「岩手三陸・近世浜街道を往く (kinsei.iwate.hamakaidou.jp)」(三陸近世街道研究会 山野目辰味 作成・編)を読む ~ 坂研究メモNo.18:岩手県の坂(14)
これまで「坂情報」の調査収集を、ネット情報と図書情報の両輪でやってきました。先日は国立国会図書館と都立中央図書館でいろいろ調べましたが、さすがに「坂情報」は乏しかったです。
……………………………………………
『岩手三陸・近世街道を往く』
ネット情報では、幸運にも「岩手三陸・近世街道を往く」サイト
(kinsei.iwate.hamakaidou.jp)(三陸近世街道研究会 山野目辰味作成・編)
に出会いました。
サイトの「はしがき」には、以下のように書かれています。
→
「近世の岩手県内の陸前高田市から沿岸部を北に向かい、洋野町に至るいわゆる”浜街道(北浜通/浜辺道)の詳細なルートの道筋を調査・踏査を行い、記録する」
→
「浜街道は基本的に”三閉伊路程記(以下路程記)””三閉伊日記(以下日記)”を元に街道を追いかけ、記載される地名なども聞き込みなどで確認をしています。それを助ける現代の資料として、Google earth, 地理院標準地図、大日本陸地測量部の大正5~7年発行地図、米軍の昭和23年前後撮影の航空写真、さらに埼玉大学谷先生作成の”今昔マップon the web”を3次元的に使用した」
→
「先行する同様の研究としての昭和57年に岩手県教育委員会歴史の道調査報告書(各街道分)で比定・疑定された道筋とは違う部分もありますが、このサイトでは独自の調査に基づいた実地踏査により旧街道を実際に確認し(破壊され確認不能の場所もありますが)そのルートを詳細で正確な道筋にこだわり比定したもので、前者を否定するものではありません。むしろ補完していくものと考えています。記録の進化と考えています」
→
「浜街道に関すれば県教委の「浜街道」の調査は、そのまえがきで”3泊4日”程度でのものとのことで、そのあとがきでも記載ありますが、後の再調査が必要と述べられています。この報告は、まさしくこの”追跡・補完”と個人的に考えています(県教育委員会は現時点で再調査の予定なしとのことです)」
………………………………………
ネット情報の最後にたどり着いたのが、上記の「岩手三陸・近世街道を往く」サイトです。岩手県三陸の南から北まで網羅された、街道歩きには「坂」も含まれており、信頼できる坂情報だと思います。
その中から、20数個の「坂」情報を取り出して紹介します。
………………………………
<宮古市>
○泣き坂
○女遊戸峠(オナッペ峠)
○女遊戸前坂
○かまや坂
○一の坂
○女遊戸坂(オナッペ坂)
○女遊戸川(オナッペ川)
○さいかつ立つ坂
○向の坂
○石名坂
○栃ノ木坂
○下舘坂
○神名坂
………………
<岩泉町>
○中野坂
…………………
<田野畑村>
○槇木沢坂(思案坂)
○松前沢坂(辞職坂)
○明戸坂
○早坂
○長松坂
○小渡坂
○往来ド坂
………………
<普代村>
○ふさまの坂
○太田名部坂
○上堂坂
○力持坂
…………….
<野田村>
○下安家坂(しもあっか坂)
○銭神坂
………………………………………
<註>
野田村の下安家漁港と、岩泉町安家(旧安家村)について、若干注記します。
◉野田村の下安家(しもあっか)漁港は、10年前の3.11東日本大震災で大津波に襲われ、甚大な被害を受けました。
◉安家村(あっか村)
昭和31年まで岩手県下閉伊郡にあった村。現在の岩泉町安家。(安家村、岩泉町、有芸村、大川村、小本村の合併で消滅)
◉安家(あっか)
旧安家村。岩泉町の北部に位置する人口730人ほどの地域。「あっか」とはアイヌ語の(WAKKA)に由来し、清い流れという意味の言葉。その名のように、流域にダムを持たない清流、安家川が地域を横断するように流れている。
南北には安家カルストと呼ばれる石灰岩層があり、安家洞、氷渡洞をはじめ、多くの鍾乳洞や石灰岩が溶けてできたドリーネ(註:石灰岩地域に発達するすり鉢状の窪地)もある。(岩泉町HP: town.iwaizumi.lg.jp)
◉安家洞(あっかどう)
岩手県岩泉町にある鍾乳洞で、日本一長い洞窟(総延長約23702m)。国の天然記念物に指定されている。(ウィキペディア ja.m.wikipedia.org)
……………………………
写真:Atelier秀樹
……………………………
『秀樹杉松』124巻3800号 2021.7.9/ hideki-sansho.hatenablog.com #841