半藤一利さんの遺作『歴史探偵 忘れ残りの記』を読みました。
私は<秀樹杉松>2/4号で、「半藤一利さんを追悼し、名著『日本のいちばん長い日』を読みました」、を書きました。1週間後の2/11新聞広告で、半藤一利『歴史探偵 忘れ残りの記』の発刊を知り、書店に駆けつけて購入しました。奥付を見たら、発効日は前日の2/10となっていました。
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本稿では、『歴史探偵 忘れ残りの記』(半藤一利著、文春新書)を取り上げます。
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1)「書名」
書名の『歴史探偵 忘れ残りの記』は、とってもいいですね。
2)「まえがきに代えて ー 生涯読書のすすめ」
◉「生涯読書のすすめ」は私も全く同感で、子や孫にも強調しています。しかし、半藤さん(昭和5年生まれ)は終戦時に都立中学校(旧制)3年生だったと思いますが、私(6年遅れの昭和11年生まれ)は東北の国民学校初等科3年生に過ぎなかった。
◉まえがきの文中に「歴史探偵を職業とするようになって、、」とか「歴史探偵を自称するようになって、、」と書かれていますが、書名のトップに「歴史探偵」を登場させたのは、自然の流れでしょう。
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3)「あとがき」(絶筆)
◉あとがきの書き始めの文章は、以下のとおりです。
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「わたくしは、ゴルフもやらず、車の運転もせず、旅行の楽しみもなく、釣りや山登りも、とにかく世の大概の方がやっている趣味は何一つやらない。…スマホもパソコンも、…縁なき衆生である」
◉私も「ゴルフ・車・旅行」は全く無縁なので、親近感を覚えます。ちょっと似たところがあるかな?ですが、山登りだけは過去に20年間やりました。また息子のはからいで、パソコンは定年直後(24年前)から、スマホはごく最近から使っています。
◉「あとがき」によれば、本書は半藤さんのエッセイをまとめたもので、出典は文藝春秋の営業部が毎月出していた「新刊のお知らせ」というパンフレットの由。
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「わたくしはそこに一九九九年四月から二〇二〇年一月まで、じつに二十余年も「歴史探偵がいく」と題して連載を続けた」
◉ほかに、新聞に書いたコラム、雑誌エッセイ欄に書いたものなど、
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「老骨が、むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく書いたもので本書は成り立っている」
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絶筆となった「あとがき」は、以下の文章で終わっています。
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「それにつけても、私のエッセイは、いくら好奇心の赴くままとはいえ、いわゆるエッセイの本道からは、ずいぶんとずっこけたものであることか、と深く感じ入った。…大道を行くにあらず俺の楽しみは裏道よ、とあらためて納得した。三つ子の魂百までも、いや、ただしくは九十一まで、東京は向島の下町の悪ガキ育ちの本性は変わらないもんなんであるな」
二〇二一年一月 半藤一利
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◉本書の内容にわたることは控えますが、章名だけを紹介します。皆さん、どうぞ本書をお読みください。
半藤一利さんのご冥福をお祈りいたします。
第一章 昭和史おぼえ書き
第二章 悠々閑々たる文豪たち
第三章 うるわしの春夏秋冬
第四章 愛すべき小動物諸君
第五章 下町のガキの船出
第六章 我が銀座おぼろげ史
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』121巻3742号 2021.2.24/ hideki-sansho.hatenablog.com #782