秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

昭和文学全集(小学館)11 所収 = 石川達三「蒼氓」(そうぼう。第1回芥川賞受賞作品)、「日蔭の村」、「生きている兵隊」、「神坂四郎の犯罪」を読みました。

 

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もともとの本好きに加え「コロナ」のせいで、どうしても読書が生活の軸となっています。時あたかも岸田自民党総裁の誕生と第100代首相への就任がありました。こうした情勢を反映し、『秀樹杉松』最近10号のカテゴリーは、読書=5、政治(岸田文雄)=4、プロ野球=1となりました。

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最近は新刊の小説を読む機会が多かったので、「少し古い本格小説を読んでみようか」と思案。30年ばかり前に揃えた

「昭和文学全集」(小学館、36冊)を引っ張り出すことにしました。停年の10年くらい前でしたか、発行の都度新宿の紀伊國屋書店から職場(千代田区)に届けてもらったものです。

 

何せ分厚い全集なので、定年になったらゆっくり読もうと考えていたが、半分も読んでいませんでした。「さて、誰の作品を読もうかな?」と思ったら、

石川達三」の名と『風にそよぐ葦』が真っ先に頭に浮かびました。書名が魅力的だし、映画にもなりました(薄田研二、東山千栄子、木暮美千代など大スター共演で、1951年公開)。

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さっそく『昭和文学全集』(小学館) 11(尾崎一雄丹羽文雄石川達三伊藤整を取り出した。実は、石川達三は私の大好きな作家なです。年齢は亡父と同じぐらい離れていますが、いわゆる「社会派」で問題作・話題作が多い文豪だからです。

 

若い世代はあまりご存知ないかもしれませんが、石川達三の小説には素敵な書名が多いです。流行語になったものもあります。(もちろん書名だけではなく、作品そのものが素晴らしい!)

蒼氓(そうぼう)、○生きている兵隊、○日蔭の村望みなきに非らず、○風にそよぐ葦、 ○悪の愉しさ四十八歳の抵抗、○人間の壁、○僕たちの失敗傷だらけの山河、青色革命、金環蝕  etc.

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石川達三のプロフィール

芥川賞」第1回受賞が石川達三『蒼氓』(そうぼう)だということは意外と知られていないかも(実は私もこんかい改めて確認しました)。『昭和文学全集』(小学館) 11の

石川達三・人と作品」(巌谷大四)から、以下引用します。

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石川達三(1905~85)は、明治28年秋田県横手町(現・横手市幸町)に生まれた。十二人兄弟の三男である。石川家は源満仲を祖とする摂津源氏の流で、先祖は武士、僧侶などであり、祖父は南部藩の祐筆であった。

大正十五年夏、既に初めての小説「寂しかったイエスの死」を岡山市の『山陽新報』に連載している。そして昭和二年、「幸福」という作品が。『大阪朝日新聞』の懸賞小説に入選している。

 

この年、高等学院を卒業して早稲田大学に進むつもりが、学費が続かず、諦めてフィリッピンへ渡ろうかと考えているところへ、懸賞金二百円が入ったので、早大英文科に進学した。しかしやはり学費に困り、一年で中退せざるを得なかった。

昭和三年五月『国民時論社』に入り、電気業界誌『国民時論』の編集にたずさわった。昭和五年三月、『国民時論社』の退職金六百円でブラジル移民の一員に加わり、渡航してサン・パウロの奥地の日本人農家で一ヶ月働き、その後1ヶ月サン・パウロ市に滞在した後、結婚を口実に帰国した。

 

その時の体験をもとにして書いたのが、第一回芥川賞受賞作「蒼氓」である

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蒼氓」(そうぼう) とはむつかしい題名がついているが、これは「蒼生」「蒼民」と同じ意味で、多くの人民、万民ということである。「蒼」はあおい(草があおく繁ること)の意、「氓」は、たみ、特に流民、農民などを意味する。

 

作者がこの作品に「ブラジル移民」といった端的な表現を使わず、「蒼氓」というあまり耳慣れない、象徴的な題を使ったのは、草のように、踏まれても踏まれてもふえ続ける、貧しく無知な農民や移民に対する共感と愛情を込めてつけたものと思われる。含蓄に富んだ題である。

(以上、本書 p.1063~1064)

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戦争小説「蒼氓」(そうぼう)で、発禁処分、起訴されて有罪判決

昭和十二年七月、日華事変が勃発した。その年の暮、石川達三のところに中央公論社の編集集者が来て、中国戦線へ特派員として従軍し、戦争小説を書いてくれないかと言った。彼は、本当に自分の目で見た戦争を書きたいと思っていたので、喜んで承認した。

 

十二月二十九日、東京を立ち、神戸から軍用貨物船で出港した。上海を経由して、戦火の跡も生々しい南京に着いたのは翌年一月五日であった。南京で八日、上海で四日間の取材を終えて、一月の下旬帰国した。

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筆の早い彼は、一日三十枚、三百二十枚を二月十一日に脱稿した。

それが「生きている兵隊」である。しかしこれが掲載された『中央公論』三月

号は、二月十七日に発売されたが、即日、発売禁止の通報を受けた。

石川達三は警視庁に連行され、取調べは一日で返されたが、八月四日、「新聞紙法違反」で起訴され、二回の公判の後、九月五日、禁錮四ヶ月(執行猶予三年)の判決を受けた。その理由は、<皇軍兵士の非戦闘員殺戮、略奪、軍紀弛緩の状況を記述し、安寧秩序を紊乱した>というのであった。(編注=原文はカタカナ)

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石川達三の堂々とした法廷陳述

作者はこの公判の時、刑事の質問に対し、臆することなく、実に堂々と次のように答えている。

「新聞でさえも都合の良い事件は書き、真実を報道していないので、国民が暢気な気分で居ることが自分は不満でした / 

国民は出征兵士を神様の様に思い、我が軍が占領した土地には忽ちにして楽土が建設され、支那民衆も之に協力して居るが如く考えて居るが、戦争とは左様な長閑なるものでは無く、戦争と謂うものの真実を国民に知らせる事が、真に国民をして非常時を認識せしめる此の時局に対して、確固たる態度を採らしむる為に本当に必要だと信じておりました

(昭和十三年八月三十一日「第一審公判調書」)」(編注=原文はカタカナ、旧仮名遣い)

「生きている兵隊」は、『中央公論』の発売禁止処分によって、(中略)上海の『大美晩報』に「未死的兵」という題で部分的ながら翻訳掲載され、またアメリカにも伝わって、大きな反響を呼んだ。

日本では昭和二十年十二月二十日、無削除版が河出書房から刊行され、二万部を売りつくした」~ 以上本書 p,1066~1067)

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「日蔭の村」は、昭和十二年九月の『新潮』に発表された作品で、当時社会問題化した大東京の水源地候補地としての小河内村が、貯水池として水底に没するまでの悲劇を描いたもので、いわゆる社会小説というこの作者の一つの方向を見事に確立して見せた作品である。(本書p.1065)

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「神坂四郎の犯罪」は、昭和二十三年十一月から翌年二月まで『新潮』に連載された中編小説であるが、これはここに収められた他のルポルタージュ風の作品と異なり、純粋の創作である。しかし、社会世相、風俗を描いた社会派的小説ではある。(本書p.1067)

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写真:Atelier 秀樹

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『秀樹杉松』125巻3834号 2021.10.16/ hideki-sansho.hatenablog.com #874