秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

岸田文雄『岸田ビジョン』を読み、岸田さんの ”総理への階段”を作ってみました。

 

 

岸田文雄『岸田ビジョン』(2021年10月講談社+α新書刊)を読みました。岸田さんは、久々に登場した信頼できる本格政治家ですね。期待しています。

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本書の構成は以下のように、<はじめに>と1章~6章からなっています。

<はじめに>

対話のなかから信頼を築き、リーダーシップを発揮する私のタイプのような政治家が、いま求められているのだと信じています。(略)ひとりでも多くの方に、政治家・岸田文雄、人間・岸田文雄の実像を知っていただければ幸いです。(p.11)

<第2章 ヒロシマから世界へ>

広島出身者として、私がライフワークとしている「軍縮もまさに、この「分断から強調へ」「対立から協力へ」が求められる分野です。核なき世界」の実現のために政治生命を捧げたいと考えています。(p.64)

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それでは、岸田文雄『岸田ビジョン』から、 ”総理への階段”を、私が勝手に構成編集した「読書メモ」を紹介します。

<註>

”総理への階段” は私の造語で、岸田総理の著書『岸田ビジョン』には一切出てきません。ご了承ください。

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1) 1957年東京渋谷区に生まれる。(父は広島県出身の通商産業省官僚)

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2) 小学校1~3年はニューヨークで生活

父の文武は衆議院議員になる前は通産省に勤務する役人。1963年父がニューヨークに駐在することになり、小学校一年生から三年生までは、アメリカ・ニューヨークで暮す。(p.126)

当時、全日制の日本人学校はなく、地元のパブリックスクール(公立小学校)に通う。クラスは、白人・黒人・インド人・韓国人など、まさに人種の坩堝(るつぼ)。教室の壁には「差別はだめですよ」と書かれていた。実際には差別は存在し、私が政治家を志した原点とも言える。(p

.130)

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3) 開成高校野球部の青春

永田町小、麹町中から荒川区日暮里の開成高校へ進学。私立開成高校は「御三家」(麻布高校武蔵高校と)と呼ばれるなど、当時から進学校として知られていた。

そんな開成高校時代は、野球に明けくれた3年間でした。私はショートかセカンドを守り、打順は一番か二番、時々六番。(p.133~134)

 

野球から学んだチームプレー

野球からは、多くのことを学びました。政治の世界と通じることが多々あります。言うまでもなく野球は団結力、チームワークをたっとぶチームスポーツです。(p.137)

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本書p.135掲載の写真から ↑

 

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4) 東大とは縁がなかった

なぜ俺の番号がないんだろう」。東大文一(法学部)の合格発表の掲示板を見て、3年連続、3度そう思いました。(p.138)

どういうわけか、私の周りの多くは「東大から官僚」のコースを歩んでいました。「みんな東大だから」私は自分も東大へ入れる、と勝手に錯覚していたのでしょう。開成高校は、東京大学合格者数が1982年から2020年まで39年連続で首位という学校ですので、「まあ、俺もいけるだろう」と安易にそう考えていたのです。(p.139)

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5) 3度目の失敗

3度目の挑戦となった1978年は、さすがにこれ以上浪人して両親に迷惑はかけられないとの想いを胸に、慶應義塾大学早稲田大学も受験しました。3度目の東大文一への挑戦も見事に失敗。ですが、ありがたいことに慶応と早稲田に受かりました。(p.141)

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6) 早稲田大学法学部へ進学

「早稲田はバンカラ、慶応はハイカラ」。慶応ボーイへの憧れはありましたが、男子校で野球に明け暮れていた自分の気質を考え、早稲田大学法学部に決めました。個性や多様性を大切にするという意味でも、早稲田の校風は自分に合っていたと思います。(p.141)

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本書p.143掲載の写真から ↑

 

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7) 早大時代の「校外活動」

早稲田でもまた、人との縁を感じる出会いがありました。高田馬場、新宿に飲みに行くとか、旅行に行くなど「校外」の活動ばかりでした。浪人生活の反動から、大学で少しでも良い成績をとることよりも、好きな音楽を聴き、麻雀を打ち、国内外へと旅することで、仲間と親交を深めていきました。(p.142~144)

<編注>

この早稲田時代が、”総理への階段” へとつながったのでは?

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8) 官僚の道諦め、日本長期信用銀行へ就職

 

東大入学が叶わなかったことで、当時人気だった官僚の道は諦めていました。まずは世の中を経験しなくては、とサラリーマンの道を選ぶことにした。内定をもらったのは、日本長期信用銀行(現・新生銀行です。日本興業銀行(現・みずほ銀行)、日本長期信用銀行日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の三行は「長信銀三行」と呼ばれ、学生には人気の就職先でした。(p.146)

 

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本書p.147掲載の写真から ↑

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9) 父の 選挙を手伝う

多忙をきわめた行員時代でしたが、時には有給休暇を使い、父の選挙を手伝っていた。私が早稲田大学法学部に入学した1978年、父は通産省を退官し、祖父・正記の地盤であった広島1区から出馬することになりました。早稲田の学生時代と行員時代に、父の選挙を計4回手伝っています。(p.152)

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10)  政治への芽生え

こうした経験をしながら、芽生えてきた思いがありました。自分も政治家を目指したい――。ニューヨークの小学校時代に感じた人種差別に対する義憤。学生時代の数々の挫折や、友情。銀行時代に感じた社会の矛盾。父や身内の選挙に直接関わって目の当たりにした日本の政治の現実。(p.161)

振り返ってみると、世の中には理不尽なこと、おかしなことがたくさんある。変えていかなければならないことがある。一方、守っていかなければならないこともある。国や社会に関わるこうした事柄に、自分は直接関わりたい・・・・。(p.161~162)

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11) 政治家を目指し、銀行を退職、衆院議員秘書になる

自分も政治家を目指したい。秘書にさせてもらええませんか」。父は「そんなに甘い世界じゃないぞ」そう口にしました。「覚悟の上です」。1983年3月、5年間勤めた日本長期信用銀行を退社し、岸田文武の秘書となりました。(p.162)

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1991年、父が体調の悪化をこぼすようになりました。1992年、あっけなく亡くなってしまった。65歳と、あまりに早い死でした。わずか5年間でも、秘書として仕えられてよかったというのが実感です。(p.162~164)

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12) 衆院選に立候補

私は広島1区から自民党公認候補として出馬を検討していた。地元の多くの方から、「若いんだから新党から出ろよ」と何度も声をかけられましたが、選挙に有利だからと言って政党を変えることは私の性分に合わず、その気は全く起こらなかった。(p.177)

群雄割拠となった選挙区で、新人候補の私は「政治の師」とも呼ぶべき方に支援のお願いに伺いました。同じ広島県内で三区を地盤とする宮澤喜一総理です。「ブームは一時的だから」、宮澤総理が落ち着き払って話す姿に、不安な気持ちも軽くなりました。知性あふれ、温厚な性格で、ぽつりと発する一言にも含蓄があります。(p.178)

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13) トップ当選 / 野党議員としてのスタート

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本書p.183掲載の写真から ↑

 

93年7月18日の投開票日。選挙活動を通じ、手応えを感じていたが、初めてのことなので不安も拭えません。弔い選挙は元来優位ですが、新党ブームの波が凄まじく、どう転ぶかわかりません。結果はなんと、2位に二万票以上の差をつけた堂々のトップ当選でした。(p.181)

細川連立内閣が誕生し、自民党は結党以来、初の野党に転落。私の議員生活は、野党議員としてスタートしたのです。全国から勝ち抜いてきた自民党の新人の同期は、26名。その中に、安倍晋三さん、野田聖子さん、、、らがいます。二世、三世の世襲議員が多く、なまじ父親時代を知っているだけに戸惑いを隠せません。(p.182)

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<書き終えて>

○ 岸田さんは、バランス感覚に優れた政治家ですね。自民党内の人事、岸田内閣の閣僚の起用、どれひとつとっても行き届いた配慮が見られます。自派や仲良しグループで固める政治家が多いというのに。

○ 第一次岸田内閣のメンバーを見ても、早稲田出身4人、慶應出身4人です。早慶のバランスも見事。早慶以外の私大出身者も、有能な方々が適材適所に登用されています。

国民各層に広く目を配ろうとの政治姿勢も評価できますね。じっくり手腕発揮できる環境に、我々も配慮したいものですね。

 

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』126巻3849号 2021.11.14/ hideki-sansho.hatenablog.com #889