秀樹杉松

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澤田瞳子 著『落花』(中公文庫 2021/12刊) を読んで感動を覚えました ~ ”平将門(将門の乱)へのオマージュと鎮魂”

 

澤田瞳子『落花』読み、深い感動に包まれました。

第1章 行旅、第2章 管弦、第3章 交友、第4章 無情、第5章 将軍、終章 白、ですが、私は「行旅」と「将軍」を中心に目を通し、特に「第5章 将軍」の平将門を注意深く閲しました。最大の関心は将門と「将門の乱」にあったからです。

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◉本書巻末の「解説」(新井弘順) には、以下のように紹介されています。

「この作品は、平安時代の中期、真言宗の声明(梵唄・仏教音楽)を中興大成した、御室仁和寺寛朝の、声明曲感得の求法の旅を、関東の雄、国家叛逆の将、平将門との出会いと別れの中に重ね、

将門へのオマージュと鎮魂を朗詠<落花>の調べに乗せて描いた雄渾な歴史小説である

 

<編注>

本小説の進行役?は「寛朝」で、「平将門」が重要人物として登場します。その意味で、寛朝・将門の二人が主人公とも言えなくもないが、「主人公は将門」が正しいでしょう。

さて、いきなり難しい言葉が出てきました。

声明 (しょうみょう)=梵唄 (ぼんばい)・・・仏典にフシ(節)をつけた仏教音楽。

寛朝・・・別項参照

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◉本書出版社・中央公論新社chuko.co.jp)は、次のようにPRしています。

落花.  澤田瞳子

仁和寺僧・寛朝が東国で出会った、荒ぶる地の化身のようなもののふ。それはのちの謀反人・平将門だった。武士の世の胎動を描く傑作長編!

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寛朝(かんちょう、かんじょう)/ ネット情報より

 

平安時代中期の真言宗の僧。宇多天皇の孫。父は宇多天皇の皇子敦実親王

940年平将門が関東で反乱を起こした際、自ら関東に下向し祈祷をしたとされる。その時に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが「成田不動」で有名な成田山新勝寺である」

平 将門(たいら の まさかど)

平安時代関東豪族平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。

下総国常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。

しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。

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寛朝が将門をどう見ているかを著者の澤田瞳子さんは以下のよう描いています

本書の「解説」で新井弘順氏が表現している、次の文章ズバリです。

将門へのオマージュと鎮魂を、朗詠<落花>の調べに載せて描いた、雄渾な歴史小説である

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では、具体的にその文章の一部を列記します。(ページ順)

新皇か、と寛朝は呟いた。もしかしたらその呼称は、間違っていなかったのかもしれない。京の典に照らせば誤りと知りつつも、将門はこの地を守ろうとし、自らの志に従って立ち上がった。たとえ拙く、愚かだったとしても、自らの故郷を守ろうとした彼は、この地のことなぞ何一つ知らぬ帝よりも、はるかに坂東の故郷の王にふさわしい」(本書 p.405)

「これまで将門に従っていた豪族や判類たちは、ここのところの負け戦から敗色を悟り、一目散に逃げ去ったのだろう。それでもなお陣を張り、戦支度を整えているということは、将門は矢張り最後まで己の義を貫き通すつもりらしい」(p.409)

「寛朝の眼裏には、もつれあう軍勢のただなかで太刀を振るう将門の姿がありありと浮かんでいた。…泡を噛む奔馬と一体となり、ただひたすらに目の前の敵に挑むその姿は、この荒々しき坂東の地の化身の如く猛々しく、誰にも止めがたい覇気に満ちていよう」(p.425)

「…休むことなく戦う将門の上に―それを凝然と見つめる自分の上にとめどなく桜花が降りしきっているように思われてならない。その花弁を掬おうとするかのように、寛朝は虚空に両手を差し伸べた。――朝(あした)には落花を踏んで 相伴って出づ

かつて、心慶が歌った落花」の朗詠が唇をついた。」(p.432)

 

「寛朝は知っている。将門がこの坂東とそこに暮らす人々を、誰よりも愛し慈しみ、そして守らんとしていることを。たとえ逆賊の汚名を着せられ、佞臣にその志を利用されようとも、将門の義は天を貫く寒光の如く清く、永劫に変じはしないのだ」(p433)

「逆賊平将門は、下野が官人、藤原秀郷が討ち取ったぞ―ッ

うおおおッという歓声が、兵の間に巻き起こり、天をどよもす。秀郷に駆け寄った貞盛が騎乗のまま将門の首を受け取り、天に捧げるように、再度、頭上に掲げた」(p.436)

「荒ぶる男たちの喊声、宙を切る刃の音。将門が全身全霊で以って奏でた戦の音は、彼の死と共に吹き消えた。だが空を仰ぎ、耳を澄ませば、坂東の大地すらをどよもした将門の楽は、今も耳に鮮やかに甦る」(p.447)

だが、寛朝は知っている

この地を愛し、ここに暮らす人々を愛しんだ将門が、坂東の大地に寿がれながら眩い落花の中に散ったことを

(p.448=最終ページ)

 

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<写真> Atelier秀樹

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『秀樹杉松』128巻3886号 2022.1.29 hideki-sansho.hatenablog.com #926