「〇〇坂」以外の名称の坂は、果たして坂に非ざるか?(承前)ー 坂研究メモ No.4
本ブログ『秀樹杉松』前号(5/17)を承けて、坂名のことを考えてみたいと思います。
1)動物に人・馬・牛・犬・猫があるように、自然にも山・川・海などがあります。山には「富士山」「北岳」など、川には「利根川」「神田川」など個別の名前がついています。
2)山の名前には、富士山・高尾山のような「〇〇山」、北岳・白馬岳のような「〇〇岳」が断然に多いですね。次いで、アサヨ峰・大菩薩嶺などの「〇〇峰(峯・嶺)」もあります。
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3)このほかにも、手もとの『日本の山1000』(山渓カラー名鑑)の巻末「山名索引」を仔細に調べたら、次のような名前の山も出てきました。聞いたことがない山ばかりですが。
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安家森(あっかもり)(北上山地)、美ヶ原・王ガ頭(おうがとう)、大野ガ原・源氏ガ駄馬(四国山地)、三ガ上(中国山地)、三本杭(南予山地)、白毛門(谷川連峰)、陣ガ森(四国山地)、高ドッキョ(興津川流域)、西黒森(石鎚山地)、二の森(石鎚山地)、登り尾(伊豆半島)、八幡平(奥羽山脈)、美瑛富士(石狩山地)、東大顚(吾妻連峰)、檜洞丸(丹沢山塊)、吹越烏帽子(下北半島)、富士見台(恵那山周辺)、二ツ森(白神山地)、平家平(四国山地)、仏ガ仙(中国山地)、マッコウ(中国山地)、山伏(やんぶし)(安倍川流域)
4)ご覧いただければお分かりのように、山・岳・峰の字は見えません。こうした名前の山でも、山名とみなされているわけです。
それなのに、「〇〇坂」でなければ「坂」とは看做さない、というのは可笑しい、と私が考えるのが、果たして「可笑しい」でしょうか。
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5)確かに、坂学会の坂プロフィール登載の坂は、「〇〇坂」ばかりですね。それ以外は坂に非ず、と言いたくなる心情は理解できなくもない。就いては、坂には「〇〇坂」という名前を必ずつける、という風習が強かったのかもしれない。
6)私の坂研究の入門書で、座右に置いてある本は、横関瑛一『江戸の坂 東京の坂(全)』(ちくま学芸文庫版)ですが、本書の「一名二坂」(p.33~36)に、興味深い記述があります。
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一本の道路が、こっちの坂から向こうの台地へ達するには、谷を一つ渡らなければならない。こっちの台には下り坂が、向こうの台には上り坂が、例の通り、谷をはさんでおのおの一つずつできる。
(略)
谷がきわめて小さい場合には、この二つの坂が、相接続した一つの坂の感じになってしまう。この小さな上り坂、下り坂に、別々の名をつけることは厄介である。こうした場合、江戸っ子は坂の名をつけずに谷の名を呼んで、坂の意味を持たした。
御厩谷(おんうまやだに)、鈴振谷(すずふりだに)、樹木谷(じゅもくだに)、笠谷、薬研谷(やげんだに)などと。
御厩谷といった場合は、御厩谷をはさんで向かい合った二つの坂を、同時に言ったのである。それが、いつの間にか坂という字をつけるようになった。御厩谷坂、樹木谷坂、笠谷坂などと。
(略)
赤坂の薬研谷のところの二つの坂を、薬研坂と呼んだのは、実にうまいものだと思う。一つの名称が、二つの坂に利用されたのである。一石二鳥ではなくて、一名二坂である。(略)
薬研ということばが面白い。かた一方の坂だけでは薬研にならない。どうしても、一つの坂がいっしょにならなければ、薬研坂にならないところに味がある。名前のつけ方も、ここまでくるとうまいものだと思う。
7)前項の要旨は、①谷をはさんで向かい合った坂を「〇〇坂」ではなく、そのまま「〇〇谷」と呼んだこと。②それがいつの間にか、坂という字をつけて「〇〇谷坂」となったです。
坂名の付け方の事情や変遷が分かります。坂には「〇〇坂」の名称をつける、風潮も感じられますね。
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以上を踏まえて、『秀樹杉松』にあっては、各地の坂関係者・自治体構築の坂情報はそのまま受け止め、坂名が「〇〇坂」ではない坂名の坂を排除することは致しません。
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』123巻3782号 2021.5.18/ hideki-sansho.hatenablog.com #822