ネット情報で探る「岩手県の坂」(1)」~ 坂研究メモ No.5
「坂研究メモ」No.2「福島県の坂」に続いて、
No.5「岩手県の坂」(1) をお届けします。
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PCトラブルのハプニングのため、入力途中の原稿が全部吹っとんでしまいました。最初からやり直す再構築は大変でしたが、やっと投稿まで漕ぎつけました。しかしどうやら、紆余曲折はマイナスだけではなく、意外と得るところもあったので、「まあ、こんなものか」と。
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「岩手県の坂」は嵩むので、本号と次号の2回に分けて投稿します。この号はいわば”総論”にしぼり、具体的な坂名などは次の号に回します。
今回の試みは『秀樹杉松』の自由研究ですので、本や雑誌などの文献には当たらず、ひたすらネット情報一本に頼った調査研究です。情報化時代の先端はインターネットでしょうが、簡単に検索できる便利さの反面、”痒いところに手が届かない”もどかしさも感じます。
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誰でも(私も)簡単に投稿できるので、情報化時代の現在は、多種多様な情報が入り混じっており、信頼度・正確性などの問題もあろうかと思います。ブログ投稿者の私は、当然のことながら、「いい加減なことは書けない。無責任な投稿をしてはいけない」と自戒しています。
今般の「福島県の坂」や「岩手県の坂」は、ネット情報に全面的に依拠しており、投稿者・サイト執筆者を全面的に信頼して、貴重な情報源をお借り(引用)することになります。ネット情報提供者に、ご挨拶旁お礼を申し上げます。
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それでは、少し立ち入って見ましょう。
<坂名と地名>
「〇〇坂」の中には地名も含まれています。ネット情報の特徴として、キーワードで検索すると、そのワードを含む情報がいっぱい出てきます。例えば「〇〇市の坂」で検索すると、〇〇市の坂は確かに出てきます。
ですが、坂道の坂ばかりでなく、地名や通り名と思われる坂も出てきます。解説や写真などで判断できるケースもありますが、中にはお店屋さんの商号・店名の場合もあります。坂道の坂名でないことが明らかな場合は、除外したりしますが、判断不能なケースもあります。
坂名に由来する地名は多い。いや、すべてそうだと言ってもいいのでは?。坂名が地名になった段階で、坂名は使われなくなり、坂リストから外されろようです。しかし、「坂」であることには変わりません。
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東京23区地図帳を開いてざっと見たら、坂名と町名が一致しているのは、神楽坂(千代田区)、道玄坂(渋谷区)、初台坂(渋谷区)、坂町坂(新宿区)、深沢坂(世田谷区)の5坂が見つかりました(まだあるかもしれませんが)。南平坂(渋谷区南平台町)、代官坂(渋谷区代官山町)はちょこっとだが違う。麻布永坂町(港区)には永坂が見当たらない。港区赤坂には「赤坂」という名の坂は無い。
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情報サイトごとにまとめたので、坂名の重複も当然少しあります。だが、多少の不確かさには目を瞑ります。今回の坂研究は、正確さよりも多くの情報収集を主眼としています。(坂学会「坂リスト」構築の時は、もちろん精査・整理しますが)
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必要となればその段階で、市町村別・五十音順に配列しますが、今は個人研究の段階なので、ナマの坂情報紹介に重点を置きます。
有り体に言えば、ゴッタな内容そのままにします。坂ウォーカー、愛好者、研究家、関係団体、そして地元自治体の取り組みの実態に迫りたいのです。「何という坂が何処にあるか」だけでなく「人と坂の関係」(坂文化論?)にも関心を持っています。
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<峠データベース>
坂と峠の関係を調べようと思って、「坂 峠」で検索したら、いくつかの中に「峠データベース」(pdb.the.orj.org)が出てきました。今回収穫の目玉の一つで、初めて知りましたが、全国の峠・坂を擁する膨大なネット情報で、県名や市町村名の入力で当該地域の峠情報が出てきます。
「岩手県の峠データベース」には、202の峠と72の坂が収録されています。峠だけでなく、峠と坂の両方が対象になっており、峠と坂の密接な(切り離せない)関係を物語っています。坂のない峠はありえず、どちらかといえば、「峠」の字のように峠は山に多く、坂は街中に多い感じはしますが、どちらにせよ、坂道に変わりはありません。
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<峠>
坂のない峠は存在しないので、少し調べてみました。(ja.m.wikipedia.org)
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峠とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所。山脈越えの道が通る最も高い地点。峠の片側にのみ大きな高低差があって、もう一方の側が平坦に近いものを片峠という。碓氷峠が代表的な事例。
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○日本三大峠
雁坂峠・針ノ木峠・三伏峠(さんぷく)。(三伏峠は日本最高所の峠)
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碓氷峠(うすい)
古代には碓氷坂・宇須比坂・碓日坂などといい、中世には臼井峠・臼居峠とも表記された。近世以降は碓氷峠で統一されている。「碓井峠」「碓水峠」は誤記。
<編注>
やはり、碓氷峠も古代には「碓氷坂」と呼んでいたんですね!
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最大斜度41%!?まさに必死!関西屈指の檄坂「暗峠」(jitensha-hoken.jp)のサイトも出てきました。「関西屈指の檄坂」の表現、峠はまさに坂そのものなのですね。
普通の坂は、上り坂と下り坂が繋がっている場合は2坂となりますが、峠は上り・下りセットで一つの峠となるんですね。(このこと詳しくは、今回初めて知りました)
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「峠データベース」では、坂が上りと下りの2坂となるので、同じ坂名が二つ出てくる場合がある(二坂一名)。最初は誤植かと思ったが、やっと理解できました。両坂は名前は同じですが、位置がほんのちょっと違います。
ちなみに、峠は上り坂・下り坂がセットで1峠のようですが、坂の上り坂と下り坂の2坂が続いた場合、坂名に工夫を凝らしたようです。横関英一『江戸の坂 東京の坂』(ちくま学芸文庫版)の「一名二坂」(p.033~036)で、このことに言及しています。
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「福島県の坂」に引用した「御厩谷」「御厩谷坂」のケースに加えて、「薬研坂」「夫婦坂」「飛坂」「相生坂」「鼓坂」「向坂」など、2つの坂に同時に名付けられた1つの坂名(一名二坂)の例を挙げています。
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この「峠データベース」に搭載されている坂を、坂名でみると、赤坂 9、長坂 5、早坂 5、石名坂 5が確認されました。ちなみに、横関英一『江戸の坂 東京の坂』(ちくま学芸文庫版)の「形の面白い坂」の章に、次のような記述があります。
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「長坂。これはただ長いというだけのことで、なんの変哲もないといえばそれまでのことではあるが、坂の形の一変態であり、古い昔から、この名を持った坂が、日本全国至るところにあったとという事実を知っていてもよいと思う。赤坂という坂に次いで多い坂が、この長坂である」(p.047)
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偶然にも、先日の坂学会坂研究会(Zoomミーティング)のテーマが「赤坂(東京港区)地名発祥の謎」(講師:松本崇男理事長)、でした。「江戸時代に赤坂の起源についての4つの説が認められるが、近年になって5つ目の説が発表されています」(研究会レジメ)、という豊富な内容を学びました。
また既報の通り、御厩谷・薬研谷などの場合、上り坂と下り坂に別々の坂名を付けるのは面倒だから、坂名をつけず、谷の名を呼んで坂の意味を持たせたそうです。「〇〇坂」でなくても坂だったわけですが、いつの間にか御厩谷坂・薬研谷坂と「坂」呼をつけるようになった由。
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<いちのせき市民活動センター>(www.center-i.org)
「一関市の坂」でネット検索したら、いくつかの坂情報に混じって、
「センターの自由研究 おらほの坂 - いちのせき市民活動センター」が出てきました。
この見出しの「おらほの坂」と、説明文のアイドルグループ「乃木坂46」に、私はびっくりしました。「おらほ」は「おら(俺)の方」の方言で、俺の集落・村・町・家などを意味し、私のような田舎出身者にはわかる。なるほど東北の一関だ、と子供の頃を思い出しました。
説明文のアイドルグループ「乃木坂46」にも親近感を覚えました。実は、”坂グループ”といわれる「乃木坂46」と「欅坂46」のグループ名由来とされる、乃木坂と欅(けやき)坂を見に、六本木に出かけました。そこで「坂って面白そうだ、坂歩きしてみようかな」と思ったのが、坂歩きのきっかけとなりました。
この2つのキーワードに引き込まれて、サイトの内容に踏み込みました。そうしたら、次のように書かれているのです。
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センター内でアイドルグループ「乃木坂46」の話題から、「そういえば都会の方では、○○坂って多いよね?」という流れに。それでは「わがまち一関には?」と考えてみたのですが、中山間地を有するため坂道だらけの割には、意外に坂の名前が知られていない気がします。そこで今回は通称「○○坂」と呼ばれている坂を調査することに決定。調査結果の中から旧市町村ごとにスタッフが勝手にチョイスした「○○坂」を、名称の由来となるエピソードとともに紹介します。
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今回は、市内協働体アンケートや市民フェスタでの公開アンケートで寄せられた54カ所の坂の中から、地域ごとに担当者が1つ選び通称「○○坂」の場所を実際に歩き、名称の由来について聞き込みを行いました。
※坂の名称、由来などは諸説あるようですが、今回紹介するものはあくまでも当センターの独自調査によるものです。
センターの自由研究 おらほの○○坂
<編注>
市内協働体アンケートや市民フェスタでの公開アンケートで寄せられた「54坂」の中には、「〇〇峠」が8つ含まれています。つまり、名称が「〇〇峠」でも排除されていない、ということで、「〇〇坂」のみを坂と認定する方針の妥当性が問われそうです。(私の考え方は、かかるケーもあるので「〇〇坂」に固執するのは如何なものか、です。)
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故郷の岩手県でこういう素晴らしい活動が展開され、坂の写真も掲載されている事実を知って、坂好きの私は感激。早速「いちのせき市民活動センター」に電話して、自分が坂歩きや坂研究に携わっていることをお伝えし、坂研究、坂学会HP「全国坂リスト」充実プロジェクトにも、貴重な研究調査の成果を使わせいただきたい、と願い出て、ご了承をいただきました。
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これには後日譚があります。ネット情報の元となった「ニュースレター イデア」(いちのせき市民活動センター) 2017年11月号と、その他の関連資料が私宛に郵送されてきたのです。まことに有り難く、嬉しいことでした。
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「何という名前の坂が、何処にあるか」はもとより基本的に重要なことですが、私は「坂と人との関わり」がそれに勝るとも劣らないと考えているので、以上長々と引用さてていただきました。(ちなみにニュースレター「イデア」は、最新号では「idea」となっています)
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一関市民活動センター(center-i.org)を知るべく、ネット検索をしたら、次のように出てきました。
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「NPO法人レスパイトハウス・ハンズが運営する中間支援組織です。東山、一関 、花泉、川崎、千厩、大東、藤沢、室根の8地域を対象に相談支援、情報支援、話し合い支援、等を行います。
「中間支援組織」って何だろうと調べたら、「行政と地域の間にたって、様々な活動を支援する組織」とあります。なるほど、やっと分かってきました。
一関市の説明も調べました。
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「当市の市民活動の拠点として平成20年に開設されました。市が中間支援NPOの特定非営利活動法人レスパイトハウス・ハンズに市民活動推進事業を業務委託し運営および事業を進めています」(city.ichinoseki.iwate.jp)
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「坂研究」に直接には関係ないことのようですが、私には重要なことなので、書いてしまいました。いちのせき市民活動センターと地域の活動に、尊敬とエールを送ります!
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<一関のこと>
さて、「坂研究」に直接関係しないが、私の思いをもう一つ追加します。それは「一関に関する思い出」です。
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何年か前に(今調べたら2005年に)一関市、花泉町、大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村の1市4町2村による大型合併が行なわれ、市名は一関と決まりました。平泉町も加わって「平泉市」誕生かともいわれたが、結局平泉は合併に不参加。また、藤沢町も不参加だったので、どうしたんだろうと気にしていたが、2011年に一関市に編入合併されたようだ。
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<盛岡と一関>
一関市のことでもう一つ。県都盛岡市への一関市の強い対抗意識です。県内の高校学力テストでは、盛岡一高と一関一高が揃って成績優秀でした。また、岩手県内の高校弁論大会(私も盛岡一高弁論部員の一人として参加)で、「憲法改正・再軍備は是か否か」という難しい論題をめぐって、両校弁論部が激論を交わしたことを、昨日のように覚えています。盛岡一高と一関一高は格好のライバル校でした。
「盛岡市に対する一関市の対抗意識が、どうしてこんなに強いのか」と疑問に思ったが、後年やっと理解しました。盛岡は旧盛岡藩(南部藩)で、一関は旧仙台藩を経て旧一関藩でした。つまり、今は県都盛岡市が脚光を浴びるが、「俺たち一関市だって旧仙台藩・旧一関藩だぞ。盛岡なんかに負けてたまるか!」の矜恃が当然あっておかしくはないと忖度します。
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<もりおかの坂 - イワテライフ日記 >(iwatelife.blog.fc2.com)
「盛岡市の坂」で検索したら、いくつものネット情報と並んで、「もりおかの坂 - イワテライフ日記」~岩手県盛岡市に住む或る男の日常と最近の町の様子(iwatelife.blog.fc2.com)が出てきました。
この坂情報ブログには、盛岡市内の158坂+補遺2坂が搭載されていますが、このうちの約4分の3の坂名は<仮称>とされています。つまり、坂歩きをされた自称「岩手県盛岡市に住む或る男」が、自分で命名した坂名(仮称)と見受けられます。
私は盛岡市に住んでいたことがありますが、盛岡は「杜陵」とも言われます。名前のついた坂が少ない、とも言われているようです。件の「もりおかの坂」その158(最終回)には、「盛岡には名前が語り継がれるような坂は数が少なく、お江戸と同じようなことをするのは無理があったかもしれません」と書かれています。
こういう坂愛好者が自分で歩いた坂に、坂名(仮称)をつけて公表するという、その心意気を買います。得難い貴重で重要な坂情報だと見ました。坂学会HPに載っている坂ばかりを選んで、東京23区内の876坂を一人で歩き巡った私からみれば、天晴れ見上げた人物に思える。
「坂が俺を呼んでいる」と悦に入っていた自分などは、iwatelife.blog.fc2.com氏にはとても及ばない。実はかく申す私は岩手県出身で、中学3年の終わりから高校3年まで、盛岡の学校へ通学しました。ですから盛岡市内のことは知っており、付けられた坂名(仮称)にも納得がいきます。
いつの日か、仮称が正式坂名となって盛岡市のHPに掲載され、当該坂には市教育委員会作成の坂標識が建つことを希望しています。
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以上長々と書き連ねました。「坂研究」という堅苦しいシリーズのNo.5「岩手県の坂」(1) はこれで終了です。
本号は我ながら面白くない内容でした。しかしまあ、執筆者としては書きたいことばかりでした。ここまでお読みくださった方には、お詫びと感謝の気持ちを申し上げます。
次回のNo6「岩手県の坂」(2) は、文章は最小限で、坂名(〇〇坂とは限らない)が続々登場します。復のご来読?お待ちしております。
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』123巻3783号 2021.5.23/ hideki-sansho.hatenablog.com #823