秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

1)大沢在昌『帰去来』を読む /  2)陶淵明『帰去来の辞』の考察

 

今日は「仏滅」のようですが、実は歴史に残るめでたい日です。「2022年2月22日」で、数字の2だけが6つ揃うからです。この次に同じ数字だけが並ぶのは、2だけ6つが揃う200年後の2222年2月2日と、2だけが7つ揃う同年の2222年2月22日なります。

 

閑話休題本稿は二部構成から成ります。

第1部大沢在昌『帰去来』を読む

第2部 陶淵明『帰去来の辞』の考察

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《第1部》大沢在昌著『帰去来』を読む

 

新聞広告で、大沢在昌著『帰去来』(朝日文庫)の新刊広告を見つけた。大沢在昌さんという作家はあまり知らないが、書名の『帰去来』に注目、「読んでみようか」。確か高校時代だったと思うが、漢文の授業で習った陶潜(陶淵明)の「帰去来の辞」の名文に感動したのを思い出したからです。

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書店で『帰去来』を手に取ってみた。カバー帯にはこうある。

女性刑事が、「光和27年のアジア連邦・日本共和国・東京市」に タイムスリップした――.。

執筆10年の大作、パラレルワールド警察小説、ついに文庫化

 

「面白そうだが、俺の読む種類の小説とはちょっと違う?」と直感した。しかし、「せっかくだから、読んでみようか」。読み出してすぐに、最初の直感が当たったことを確認したが、途中で止めるのも情けないし、何よりも作者の大沢さんに失礼だと、時間かけて読み切ることにしました。

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タイムスリップとかパラレルワールドに馴染みが薄い。特に、パラレルワールドは初めて聞いた。

Wikipediaを検索したら、

ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界・並行宇宙・並行時空ともいわれる。異世界(異界)・魔界・四次元世界などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。

 

ますます分からない。「向こうの世界」であって「あの世」ではない? この種の小説が好きな方もいるでしょうが、私はとても付いて行けない。「事実は小説よりも奇なり」の言葉がある。ということは、「小説は奇なり」でしょう。英和辞書で「fiction」をひくと、「小説」の次に「作り事、絵空事」と出てくる。

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カバー帯の「著者:大沢在昌氏(1956~)」のプロフィールを見たら、以下の受賞歴が列記されている。

79年小説推理新人賞でデビュー。日本冒険小説協会最優秀短編賞・推理作家協会賞(長編部門)・吉川英治文学新人賞日本冒険小説協会大賞柴田錬三郎賞日本ミステリー文学大賞吉川英治文学賞を受賞している。

読み切る決断を促したのは、「94年『夢幻人形 新宿鮫4』で直木三十五賞を受賞」であった。直木賞受賞作家の書いた小説は、大体は読むようにしているから。

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本書を読了したが、感想は割愛します。その代わり《第2部》を起こし、読むきっかけとなった、陶淵明の「帰去来の辞」の考察を、若干書くことにします。多感だった高校時代の漢文の時間が楽しかった。中でも「帰りなんいざ、田園まさにあれなんとす、なんぞ帰らざる」の『帰去来の辞』が大好きで、何かにつけて高唱していました。

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『帰去来』の作者・大沢在昌(おおさわありまさ)氏は、20歳違いなので世代は少し離れているが、もしかして陶淵明『帰去来の辞』が好きかも? いずれにせよ恰好の書名をつけたものですね!「キキョライノジ」も「カエリナンイザ」も響きがよく、今でもすぐ口をついて出ます。その意味においても、大沢氏の『帰去来』との出会いは幸運でした。

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ちなみに、小説『帰去来』は2019年1月に単行本として、2021年1月にはソノラマノベルスとして刊行されているそうです。3年も前に出現していたのに、私は今回(2022年2月)の文庫版で初めてお目にかかったわけです。大沢氏は60代の半ばの働き盛り。ますますのご活躍・健筆を期待しています。

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《第2部》陶潜(陶淵明)『帰去来兮辞』(帰去来の辞)の考察

 

陶潜(陶淵明

とうせん、とうえんめい(365~427)

 

手許の『日本大百科全書』(小学館) に全面的に依り、陶淵明(陶潜)とその名作『帰去来兮辞』(帰去来の辞)の考察を試みます。

 

【13年間の宮支え】

29歳で初めて州の祭酒(学事担当)となって任官。最後に郷土にほど近い彭沢の令(県の長)を80日余勤めて辞め、足掛け13年にわたる役人生活に終止符を打った。41歳であった。「われ豈(あに)五斗米(県令の俸給)のために腰を折りて郷里の小人に向かわんや」とは、県を査察に来た郡の小役人(郡の下に県がある)にペコペコできるものか、と県令の職をなげうった時のセリフである。

 

【田園に帰る】

当時の貴族社会においては、低い家柄の出身は結局うだつがあがらず、祖先の誇りと才能を自負する淵明ではあったが、ついに立身の夢は果たせなかったのである。

その田園へ帰る心境を述べたものが「帰去来兮辞」(ききょらいのじ)である。前半は、宮仕えを辞めて田園へ帰った解放感を秋の情景の中に描き、後半は、迫り来る老年に、もっぱら残りの人生を天命に任せる心境を春の情景の中に描く。

 

帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす、胡(なん)ぞ帰らざる」の名句で始まり、全体に詠嘆的調子が強いが、新鮮な情景描写と清らかな風趣に富む傑作である。これは、いよいよ役人生活を辞めて隠逸生活に入るという宣言の意味をもつものとみることができよう。以後は、63歳で死ぬまで、おもに州都の潯陽(九江市)近辺にあって隠逸の士として世に処し、名声を得た。

 

隠逸詩人の宗

秋の夜のつれづれに、酒を飲み書き散らしたという「飲酒」と題する二十首の連作は、淵明独特の詩境を余すところなく伝えるものである。最も人口に膾炙する「其の五」をみよう。

 

結廬在人境 廬(いおり)を結びて人境にあり

而無車馬喧 而も車馬の喧(かしまし)き無し 

問君何能爾 君に問う何ぞ能(よ)く爾(しか)ると

心遠地自偏 心遠ければ地自ずから偏なり

採菊東籬下 菊を採る東籬の下 

悠然見南山 悠然として南山を見る

山気日夕佳 山気日夕(にっせき)に佳く

飛鳥相与還 飛鳥相与(あいとも)に還る

此中有真意 此の中真意あり

欲弁已忘言 弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

 

初めの四句は前置き、中ほどの四句が千古の絶唱といわれる。夏目漱石の『草枕』に「飲酒 其の五」が引用され、石川啄木の日記(明治40年12月27日)に、その詩集を読んだ感想が述べられているのはよく知られる。

  ~以上『日本大百科全書』(小学館)より

<編注>

私は「悠然見南山」が大好きでした。念の為「南山」をWikipediaで調べたら、「中国陜西省にある終南山。別名:中南山、南山、太乙山」と出てくる。高校生の頃は知らなかったが、「悠然として南山を見る」と、あたかも南山を近くに仰いでいる?心境に酔っていたのでした。

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帰去来の辞(ききょらいのじ)

 

中国、東晋時代の詩人陶潜(陶淵明)の作。405年秋、13年の役人生活に終止符を打って、故郷へ帰った陶潜の心境を吐露したもの。時に41歳。

 

帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす」の名句で始まり、役人を辞めることが正しい生き方であると宣言。帰る途中の情景、家族の歓待を受けてくつろぐ様を述べ、後半は、翌年春の田園の中で、迫り来る老いを悲しみ、自然に任せて天命を全うすることを願う。

 

淡々とした筆使いで、世俗を超越した高い境地を歌うものとして、由来、田園文学の金字塔と評される。

 ~以上『日本大百科全書』(小学館)より)

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<補遺>

◉「帰去来の辞

帰去来兮(帰りなんいざ)

田園将蕪(田園まさに蕪(あ)れなんとす)

胡不帰(なんぞ帰らざる)

さあ故郷へ帰ろう。故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。どうして帰られずにいられよう

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「まさに~むとす」

*漢文の訓読には、副詞「まさに」と呼応して用いられることが多い。鎌倉時代には「将」「且」などを「まさに…むとす」と再読する訓法が固定した。(コトバンク)

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田園将に蕪(あ)れなんとす

→「」= 雑草が茂って荒れる

 

与謝蕪村(1716~1784)

 江戸時代中期の俳人文人画家(南画)。「蕪村」は陶淵明の詩『帰去来の辞』(田園まさに蕪(あ)れなむとす) に由来すると考えられている。(Wikipedia)。

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<写真> Atelier秀樹

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『秀樹杉松』128巻3896号(BLOG No.936)/ 2022.2.22