「峠」への関心が生まれ、「秀樹杉松」2/19号、2/28号で取り上げました。両号とも長文となったので、これにて擱筆するつもりでしたが、もう少し峠の勉強を続けることにしました。あと1~2号を執筆投稿します。
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数あるものの中から代表的な名称を選んで、「三大○○」とか「十大◎◎」などと言いますが、峠にも「三大峠」、「百名峠」があるようです。そこで、本稿「峠の研究」(3) では、「日本三大峠」を取り上げます。
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◉三大峠とは!?
標高が高く、歴史的にも重要な3つの峠が日本三大峠で、奥秩父の雁坂峠(かりさかとうげ)、南アルプスの三伏峠(さんぷくとうげ)、北アルプスの針ノ木峠です。
~ニッポン旅マガジン(tab-mag.jp)に依る
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◉日本三大峠 ~「峠と旅(wellon.lomo.jp」に依る
<一体どの峠が日本三大峠?>
…3つの峠はどれかという最も基本的な問題で、つまずいてしまう。よく見るのは、
ところが次のように記述されているものも多く見掛ける。
⚫︎針ノ木峠
⚪︎夏沢峠 / 八ヶ岳
すなわち、日本三大峠の内の一つを「三伏峠」とするものと、「夏沢峠」とするものに大きく分かれている。いまだ謎である。
<日本三大峠の所在地>
⚫︎針ノ木峠
長野県大町市と富山県立山町との境、飛騨山脈の針ノ木岳(2,821m)と蓮華岳(2,799m)との暗部
⚪︎三伏峠
静岡県静岡市と長野県大鹿村との境、赤石山脈の烏帽子岳(2,726m)の西約1km
⚪︎夏沢峠
長野県南牧村と同県茅野市との境、八ヶ岳連峰の硫黄岳(2,760m)と天狗岳(2,646m)との間
⚫︎雁坂峠
埼玉県大滝村と山梨県三富村との境、秩父山地の雁坂嶺(2,289.2m)と水晶山(2,158m)との暗部
<日本三大峠とされる根拠は?>
ただ古い峠というだけでなく、どれもその標高が高いのが特徴となっている。
⚫︎針ノ木峠 2,541m(2536mとも)
⚫︎三伏峠 2,580m
⚫︎夏沢峠 2,392m(編注:Wikipediaなどの情報では、2430m)
⚫︎雁坂峠 2,082m(2050mとも)
ちなみに、車道が越える峠としては、大弛峠(山梨県牧丘町・長野県川上村)が2,360mと高く、峠の名はないが乗鞍スカイラインの長野・岐阜県境が2,715mと群を抜いている。
<日本三大峠の変遷>
○北アルプス、南アルプス、八ヶ岳ななど、どれも大変険しい山岳地帯に築かれた峠道だ。夏沢峠を除けば、他は皆現在の県の境に位置する。夏沢峠も、山梨県と長野県の県境に近い。
○針ノ木峠は江戸期から明治末期まで、越中から信州への、塩や魚、薬の移入路として使われたそうだ。雁坂峠は甲州と武州を結ぶ秩父往還または甲州裏街道と呼ばれ、秩父三十三番霊場巡りや三峰山への修験者も通り、明治中期頃まで重要な交通の要路だった。
○現在の日本三大峠で、交易などの実益的な役割を担う峠はなさそうだ。どれもハイカーやアルピニストの間でのみ話が聞かれる峠となってしまった。今では針ノ木峠は後立山連峰縦走の起点として、また三伏峠は南アルプス、雁坂峠は奥秩父主脈の登山者が訪れる峠となっている。
○元々は物資の輸送などの実益的な峠道として、三大峠に選ばれたのだろうから、行楽目的で使われる現在の峠には、本来の日本三大峠としての意義は、もう見出せないのではないかと思う。ただただ、その歴史を偲ぶばかりだ。
○単に標高が高いだとか、あるいは景色が素晴らしい峠だとかの日本三大峠なら、長く世に通用しようが、人の歴史に深く関わる三大峠の運命は、時の流れに翻弄されることになる。
~以上、「峠と旅(wellon.lomo.jp」に依る。「峠と旅」は大変貴重な情報で、素晴らしい内容ですね。お陰様でとても勉強になりました。(秀樹杉松)
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◉針ノ木峠 (はりのきとうげ)
○長野県大町市と富山県立山町にまたがる峠。飛騨山脈(後立山連峰)の針ノ木岳と蓮華岳の暗部に位置し、標高は2356m。
<江戸時代以前>
○冬場は人を寄せ付けない豪雪地帯となるが、1854年の冬には佐々成政が遠江国浜松城主の徳川家康に直訴するために冬の峠を越えた伝説(さらさらごえ)も残る。江戸時代になると、加賀藩と松本藩の境界となった。
<江戸時代以降>
○明治時代になり信州と越後を結ぶ短絡路として、立山新道の建設が進められた。19世紀末には信越本線の暫時延伸もあり、商業ルートとしての価値は低下、登山者などに供されつつ、緩やかに廃道と化した。1893年 (明治26年)ウオルター・ウエストンが大町側から峠を越えて立山登山をおこなった。
~以上、「峠と旅」(wellon.lomo.jp」に依る
○1896年(明治39年)木暮理太郎が針ノ木峠を訪れた。1923年(大正3年)、伊藤光一らが近代登山史上初めてとなる積雪期の立山ー黒部渓谷ー針ノ木峠を横断。1930年頃には針木小屋(山小屋)が掛けられて、以後、北アルプス縦走路の要衝となった。
~以上、「ウィキペディア」 ja.m.wikipedia.rg による
◉佐々成政、命がけの「さらさら越え」
歴史好きによく知られている「サラサラ越え」。越中の領主だった佐々成政(さっさなりまさ)が浜松城の徳川家康に会うため、厳冬期に敢行した山越えのこと。呼び名の理由については、道中の峠名からとった「佐々のザラ峠ごえ」が転化したともいわれている。
◉ザラ峠
○ザラ峠は、富山県富山市と館山町にある峠。北アルプスの獅子岳と五色ヶ原との暗部に位置する。標高2,342m。
~以上、「ウィキペディア」 ja.m.wikipedia.rg による
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◉三伏峠 (さんぷくとうげ)
○赤石山脈にある峠。日本最高所(標高2580m)の峠である。塩見岳の南西に位置し、長野県大鹿村と静岡市の境界にある。峠とはいうものの、静岡県側の道は荒廃が進みほとんど残っていない。峠の長野県側に三伏峠小屋があり、北の塩見岳、南の荒川岳・赤石岳への登山拠点として用いられる。
○以前は少し下がった位置に無人の三伏峠があったが、環境保全のため2003年に閉鎖されている。
後立山連峰の針ノ木峠、秩父の雁坂峠と併せて日本三大峠と呼ばれることがある。
~以上、「ウィキペディア」 ja.m.wikipedia.org に依る
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◉雁坂峠(かりさかとうげ)
○埼玉県秩父市と山梨県山梨市との境にある峠。標高2,082m(実質標高は2,070m)。奥秩父の山脈の主脈の一つであり、針ノ木峠、三伏峠と並び、「日本三大峠」に数えられる。
<編注>
伊勢湾台風による被害で、峠道が現在の低い位置になった。2013年、埼玉県秩父環境事務所によって付け替えられた道標では2070mとなっている。
○かつての武蔵国の秩父盆地と甲斐国都を結ぶ峠。「かりさかみち」とも呼称された。現在では、国道がほぼ真下を雁坂トンネルで通過する。1998年にこのトンネルが開通するまで自動車では通行できず「開かずの国道」と言われ、峠を超えるハイキングコースが国道140号に指定されていた。
○「秩父往還」という呼び方のほか、埼玉県側は「彩甲斐街道」、山梨県側は「雁坂みち」とも呼ぶ。彩甲斐街道を少し北上したところに栃本関所跡があり、山梨県側にトンネルを出た少しのところすぐに、西沢渓谷がある。日本三大峠の一つ。武田信玄の軍事用路「甲斐九筋」の一つ。『日本書紀景行記』に「日本武尊が通った」と記載されている。
~「ウィキペディア」ja.m.wikipedia.rg による
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◉夏沢峠 (なつざわとうげ)
○夏沢峠は「日本書紀」にも登場し、日本最古の峠といわれる。標高2580mの三伏峠は日本一高い峠とされ、針ノ木峠はそれに続く標高2541m。三伏峠に代えて夏沢峠を日本三大峠に加える説もある。
~コトバンク(kotobank.jp)より
○夏沢峠は硫黄岳への登山を行うのに通るルートとして知られている。本沢温泉、オーレン小屋から縦走ルートへ登る経由地点としても必ず通る道だろう。夏沢峠は2,430mで、ヒュッテ夏沢、山びこ山荘があり、多くの登山客で賑わう。
~「山旅旅」(yamatabitabi.com) より
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『秀樹杉松』128巻3898号(BLOG No.938)/ 2022.3.4