石原慎太郎『老いてこそ生き甲斐』 (幻冬舎 2020.3刊)
石原慎太郎氏といえば、『太陽の季節』(芥川賞受賞)、『狂った果実』。
“太陽族”、「...障子に穴...」、“慎太郎刈り”、、、色々ありました。
政治家として東京都知事を4期務め、国会議員、大臣等を歴任。太陽の党を結党、、、。知らない人はいない、と言ってもいい有名人でしょう。その慎太郎氏も88歳。2014年末に政界引退。4年前の2016年には政治小説『天才』を発表。
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本書表紙帯
私は(実を申せば)、石原新太郎氏の小説や著作をこれまで読んだことはありませんでした。意外な感じを受けるかもしれませんが。「本を読む」ことでは人並みか、場合によってはそれ以上の私ですが、「縁が薄かった」のです。理由は特にないが、読みたい作家や本がいっぱいあって、石原さんの本までは手が届かなかった、だけのことです。
(真実は)本を手にして読む必要もなかったのです。マスコミが詳しく報道してくれたからです。『太陽の季節』は第1回文學界新人賞、翌1955年には34回芥川賞受賞で超有名でした。いまWikipedia(http://ja.m.wikipedia)で検索したら、「発表されるや文壇のみならず一般社会にも賞賛と非難を巻き起こした」とあります。それほどの、有名作品・問題作でした。
いまでも覚えているのは「障子に穴」です。いま「障子に穴」でネット検索したら、障子に穴が開いた時の紙の貼り方とか、子供や猫が障子に穴を開ける、、、などしか出てこない。
「障子に穴 石原」と打ち込んだら、次のように出てきました。
→ 田嶋陽子氏がテレビに出演し、石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』について、「太陽族ね、そうそう、〇〇〇で障子に穴を開けるっていうあの小説」と説明した(2017年)、とズバリ出てきました。(daily.co.jp)
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“コロナ在宅”でいろんな本を読み、何件かは本ブログ「秀樹杉松」に投稿しました。先日歩いて10分ばかりの書店の新刊書コーナーで、石原慎太郎『老いてこそ生き甲斐』に目が止まり、買い求めました。石原さんも米寿に達し、こういうことを書くようになったんですね。書名にも関心があるし、石原さんの本を一度読んでみようと思ったからです。
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本書の構成は、第一章「老い」の定義 にはじまり、以下、親しい人間の死・長生きの是非・肉体的挑戦・執着の断絶・過去への郷愁、とつづき、第八章 老いたる者の責任 までです。もちろん第一章から第八章まで全部読み、いろいろ勉強になり、考えることもありました。読んで良かったです。本稿では、私の関心が一番高い 第一章「老い」の定義 のみを取り上げます。
石原さんらしく正確な表現の文章ですが、ほんの触りの部分のみを、原文のままご紹介します。
◉第一章「老い」の定義 から (色付けは引用者)
○大別して生殖期と呼ばれる時期の終わりと、その後に時間の経過とともに到来する更年期と、その後に起こる老化の体現によって老いとして認識される。(p.22)
○我々は老いてからの生き甲斐を開発しなくてはなりません。それは定型的に与えられるものではなくて、あくまで人間それぞれが自分自身で開発を試みることです。(p.25)
○若い頃の迷いや悩みへの解決より残されている時間が少ないだけに、はるかに重く大切な決断を要するに違いないが、それを乗り切ることそのものが老いてこその人生の生き甲斐であり、味わいに違いありません。現代の高齢社会は、その気になりさえすれば若い頃し残した、自分自身を活かす試みを受け入れる機会をふんだんに設けているはずです。(p.27-28)
○老いてこその、新しい生き甲斐を自ら作り出していくしかありはしません。要するに死を己の意思の及ばぬ未来としてではなく、意思の及ぶ「将来」として見据えて進むしかありはしないのです。将来ならば強い意志さえあれば新しい生き甲斐が生まれてくるはずです。(p.30)
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』113巻2991号 2020.5.6/ hideki-sansho.hatenablog.com #632