は今の通称だが、三念坂が正しい。むかし三念寺の寺地だったからの坂名(三念坂)である。しかるに、俗間誤って三年坂と称し、、、」。これによると、三念寺というお寺の「三念」はどういう意味だったか、お寺さんだけに、三つの念とは何ぞや、と詮索したくなりませんか。果たして、三念=三年なのか、、面白いですね。

編注3

横関書には次のように書かれています。「市ヶ谷御門内(今の五番町)のこの坂を、初めは三念寺坂、三念坂と書いたと思うが、ここに寺がなくなると他の「さんねんざか」と同様三年坂と書くようになった。つまり、上記の坂標識と同様、元は三念坂だったとの見解ですね。しかし、「他の『さんねんざか』と同様、、、」が気になりませんか。三年坂で転ぶと3年以内に死ぬ、とされた三年坂の名称が敬遠されないのはなぜだったにか、私には気になるのです。逆に三年坂を三念坂に改称するなら、すんなり分かるのですが。実際には、23区内には横関書にによれば、三年坂が6、三念坂が2です。

 

 

15) 大黒坂大国坂

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*大国坂とも書く。坂の中頃北側に大黒天(港区七福神の一つ)を祀る大法寺があったために呼んだ坂名。(港区坂標識)

編注

別名の「大国坂」の説明はないが、単なる語呂合わせ?それとも? なお「一本松坂」(元麻布)の別名が「大黒坂」となっています。

 

 

16) (たぬき)旭坂、まみ坂

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 * 人を化かすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは、東へ登るためか(港区標識)。

編注

まみ(猯)は、狸または日本穴熊

 

 

17) 道源寺坂道源坂

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*江戸時代の初めから、坂の上に道源寺があった。その寺名に因んで、道源寺坂または道源坂と呼んでいた。(港区坂標識)

編注>寺周辺の坂名に多いケース。

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編注区内の130坂のうち、複数の坂名を有する坂は57坂です。本号で17坂を紹介しましたが、あと40坂が残っています。残りの坂は、次号に持ち越しとなりますが、2号で終わるか、3回シリーズになるか。坂学会の坂ファイルの紹介がメインですが、<編注(Atelier秀樹執筆)も併せお読みいただければ、と願っています。では、次号をお楽しみに。

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(写真撮影:Atelier秀樹)

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『秀樹杉松』112巻2970号 2020.2.28/ hideki-sansho.hatenablog.com #610