石川達三「流れゆく日々」と「死を前にしての日記」を読む
『秀樹杉松』前号に続き、『小学館版 昭和文学全集 11』に収録の、石川達三の作品を取り上げます。前回は「蒼氓」(そうぼう)ほかの4小説に限りましたので、本号では日記の一部を紹介します。
昭和文学全集11には、尾崎一雄、丹羽文雄、石川達三、伊藤整の4作家の作品が1冊に収められています。4人の作品は精選されたものばかりでしょう。石川達三の小説と日記が併載されているのに、小説だけを取り上げ、日記を割愛したのは妥当ではなかったことに気づきました。
そこで『秀樹杉松』を1号追加して、
尾崎一雄「流れゆく日々」と「死を前にしての日記」を取り上げることにしました。
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「流れゆく日々」(1)は、昭和四十五年十月一日から四十六年六月十七日までの世の中の動静に対する感想を、日記の形式でつづったものである。硬骨漢石川達三の、面目躍如たるところを随所に表明した、興味深い読み物である。(本書p.1068)
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◉流れゆく日々 より
□(昭和四十五年)十一月十四日(土)晴、小雨」
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伊藤整没後満一年の集まり、帝国ホテルに招待を受けて参会。(略)文学は男子の一生を託するような仕事ではないと二葉亭か誰かが言っているが、そういう反省はいつも私の心の一隅に在った。昂然として答えられるだけの自信はない。
しかし三十五年の牛歩の間に、私は私なりの仕事を書きつづけてきた。よく続けられたものだと自分でも思う。
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「蒼氓」の移民問題は農村恐慌の時代を反映していた。「日蔭の村」は都市と農村との対立問題であった。「生きている兵隊」と「武漢作戦」とは戦争への批判であり、「風にそよぐ葦」は戦争と一般人民との問題であった。「望みなきに非らず」は戦後社会の在り方に対する風刺であり、(略)。「青色革命」は戦後急速に変わってきた社会のエゴイズム的な風潮を風刺したものであり、(略)
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「傷だらけの山河」は戦後ようやく繁栄を取り戻した資本主義企業の庶民に対する暴虐な一面を摘出した作品であり、「金環蝕」は独裁的な保守政治の内部的な腐敗を、事実にもとづいて告発したものであった。「人間の壁」は日本の初等教育と教育者と、そして教育行政との果てしなき矛盾の姿を、精根をかたむけて書いたものであった。(略)
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こういう風に並べて考えてみて、ああ是は一つの歴史だ、と私は思った。つまり私は私なりの見方を基調として、私の能力の限界のなかで、私なりの現代史を書いてきたのだった。他人には認められるかどうか解らないが、この三十幾年の間に、私の心が何を喜び何を悲しみ、何に対して怒り、何を肯定し何を否定したか・・・その事を一つ一つ彫り刻んできたものが即ち私の作品にほかならなかった。
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小説は男子の一生を託するに足りるか足りないか、それは解らないが、私はもう私の一生を託してしまったのだ。そしてその事に、いま悔いはない。(本書 p.752~753)
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<編注>
引用した十一月十四日の日記は、石川達三氏 65歳の時のものです。自作への解説をはじめ、30数年間の作家生活の総括的な文章に、私は心を打たれました。
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◉死を前にしての日記より
○昭和五十九年(日付なし)
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私の結婚生活はほとんど五十年になり、私も妻も幸に長命であったが、元々他人同志であった妻も良人(おっと)も、今は何だか解らない一個になっている。私はいずれ数年中に死ぬであろうが、それと同時に妻は生命力を失い、永くは生きて居られないだろうと思う。
思うに男女とは、つながって飛んで行く二匹の蜻蛉(とんぼ)のように偶然の関係であったと思うが、永いあいだにその偶然は必然となり、かけ替えの無いものとなる。(略)
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そのようにして私は八十歳を迎えた。長寿はめでたいと言う。私は別にめでたいとも思わない。ただ相当にくたびれた。そして何もかも思うようにならない。身体は衰えてラジオ体操も思うにまかせず、外出も危い。半日は寝ているような次第だ。長寿とは辛い事である。
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ただ近づいて来た長寿の終わりが安らかであればいいと思うばかりである。それとても願望であって、願望に過ぎない。(本書p.766)
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<編注>
石川達三氏の死の前年に書かれた日誌、名文ですね。80余歳の私には心境がよく伝わります。
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◉人生最後の鬱憤ばらし
続・死を前にしての日記より
○(昭和五十九年)十一月六日(火)快晴
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吾々年代の日本人は、愛国心あるいは忠義という言葉に取り囲まれて育って来た。しかし今は是等の言葉は危なくて使いにくい。愛国心は個人個人によって悉く違う。しかしそれが多くは誤解され、好戦的な用語として使われ、或いは忠義と同様に君主にささげる心として理解されてしまう。つまり国家の為に犠牲をささげる心となり、決して人民のための愛情にはならない。(略)
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従来の日本歴史がそもそも、忠君愛国を中心に書かれている。その歴史の中に民衆はほとんど居ない。国史をはじめから書き直す必要が有りはしないか。維新から始まって、明治、大正という皇室中心主義時代百年の歴史を根本から書き直す必要がある。しかし是は最も危険な大事業である。社会党にはとても出来そうには無い。
(本書 p.773~774)
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○(昭和五十九年)十一月二十九日(木)晴
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俳句の如きもの。(心吹く木枯らしすべてもみぢ散りぬ。)
庭の紅葉はほとんど散って、今は寒つばきの赤い花のみ。心の美という事をしきりに考えている。出来れば小さな本を書きたいと思う。心の中の美。モラルの、もう一つ奥にあるモラルだ。自分一人で喜ぶモラル。人に見せないモラル。それが有ると無いとでは人間のタチが違って来る。(本書p.778)
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○(昭和六十年)一月四日(金)曇
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ともかく年を越した。怪しげな越年で有る。めでたさも(中位で)有る。間も無く寒中になる。寒さを耐えるのがせい一杯だ。一日二枚ぐらい随想を書いている。(心の中の美)について、あまり書けそうにもない。(略)
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○(昭和六十年)一月十一日(金)晴曇
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私は死期が迫っていて、今晩死んでも当たり前だと思っている。何の感慨もない。夢の如しと人は言うが私は永かったと思う。決して夢ではなかった。そして子を育て孫を育て、やるだけの事はやったと思う。ただ人づきあいが下手で、政権に抗って、損ばかりして来たが、是は性格的なもので致し方無い。(略)
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○(昭和六十年)一月十二日(土)曇
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寒い冬だ。春が待ち遠しい。
(十九日後の三十一日、死去) (以上本書p.779)
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<編注>
石川達三(1905~1985)は、間違い無く大文豪です。1作品だけでもお読みいただくをとをお薦めいたします。
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写真:Atelier 秀樹
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『秀樹杉松』125巻3835号 2021.10.17/ hideki-sansho.hatenablog.com #875