「峠」を知らない人はいないでしょうが、「説明せよ」と言われたら、ちょっと困りますね。トウゲは語感がよく、なんとなく親近感が持てます。「坂研究」の傍ら「峠研究」もしてみたくなり、少し紐解くことにしました。ひもとく(繙く、紐解く)は本来、書物の帙の紐を解く、書物を開く、本を読む、のようですが、今では「ネット情報の検索」も含まれるでしょう。
というわけで、手許の大辞典を調べたり、PCやスマホでネット検索を重ねました。情報盛りだくさんにびっくりしました。内容的にはほぼ同じでも、表現やアクセスが多様なことを知りました。どれかだけで代表させるのは、適切ではなさそうなので、なるたけ諸情報を拾うことにしました。まさに「情報社会」ですね。
「峠の研究」と大仰なタイトルですが、とても”研究”といえるものではなく、単なる「峠studyメモ」に過ぎません。今回のスタディで、峠のことをいろいろ知り、すごい勉強になりしました。予期せぬ長文のレポートとなりましたが、ただ冗長なだけかもしれません。ブログ『秀樹杉松』に執筆投稿します。よろしかったら、どうぞお読みください。参考になることが、多少はあるかと思います。
簡単な説明や、長い本格的な解説もあります。長い解説の代表例として、
『日本大百科全書』(小学館) 、「Wikipedia」(ja.m.wikipedia)、『ブリタニカ国際大百科事典』、「山の用語集」( YamaReco:yamareco.com)の紹介から始めます。
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◉峠(とうげ)
~『日本大百科全書』の定義
○山地の尾根の峰と峰との間の低い鞍部を言い、尾根越えの道路が通じているところを峠という。低い鞍部は古語で「タワ」「タオリ」「タル」「タオ」などと呼ばれ、トウゲはタムケ(手向)の転化ともいわれるが、むしろ「タワゴエ」や「トウゴエ」が詰まったものと考えられている。
○英語では パス pass*というのは、通過できる passable ことからきており、山陵の低所に道が通じているものをいう。
○尾根の両側に水系が発達して、両側から侵食が進むと、尾根の部分に低所を作る。また、硬層と軟層とが互層している所では、軟層の部分が早く侵食されて鞍部をつくる。断層が尾根を横断する所では、岩石が粉砕されているので侵食を受けやすく、鞍部をつくる。これを英語でコル col と呼ぶ。
○日本には一万を超える峠があるといわれ、古来交通体系にとっては重要な意義をもっていた。現在は、交通機関の発達によって峠のもつ交通上の意義は小さくなったが、登山の根拠地として、また鉄道の捷路として利用されている。
○インド北西部カシミールのカラコルム峠(5574メートル)は世界最高の峠と称され、インドと中国新疆ウィグル自治区との連絡路となっている。ヨーロッパのアルプス山脈中には多数の有名な峠があり、ローマ帝国時代から利用され、ナポレオンのアルプス峠越えは有名である。
○日本では、南アルプスの赤石山脈中の三伏峠(2600メートル)が最高で、古い時代には静岡県の大井川地方と長野県の伊那盆地との交通路に利用されたが、現在は、塩見岳への登山基地となっている。そのほか飛騨山脈中の針ノ木峠(2541メートル)、関東山地の雁坂峠(2082メートル)などが高く、よく知られている。
<民俗>
○山脈は自然のつくる地域の境界であるが、峠はこれを破って他国他郷に通じる人為の所産で、山脈の鞍部がおのずからその近道に選ばれた。日本列島は幾筋もの脊梁山脈で表裏に分たれ、内陸部には大小の盆地が幾多生成していたので、国内交通に占める峠の役割も大きかった。
○近江国の四八峠はじめ諸国には古くから数多くの峠路が開かれ、他国他郷との接点となってもいた。特に徒歩と牛馬だけによる旧時代の状況では、勾配の緩急より距離の長短が重くみられたので、山脈を横切る形の峠越しの近道は重要な交通運輸の動脈をなしてきた。
○また大小多数の藩領に分割されていた江戸時代では、山脈のかなたはほとんど異藩他郷であったから、峠下の番所、宿駅には特異な配慮が加えられ、また峠茶屋、助小屋など、その往還をめぐる習俗も多彩であり、こうした峠の風物は文芸の好材料にもなった。
○峠は国境、村境ゆえ、そこには境神(さかいがみ)、山の神の類が祀られ、「芝立(しばたて)、芝折」などの行旅の安全を祈る「手向(たむけ)」の習俗を伴い、また矢立峠、行逢峠(ゆきあいとうげ)など神々の「堺さだめ」の伝説を伴うものも多い。
○鉄道開通に伴う国内の交通体系の一変で旧峠路の多くは廃道と化し、峠の麓集落も一挙に廃れ果てたところが少なくない。近年山越えの自動車道の整備で、古い峠筋の復活がかなりみられても、新道は多くはトンネルか遠い迂回路で、古い峠路はほとんど廃道と化したままである。
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◉峠(とうげ)
~ ”Wikipedia” の定義
○峠とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所。山脈越えの道が通る場所。山脈越えの道が通る最も標高が高い地点。なお、峠の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片峠という。日本での片峠の代表的な事例としては碓氷峠がある。
○峠は、中国地方では「垰」あるいは「乢」とも書き、「たお」「とう」「たわげ」などと呼ぶ地方があり、地名などにもみられる(岡山県久米南町安ヶ乢)。登山用語では乗越(のっこし)、または単に越(こえ、こし)などとも言い、山嶺・尾根道に着目した場合は鞍部(あんぶ)、窓、コル (col)とも言う。
○かつて峠はクニ境であり、その先は異郷の地であった。そのため、峠は、これから先の無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する場所でもあったことから、祠(ほこら)を設けているところが多い。この祠は、異郷の悪いものが入り込まないための結界(編注:出入り禁止)の役割も果たしていたと考えられる。
<語源>
○峠の語源は「手向(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は室町時代に日本で会意で形成された国字(和製漢字)である。
○異説として北陸から東北に掛けた日本海側の古老の言い伝えがある。「たお」は湾曲を意味していた。稜線は峰と峰を繋ぐ湾曲戦を描いており、このことから稜線を、古くは「たお」と呼んでいたという。
○「とうげ」とは、「たお」を越える場所を指し、「たおごえ」から「とうげ」と変化した。従って、稜線越えの道が無いところは、峠とは呼ばないのが本来である。同じように「たお」から変化したものとして、湾曲させることを「たおめる」→「たわめる」、その結果、湾曲することを「たおむ」→「たわむ」という。或いは実が沢山なって枝が湾曲する状態を「たわわ」という様に説明している。
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◉峠(とうげ)
~ブリタニカ国際大百科事典
○山の鞍部をいう。ここを通って多く道がひらけている。語源上は「たむけ説」と「たわむ説」とがある。前者は、峠に神が祀ってあり、旅人はここで神にたむけをして通るからという。後者は山の稜線が鞍部となってたわんでいる意という。
○峠は多くの村境になっており、村人は旅から帰った人をここで出迎えをする風習があった。
また峠には地蔵など村境の神を祀る例も多い。(→境の神)。峠を境にして気象などの自然現象を異にすると同時に、民俗のうえでも差異をみせる例が多い。
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◉峠(とうげ)
~山の用語集 ( YamaReco: yamareco.com)
○山道が尾根道と交差し乗越しているところ。山脈越えの道が通る最も高い地点。一般に鞍部に付けられている。昔の人は山脈を超えて他の地域に行こうとする時、比較的に楽な鞍部を越えたことは、理にかなっており、人間の生活の必要から自然発生的に付けられた。頂上部分が切り通しになっていることもある。
○取り付きは、谷戸(編注:丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形)の集落から川沿いにつけられていることが多く、傾斜がきつくなるに従い川と分かれ、頂上(稜線)を目指すことが多い。
昭和初期までは徒歩や馬で越えたため急傾斜を避けていないが、以降のモータリゼーションの普及により、最大斜度は12%程度に抑え、頂上付近に隧道(すいどう・ずいどう=トンネル)を持つ全線舗装の新道が建設されるようになる。
さらに交通量の多い絶体的な隧道を建設し、峠をスルーしていく事例も多い。このため、隧道の上を探索すれば、旧道(旧峠)を見つけることができる。
○かつて峠は国境であり、その先は異郷の地であった。また出先から帰郷するための復路としても通過しなければならならかった。峠は一般に難所であり、これから先に無事を祈り、帰り着いた時の無事を感謝する場所でもあったことから、祠を設けていることが多い。
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◉三つの漢字~「乢」「垰」「峠」
「とうげ」には、3つの漢字があり、読み方も「たわ」「たお」「たわげ」「とうげ」などがあります。
◉乢
(たわ、とう、たわげ、あくつ)
(山へん)
<編注>
この漢字「乢」は、Wikipediaで発見したが、私の漢和辞典類、PC、スマホには出てきません。(「垰」は出てきますが)
◉垰 (たお)
(土へん)
「垰」とは、たお / とうげ / 山の尾根の低くくぼんだところ、などの意味を持つ漢字。9画の画数をもち、土部に編成される。日本では国字に定められており、不確定レベルの漢字とされる。
*読み方:たお
*意味:たお / とうげ / 山の尾根の低くくぼんだところ
(mojinavi : mojinavi.com)
○ 垰(たわ、たお、とうげ、あくつ)
この土へんの「垰」は、室町時代に作られた国字といわれる山へんの「峠」より古いかも。
また、「名字由来ネット」myoji-yurai.netによれば、「垰」さんは全国に910人おり、西日本に多い。(広島県 380人、山口県 100人、島根県 80人、岡山県 40人)
「日本姓氏語源辞典」によれば、
名字「峠」(トウゲ、タワ、タオ)の由来は、現広島県西部である安芸起源ともいわれる。近年、広島県や山口県に多数見られる。山口県南市が発祥。低い山を意味する峠のことを指す。
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◉峠 (とうげ)
○《たむ(手向)けの音変化。頂上で通行者が道祖神に手向けをしたことからいう》
山道をのぼりつめて、下りにかかる所。山の上り下りの境目。(weblio:デジタル大辞泉)
○山ののぼりつめた所。山の上りと下りのさかいめを表す国字。会意。山と、上る(のぼる)と、下る(くだる)とからなる。山の上りと下りの境になる所。「とうげ」の意を表す。(漢字ペディア kanjipedia.jp)
○山道の、上りと下りの境になる頂点。「たむけ」の音便。山の頂上で、神に「たむけ」をしたからという。坂道を上り詰めた所。「峠」の字は室町時代に作られた国字とされる。(出典:角川新字源 改訂新版)
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◉撓 (たわ)
山の尾根などのくぼんで低くなった所。山の鞍部。たおり。
古事記→「益見畏みて、山の多和 (タワ) より御船を引き越して逃げ上り行でましき)」(小学館国語大辞典)
山のたわんだように見える所。(新潮国語辞典 現代語・古語)
◉撓 (たお)
「たおり(撓り」の「たお」で「たわ(撓)」の交替形か)。山頂の道のあるところ。峠。(小学館国語大辞典)
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◉手向 (たむけ)
①神仏に幣(ぬさ)などの供え物をすること。又、その供物。多く、旅人などが道の神に対して供える場合にいう。
※万葉
「ももたらず八十坂に手向せば過ぎにし人にだけし逢はむかも」
②旅立つ人への花向け。餞別。
※後撰
「あだ人の手向にをれる桜花逢ふ坂まではちらずもあらむ」
③道の神に旅中の安全を祈るところ。特に、越えて行く山路の登りつめたところ。とうげ。
※万葉
「畏みと知らずありしをみ越路の多武気 (タムケ)に立ちて妹が名告りつ」
④「たむけ(手向)の神」の略。
※古今序
「秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山にいたりて手向を折り」
⓹供えものをして、死者の冥福を祈ること。特に俳諧では魂祭(たままつり)をいう。
◉手向(たむけ)
①神仏に物をそなえること。「やそくま坂に―-手向せば(万葉集) ②はなむけ、餞別 ③(峠の道祖神に手向をすることから)峠(~新潮国語辞典 現代語・古語)
◉手向る (たむける)
①神や仏に幣物などをささげる ②はなむけををする。餞別を贈る(~新潮国語辞典 現代語・古語)
<幣(ぬさ)>
神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙、麻などを切手垂らしたもの。幣帛(へいはく)。ごへい
◉【手向】たむける
①神仏や死者に供物を献じる。また、死者に誇れる行いの結果などを報告して、その霊を慰める。
※万葉
「指進乃くるすの小野の萩の花散らしむ時にし行きて手向(たむけ)む」
②旅立つ人にはなむけをする。選別を贈る。
※新古今
「おいぬとも又もあはんとゆくとしに涙の玉をたむけつる哉」
◉手向山(たむけやま)
(峠に道祖神を祭って手向をしたのでいう)超えてゆく峠道の頂上 ②「逢坂山」の別称 ③「奈良山」の別称(~新潮国語辞典 現代語・古語)
◉手向神(たむけのかみ)
旅人などが通行の安全を祈る神。一つの空間の境と考えられてきた峠や山麓などには、決まって神仏が祀られている。道祖神や庚申塔、地蔵などである。通りすがりの人がその土地を守護するこれらの神仏に、路傍の花や柴、幣(ぬさ)など供えて通行の安全を願う風習は古くからあった。
西日本に分布する柴神信仰は典型的な物で、柴神に柴を手向けると、その守護によってさまざまな難儀が回避できると信じられている。(~日本大百科全書)
◉手向郷(たむけのごう)~folklore2017.com
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◉てむかい【手向】
てむかうこと。はむかい。抵抗。反抗。てむかえ。
※今昔
「我に手向(てむかひ)はしてむやなど息巻て日来有けるほどに」
(~ 精選版 日本国語大辞典)
◉てむかう【手向】
従わないでさからう。はむかう。反抗する。敵対する
◉手向かう(たむかう)
相手の意志にすなおに従わない。抵抗する。てむかう。
(~ 精選版 日本国語大辞典)
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◉手向(とうげ)
「峠」の当て字。「田処 (たわけ)」で、峠が曲がったなだらかな山形をしたことによる。手向はその頂に地蔵や道祖神が祀られ、旅の平安を祈って旅人が手を合わせたことに由来するとの説もある。地名は当地から羽黒山・月山を遥拝したことに由来するとも、添川と国見の間の峠にあたることによるともいう。(folklore2017.com
◉手向(とうげ)
○山形県西部、鶴岡市羽黒町の一部地区。旧手向村(とうげむら)で、1955年東田川郡羽黒町となり、2005年に鶴岡市と合併。羽黒山の西麓に位置する。羽黒山や月山を遥拝する(手向ける)ことに由来する地名。古くから羽黒山の登拝口として門前集落が発達、今も40近い宿坊が軒を連ねる。(~コトバンク 日本大百科全書)
◉手向村(とうげむら)
山形県東田川郡にあった村。現在の鶴岡市手向にあたる。(~Wikipedia)
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◉手向郷 (たむけのごう)
茨城県下妻市。平安期に見える郷名。(和名抄)。下総国豊田郡四郷の一つ。(出典:角川日本地名大辞典)(~folklore. 2017.com)
◉手向郷 (とうげのごう )
岐阜県恵那市明智町。土岐川支流小里おり川の上流部を含む広い範囲を占めていた。郷名の由来は、東方土岐から屏風のような山を越え、開けた高原地帯へ出た喜びを神に感謝しての「たむけ」によるという。(出典:角川日本地名大辞典)
(~folklore. 2017.com)
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◉境の神(さかいのかみ)
~ブリタニカ国際大百科事典
○異郷と接する地点に祀る神。境は未知の世界と接するところとして最も危険な場所と意識されており、恐怖の念をいだく場所であるため、祭られる神の性格もまた恐ろしい威力をもつものとして信仰されている。外部に対しては威力をもち、境より内側の者には守護神的性格を持つものとされてきた。
○道祖神、地蔵、塞の神、馬頭観音、鹿島人形、あるいは峠などに祀る柴神などがあり、そこを通る者は必ず参らないとたたられるとされていることが多い。道切りの注連縄(しめなわ)や大きな片足の草履も、境から悪霊の侵入を防ぐ呪力をもつものとして境の神的性格をもつ。
○また境の神は空間的存在としてだけでなく、時間的境界の存在でもある。地獄の入り口にいるという奪衣婆(だつえば)などは、生死の境を支配する境の神的性格をもつ。
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◉奪衣婆(だつえば)
三途川(さんずのかわ)で亡者の衣服をもぎ取る老婆の鬼。(Wikipedia)
◉柴立て / 柴折り
……祭祀用には、主に常緑の柴が神の依代(よりしろ)とされたり、神に手向けるのに使われた。峠や村境の路傍には<柴立て><柴折り>というところがあり、ここに柴を挿して旅や行路の安全を祈る風があった。(コトバンク:世界大百科事典 芝より)
◉柴神 (しばかみ)
峠や山道の入り口などにあって、通行人の安全を守るという神。通る人が柴や草を手向ける風習がある。柴折り様。紫取り神。(デジタル大辞泉)
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◉作品名「峠」
○小説:司馬遼太郎
○映画:1957年の日本映画 大佛次郎原作
1978年の日本のドキュメンタリー映画
○曲:北島三郎のシングル曲
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◉地名「峠」
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◉峠の釜飯
◉峠の茶や~栃木県茂木町
◉峠茶屋~京都宇治田原町
◉峠の茶屋公園・峠の茶屋資料館~熊本
◉♪峠の我が家 ”Home on the Range” ~アメリカの民謡、カンザス州の州歌
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<写真> Atelier秀樹
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『秀樹杉松』128巻3895号 (BLOG No.935) / 2022.2.19