秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

自分史 Review  5)  子供の頃の想い出 ⓹ イズナ事件・騒動

 

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第四部《イズナ事件・騒動》

 ~深刻だった「村八分」と「いじめ」

 ~農村の封建社会がもたらした悲劇

 

 ○戦時中の国民学校の想い出の項でも書いたように、「イズナ事件・騒動」は小生の生涯に残る大きな出来事であり、忘れようにも絶対に忘れられない出来事であった。

 

 ○この事件・騒動を卒論にしようとを考えたり、これをテーマに小説を書こうと思ったこともあった。だが結局は多忙に紛れて、ついに何もせぬ間に時は流れた。今回幼い頃の想い出を綴るに際し、本件にも言及することを決断した。

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 ○自分自身が騒動の嵐に巻き込まれ、身をもって直接体験した生き証人なのです。父や兄などから話も訊き、騒動の流れや本質はしっかり把握している。事実無根のあらぬ噂を振りまかれ、攻撃の的にされた祖父の無念は、想像をこえるものだったと思うが、温厚で人格者の祖父は平然としている様に見えた。

 

 ○この騒動・事件では、直接のターゲットとなった祖父と、深刻なイジメを受けた孫の小生の二人が、直接的な被害者だった。だからこそ、孫がこの歴史的な事件・騒動の検証にタッチすることを、祖父は許してくれると思う。祖父と孫の信頼関係は、それほど厚くて深いと信じている。

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 ○さて事の発端は、集落で若い娘が相次いで病死したことだった。今から思えば明らかに伝染病であったが、当時は医者も近くにおらず、「イタコ(巫女=ミコ)の”お告げ”に一部の集落民が振り回された」ことがが悲劇をもたらした。

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<編注>

「イタコ」とは、

 ○東北地方に広くみられる巫女(ミコ)。口寄せを業とする者が多く、また、中年以上の盲目の女性であることが多い。(~国語大辞典/小学館

 ○青森県に実在する女性の霊媒。広く知られているのは、ホトケ(死者)の魂を憑依(ひょうい=霊が乗り移る)させ、ホトケの言葉を自らの口を通して伝える「口寄せ」

 (~Google

 ○日本の北東北口寄せを行う巫女(ミコ)のことであり、シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職(~ウィキペディア

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 ○集落の中には、病人が出ると真っ先に「イタコ」に診て貰う人が居た。イタコは、「病気になったのはイズナがついたからだ、イズナは水に弱いから水をかけて退治しろ。箒で叩いてイズナ(小動物)を追い払え」などの ”お告げ” をした。

 

 ○イタコの ”お告げ” を真に受けた集落民は、イズナを追い払うために瀕死の状態で床に臥せている病人の頭に盥(たらい)一杯の水をかけたり、箒や棒で病人の身体を叩き回ったそうだ。

 

 ○こんな事をしたら、治る病気も治る筈がなく、若い娘たちが次々に死んでいった。この現象を利用して、「イズナを飼っているのは、◎◎(小生の祖父)だ」との口コミが意図的に流されたのだった。これが事の発端だ。

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 ○念のためインターネットで調べると、「怪異・妖怪伝承データ・ベース」などに出てくる。それには次のように書かれている。

 

 ①イズナはエジナともいう ②人間に憑(つ)といわれる妖獣で、狐憑(きつねつき:狐の霊につかれる)の一種。体長9~12cm位のイタチのような小動物 ③民間宗教家のような特殊な人間の命令で動く。④イズナを使役する者を「イズナ使い」といい、操る方法を「イズナの術」という。

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 ○イズナのことを、集落ではキズネッコ(狐)とも言った。狐が人に憑(ツ)くのは迷信だと思う人でも、伝染病が流行したりすると、イズナは本当にいるのではないか、と思ったようだ。今なら信じられないが、戦前・戦時中の北東北では、いまだ封建社会だったので、そうした非科学的な民間信仰がはびこっていた。

 

 ○イタコに来て貰って、「死んだ人の語りを聞く」などした家もあり、遅れた田舎の小集落では、当時はバカにできない影響をもっていた。よく思考すると、イタコは「イズナは迷信である」ことを承知の上で、そうした「お告げ」をしていたとも思われる。迷信がなくなったら“メシの食い上げ”になるから、無知の集落民に対して、日頃から懸命の「布教」活動をしたようだ。

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 ○このように、イズナは実在しない“想像上の怪獣”に過ぎず、「イズナ憑き」は遅れた封建社会の完全な迷信であった。しかし当時は、これを信じた人が少なからず居たのだ。今のように医者にかかって正しい治療を受けずに、イタコの「お告げ」に騙されて死んでいった人が多勢いた。それだけで済めば、その時代の寒村集落で起きた悲しい物語、として記録されるだけだった。

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 ○だが、問題は思わぬ方向に発展した。いや、誰かの策謀で、一つの方向に持って行かれたから堪らない。「集落の◎◎がイズナを飼っていて、集落中にイズナを放ち、憑(つ)けまわっている」と誰かが言いふらし、それがいつの間にか集落中に広まり、多くの人はそう思いこんだ。

止まれ!「◎◎」とは、他ならぬ小生の祖父のことであった。

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 ○その噂を言いふらし、騒動を煽っていたのは、集落の総元締めの“大家”であることは、はっきりしていた。当時の集落では、大家は絶対的な存在だったので、その親戚筋や食わして貰っている小作人達を中心に、祖父に対する中傷・人身攻撃が繰り広げられた。

 

 ○大家の走狗となって、大家の兄弟や親族が踊った。彼らの子供たちが、1年上級の遊び仲間であった。親の意向を受けたのだろうか、1年下級の小生を虐めにかかったのであるそれまでは遊び仲間だったのに、突然ある日から!

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 ○遊び仲間から外されるだけでなく、暴力的なイジメも受けた。学校の帰りに、「イズナ持ち!」とか何とか言って、突然小生に襲いかかり、崖から突き落とされたことがあった。死ぬかと思うほど、痛くて恐かった

 

 ○また、学校の講堂で、朝礼が終わって先生が居なくなった瞬間突然背後から小生を押し倒し、何人もが上から乗りかかり、小生を潰しにかかった。胸や腹を圧迫された小生は、苦しさのあまり嘔吐した。

 

 ○まさに“陰に陽に”毎日いじめられた。小学校(国民学校)に入る前や入学当初は仲のよい遊び友達だったのが、イズナ騒動が発生してからは、突如イジメの加害者と被害者に変貌したのである。

 

  ○昨今「イジメ」問題が報じられる度に、小生はこの苦い体験を想い出し、今は個人的な要素があるが、小生の受けた集団的イジメは、もっと根の深い社会的な問題の反映であったと見ている。

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 ○イズナ問題を公然と象徴するような出来事が、ついに発生した。今でも鮮明に覚えている。頃は終戦の前年当たりだったろうか、台風か何かで暴風の真夜中、突如玄関を荒々しく開ける音と大きな怒声が聞こえた。一体何事だろうと皆が飛び起きてみたら、集落のM(大家の第一子分)が、病床に臥している娘を抱きかかえて、怒鳴り込んできたのだった。

 

 ○瀕死の病人を放り投げて、「イズナに憑かれたから、イズナ持ちの◎◎の家に返しにきた」などとわめき散らした。大家の筆頭親族のMが公然と仕掛けた許し難い暴挙であり、もちろん父が抗議して追い帰した。

 

 ○それまでは隠然とした中傷・人身攻撃・村八分、小生へのイジメだったのが、いよいよ、真夜中に殴り込みを駆けるところまでエスカレーとしたのだった。更に許せないのは、悪天候の真夜中に病人を連れて来たのは、病気を移すのを目的にした行為だった。この夜の出来事は、驚きと共に、しっかりと小生の脳裏に焼き付けられている。

 

 ○事態を重く見た父は、直ちに集落全体の緊急総会を招集した。そして、イズナなどを飼ってはおらず、それを憑け回っていることもない。イズナは迷信で、若い女性達が病気にかかって死んだのは、イズナ憑きではなく、伝染病によると思われる。それをイタコの言うとおりに、病人に水をかけたり、箒で叩いたりしたら病気が治るはずがない・・・・などと説いた。

 

 ○子供の小生は、もちろん会議のメンバーではなかったが、隣の部屋で集落総会の様子をうかがっていた。集会の内容を詳しくは知らないが、その光景や漏れ聞こえてくる発言の大筋は把握できた。後刻あるいは後日、父や兄から詳しい話も聞いたので、真相を知っている

 

 ○集落は遅れた小集落部ではあったが、父は役場公吏としての良識や常識をわきまえていた。「大家」直系の一族は別として、中間的な部落民はイズナについては半信半疑だったが、何しろ「大家」の旗振りだから仕方なく従っていた。

 

 ○心ある集落民は、「そんなバカな話があるか、◎◎はそんな悪いことをする人ではない、第一イズナなんて見たこともない」などと思ったり話したりしていたようだ。だが、それを表に出して「大家」批判をする人はもちろん居なかった。この集落総会における、父の道理ある説得は効いたようである。

 

 ○更には、「Mの行動は許し難く、脅迫罪にも当たるので、本人の謝罪がなければ警察に訴える」と論を進めた。おそらく、集落の実力者K(祖父◎◎の兄)の説得もあったであろう。非常識な行動に出たMが謝罪、それをK氏が文書に認めて全体で確認した。これによって、部落を震撼させたこの事件・騒動は一件落着した。

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 ○「イタコ」の言うことがいい加減なものでイズナなどは存在しない。このことを子供ながら知っていたのは、実は小生そのものだったS君の家でやはり娘さんが病気に罹り、イタコを呼んで診て貰った。ちょうどその日に、小生はS君の家に遊びに行っていた

 

 ○イタコが外に出てきたと思ったら、目立たないようにポケットから縫いぐるみ(ネズミかイタチ風)を取りだして、縁側の下に置き、あたかも縁側の下にイズナが隠れていたように装った小生はそれをこの眼でしっかりと目撃した。

 

 ○案の定、その縫いぐるみをS君の父親に見せながら「縁側の下にイズナが隠れていた。だから、娘さんはイズナに憑かれたなどと、もっともらしく「お告げ」したのであった。まさか子供に見られているとは気づかなかったのか。そんな筈はない。子供に見られないように立ち振る舞ったつもりだったのだろう。

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 ○この話はもちろん、親兄弟には教えた。こうした実体験があったので、「イズナは実在しない、イズナ憑きは完全な迷信である」ことを確信していた。だから、イズナにからめて祖父◎◎を攻撃したり、孫の小生を虐めたりするのに、心底から怒りを覚えていた。

 

 ○なお、虐められたのは勿論小生ばかりではなく、二人の兄、そして従兄にまで及んだ。何と言っても、一番困り苦しい思いをしたのは、小生の大好きな “爺さま” だったに違いない。

 

 ○ところで、祖父がどうして、こうしたウソでっち上げの攻撃の的にされたのか。本人からは聞いたことがないが、父母や兄から詳しく聞いている。なんでも、祖父の出た家関係で多額の借金が必要になり、その連帯保証人を頼まれたのを、祖父〇〇が断ったことに関連していることがわかった。(以下、仔細は省略

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 ○安倍総理は、「太平洋戦争の評価は、後世の歴史家に委ねよ」と無責任なことを言っている。イズナ事件の分析・評価の仕事は、当事者・関係者が全員居なくなった現在、もはや誰にも出来ない。まして「後世」の人は何も分からない。ここはやはり、虐められた当事者であり、当時の生き証人の一人でもある小生の出番だ。

 

 ○この事件・騒動が落着してからは、勿論小生を虐めた連中との友情関係は回復し、今でも懐かしい幼な友達である。小生が幼少の頃を回顧すれば、必ずこの「イズナ事件・騒動」はついて回る。一生忘れられない想い出であり、小生のその後の生き方や考え方にも少なからず影響している。

 

 ○大人になってからタマにしか集落に行かないが、炭焼きをしていたS君とゆっくり話したことがある。T君は集落の住人なので、会った時は懐かしい昔話もする。祝儀だか不祝儀の席で、二人と酒を飲み交わしながら昔の想い出に浸ったが、「イズナ事件」には触れたことがない

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』131巻3941号 2022.6.8 hideki-sansho.hatenablog.com  No.981