秀樹杉松

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鈴木旭『古代みちのく101の謎』を読む(3)~ ○ 5万年前の神都(十和田高原)、○キリストの墓(新郷村)、 ○意味不明の民謡「ナニャドヤラ」

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『古代みちのく101の謎』(3)

5万年前の神都 (十和田高原)/「キリストの墓(新郷村) /「ナニャドヤラ」の民謡(盆踊り)をお届けします。どうぞお読みください。

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18竹内文書』に記された「5万年前の神都」とは?ー 十和田高原

 

1)十和田湖は青森、岩手、秋田の県境が接する高原地帯にある。この十和田湖に不思議な伝承が残されている。今から5万年前のこと。「天神7代」から「上古25代」に移り、「不合(フキアエズ)」の御世であったという。

 

2)上古25代を数える歴代王朝の第24代の天皇、ニニギノスメラミコトが「天浮船」(アメノウキフネ)という宇宙船のような飛行物体に乗って世界を巡航した後、十和田高原の迷ヶ平(眉ガ平:マユガタイラ)に降り立って、そこに仙洞(都)を開いたという。

 

3)その時、まだ十和田湖はなく、その上には「大十和田山」という巨大な円錐形状の山が聳え立っていた。現在の十和田高原一帯に裾野を広げ、悠然として周辺の外輪山を睥睨(へいげい)していた。現在の景観とはだいぶ、趣を異にしている。

 

4)そこへ降り立ったニニギノミコトは、大十和田山の東にある十和利山(とわりやま)を聖地とし、山頂に「皇大神宮」を祀る一方、中腹に間口227.3メーロル、奥行き290.73メートルもの巨大な神殿を築いた。神殿を中心にして東西16.5キロメートル、南北19キロメートルという途方もない広さの神都を築き上げた。

 

5)この神都は1万年もの長い間、「世界政府」として栄えたが、ある時、大十和田山の大爆発によって一瞬のうちに消滅し、火山灰の下に埋れてしまった。

にわかには信じられない話である。

 

6)しかし、昭和10年8月のこと。皇祖皇大神宮茨城県)の管長と名乗る人物が突然、十和田高原に現れ、戸来村の佐々木傳次郎や秋田県大湯町町長の諏訪冨多、画家の鳥谷幡山らと共に十和利山に登ると突然、叫んだのであった。「このトガリ山こそ、5万年前のピラミッド山である。山の小高い丘には太古の大神殿が築かれ、50体の神々が祭られたのである」

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7)その男こそ、竹内文書(たけのうちもんじょ)という謎の古文書を伝える竹内家当主、竹内巨麻呂(たけのうちきよまろ)であった。彼は十和利山が「5万年前のピラミッドである」と叫ぶと、当家伝来の古文書に「トガリ山は日本最初のピラミッドである」と書いてあると言い切った。同行した戸来村長や大湯町長、画家らは大いに感動し、率直に喜びの声を上げた。十和田高原が ”神秘の里”  謎の超古代文明の発祥地として知られるようになったのは、この時からである。

 

<編注>

①地球と人類の歴史を克明に記した世界最古の文書が、私たちの国・日本に存在します。それが本HPで紹介する竹内文書です。(takenouchi-documents.com

竹内文書(磯原文書、天津教文書とも)は、古代の文書を装ったとされる偽書。(ウィキペディア ja.m.wikipedia

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19 意味不明の民謡とキリストの墓のある村の謎 ー 新郷村

 

1)十和田湖の東にある十和利山に登り、この山が「5万年前のピラミッドである」と叫んだ男、竹内巨麿は、戸来村(へらいむら=現在新郷村)も訪れている。そして、村でも一、二を争う古い家柄を誇る沢口家の近くに来ると、古墳状の塚を指さして叫んだのであった ー「この塚こそキリストの墓だ!」 余りに唐突な巨麻呂の言葉に、周囲の人々は絶句した。

 

2)当然である。キリストはゴルゴダの丘磔刑にされ、その場で果てたことになっている。そういう人物の墓が日本にあるはずがない。しかし、巨麻呂によればゴルゴダの丘磔刑になったのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本への脱出に成功。名を「十来太郎天空」と改めて戸来村に住むようになり、そこで亡くなったというのである。

 

3)しかも、キリストは二度にわたって日本を訪れており、垂仁天皇(第11代)の即位10年の頃、初めて日本を訪れ、数年に及ぶ修行を重ねた後、ローマ人の支配するユダヤの地に帰り、二三年後、再び日本を訪れているという。言われてみれば、『新約聖書』を見ると、どういうわけか、12歳前後から30歳までの17年間が空白のままになっている。どこへ行ったものやら、一旦、姿を消しているのである。その間、キリストは、どこで何をしていたのだろうか。

 

4)当時、巨麻呂らに同行した佐野美津男氏は、記憶を頼りにして『東北の秘境探訪』を著し、面白いエピソードを紹介している ー

戸来村でキリストの墓を発見したときの竹内巨麻呂たちの行動は、よく言えば神秘的だが、村内をくまなく歩き回ったあげく、天を仰ぎ地を調べては、一人でうなずき、「やはりここだ」とつぶやいたが、私どもにはさっぱりわからない。

 

5)結局のところ、竹内巨麻呂が「キリストの墓だ」と叫んだから “キリストの墓” になってしまったのであるが、そうとばかりは言えない謎が戸来村には幾重にも重なっている

 

6)お盆や大祭の時、戸来村では昔から三嶽神社に集まり、「ナニャドヤラ」という意味不明のフレーズを口にして歌い、踊り明かす風習があった。

 

7)「ナニャドヤラ、ナニャドナサレダ、ナニャドヤラヨウ」「ナギャドウヤーレ、ナギャドナサレーノ、ナギャドウ、ヤーレヤーエ」

 

8)戦前の神学者川守田英二氏が調査したところ、これが「お前に聖名を褒め讃えん。お前に毛人を討伐して聖名を褒め讃えん」という、ヘブライ語で書かれたユダヤ人の進軍歌であることが判った。それと関連するかもしれないが、周辺には何故か、ユダヤ独特の風習が残されているのである。

 

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<編注>

岩手県北部に生まれ育った私は、子供の頃お盆になると、この「ナニャドヤーラ」を歌いながら踊ったものです。お盆の最後の夜は、この歌に続けて「盆の16日ァ、今夜ばかーり」と、盆の終わりを惜しんだものです。確かに「意味不明の歌詞」だが、あまり気にはならなかった。(念仏みたいなもんだ、と思ったかな?)ともかく、今でも覚えている懐かしい盆踊りの歌です。

 

お盆の期間は農作業も休みで、夜ともなれば、どこかで相撲大会や盆踊りがあったので、子供の頃は毎晩のようにあちこちの集落に出かけたものです。

昔は岩手県青森県もなく、「みちのく」としてつながっていた。今念のため地図帳で測ったら、新郷村とは直線距離で30数キロの距離です。

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写真:Atelier秀樹

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秀樹杉松』117巻3672号 2020.10.22/ hideki-sansho.hatenablog.com #712