秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『眠れないほど面白い空海の生涯』(由良弥生著) を読む(No.2)〜「第一部 一沙門(あるしゃもん)との不思議な巡り合わせ」

 

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由良弥生著『眠れないほど面白い空海の生涯』を読む (No.2) をお届けします。本書の「第一部   沙門あるしゃもんとの不思議な巡り合わせ」です。

 

 

 

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先ずは冒頭に、注記を3つ出しました。本稿の進行展開に欠かせない事項ですので、お読みいただければ嬉しいです。

 

<注1>

空海に「虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうを伝えた沙門あるしゃもんとは、旧来の通説では勤操ごんそう・ごんぞう三論宗の僧。空海から灌頂かんじょうを受ける)とされてきたが、現在では大安寺の戒明かいみょうではないかといわれている。戒明は、空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した『釈摩詞衍論』しゃくまかえんろんの請来者である。(Wikipedia)

 

<注2>

本ブログ前号(1/16)のように、本書著作者の由良弥生さんはーー 空海一沙門の名を生涯明かさなかった。男の僧ばかり取り沙汰されている(注:沙門=男性修行者)が、私の脳裏を一瞬女性の影がかすめたので、その女性を思い切って一沙門と想定して善道尼ぜんどうにと名づけ、その女性との物語を混在させながら、空海空海の生きた時代を描いてみた(p.5~6)ーーと書いています。

 

<注3>

つまるところ本書においては、空海「一沙門」善道尼は ”恋人”?それとも?本書の最終章「高野山金剛峯寺)の開創と終焉」のp.451には、以下のように書かれています。

 

空海が初めて高野の山地に登った翌年、891年春3月、善道尼は南都(奈良)の大安寺近くの庵にいる自分を捨てて、その山麓の政所に向かった。空海は46歳、善道尼は51歳となっている。

 

→以後、善道尼はこの政所に住み、近事女ごんじにょとして空海の世話をする。空海はひと月に何度も山道を下って政所に善道尼を訪ね、翌朝、山上に戻ることを繰り返す。そのたびに善道尼は若い頃の空海との日々を思い起こしては優しく微笑するという日々がつづく。

 

山上にいる空海山麓の政所にいる善道尼との逢瀬は数ヶ月しか続かなかった。空海は勅命により宮中の中務省に入ることになり、山を下りて再び高尾山寺に居住することになったからだ。

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私には程遠い宗教の世界。読むにつれて、難しいこと初めてのことばかり。書かれていることは、その限りで一応はわかったつもりでも、とてもとても。それでも、読書メモの一端をブログ投稿することにしました。お読みいただければ幸いです。

 

聞きかじり”という言葉がありますね。今回の私の場合は”読みかじり”かなと思い、そういう表現があるかどうかネットで検索しました。驚いたことにありました!。出てきたのは『聞きかじり 見かじり 読みかじり』(歌舞伎役者:八代目坂東三津五郎の随筆集 昭和40刊)です。なるほど「読みかじり」は、半世紀前に使われていた。

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本書は第一部~第十部構成ですが、2回目の今回は「第一部 一沙門あるしゃもんとの不思議な巡り合わせ」を取り上げます。8節からなっていますが、本稿ではそれぞれについて、ごくごくコンパクトに紹介します。

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🔹1) のちの空海、佐伯真魚さえきのまおの誕生  (p.16〜19)

→地方官の家系の父と学者の家系の母。空海の幼名真魚 (まお。まいお・まな とも)。

<注>

当時、精気の強い動物の名をつけて、健康を期待するならわしがあった。「な」というのは下等な魚を、「いお」あるいは「お」は上等の魚を指したと考えられる。真魚まおとはのことではないかと言われている。

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🔹2)15歳で、旧都・平城京にのぼる  (p.18〜23) 

真魚は生まれつき聡明で物わかりが早く、5・6歳ごろから漢学を学び、神童と呼ばれることもあった。

→母方の叔父・阿刀大足あとのおおたりに伴われて、旧都・平城京にのぼり、今毛人いまえみしの建てた氏寺(佐伯院)にしばらく留まり、大足に漢籍を学ぶ。

<備考>

天台宗の開祖となった最澄は、空海(真魚)の7歳年上の22歳で、すでに比叡山比叡山寺(のちの延暦寺)を開いている。

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🔹3)都に一つしかない大学に入学  (p.24〜26)

→官吏養成の最高機関で都に一つしかない大学(正式には大学寮)に入学。今毛人の建てた氏寺佐伯院)に寄宿して、官吏養成の明経科で儒教四書五経)を学ぶ

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🔹4)大学に充たされず、ふさぎ込む日々 (p.26〜31)

→中央の官吏になるというコースが突然、無意味でばかばかしいものに思えた。官吏になっても、しょせん藤原一族のいずれかのもとで働くだけのこと、藤原氏の出身でない者の出世は先が知れている。

そんな真魚の前に一人の女性にょしょうが現れる

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🔹5)19歳、性への関心と欲望  (p.31〜38)

→大安寺によく出入りするようになった真魚は、ある日、一人の女性にょしょうに心を奪われる。19歳の真魚と24歳の善道尼(一沙門)の出会い真魚は形成されつつあった自分の性欲が、善道尼との出会いで完成されたことを実覚し、充たされなかった日々は充された。

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🔹6)善道尼ぜんどうにの告白  (p.38〜42)

善道尼は大安寺の主座(トップの地位)にある勤操ごんぞうという僧に、近事女ごんじにょとして使えている在俗(在家=出家していない人)の仏教徒の一人だった。

 

→(真魚の愛の告白を聞いて)自分を想ってくれる男性ひとがほしかったので、心を許せる相手が見つかり、本当に嬉しい。

 

→わたくしの俗名は容子です。は藤原種次の暗殺に関与したとして逮捕され、桓武天皇によって淡路国に配流された早良親王さわらしんのうです。

 

→その夜、善道尼は親王禅師と呼ばれた早良親王と自分の生い立ちについて語った。

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🔹7)光仁天皇の第二皇子 早良さわら親王(善道尼の父)の生い立ち

   (p.43〜45)

早良親王(750~785)は光仁天皇(白壁王)の第二皇子で、第一皇子は山部親王(のちの桓武天皇)といい、実兄(同母兄)にあたる。

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🔹8)天皇家の兄弟対立(天智天皇天武天皇(p.45〜47)

→およそ100年前の天智天皇天武天皇の兄弟対立。天智系と天武系の敵対関係が続く。

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🔹9)他戸おさべ親王早良親王の弟、皇太子)即位後の不吉な密告  (p.48〜51)

→”井上皇后が我が子・他戸おさべ親王の即位を願い、夫・光仁天皇を呪い殺そうとした”

光仁天皇は、上皇后と他戸皇太子を廃し、第一皇子の山部親王を皇太子に立てる。

井上とその子・他戸の母子は幽閉され、幽閉先で同時に急死

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🔹10)天武系皇族の廃絶を企てる式家の陰謀  (p.51〜54)

藤原北家藤原永手の病没をきっかけに、式家の百川天武系の皇族をいっきに廃絶しようとして企てた。厭魅えんみ大逆事件をでっち上げ、井上皇后とその子・他戸親王の地位を剥奪。母子を幽閉、同時に毒殺し、天武系の皇族を廃絶

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🔹11)善道尼の父、早良親王の悲劇  (p.55〜61)

光仁天皇は病を理由に譲位し、太上天皇上皇)となり、皇太子の山部親王が即位して桓武天皇となった。桓武天皇実弟早良親王を皇太子に立てた。

 

式家の藤原種継が暗殺され皇太子の早良親王も関与したとして捕らえられ、皇太子を廃され、幽閉され淡路島へ配流の途中絶命(享年36)。

 

→それを聞いて真魚は、早良親王その短い生涯でただ一人愛した女性の産んだ子が、善道尼と分かった。

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写真:Atelier秀樹

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秀樹杉松』120巻3724号 2021.1.19/ hideki-sansho.hatenablog.com #764