秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

自分史 Review  6)  子供の頃の想い出⑥ <付録> 〜 完結号!

 

 

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ふるさと論

 

 ○今回の回想記が一応終わったところで、執筆の動機となった「故郷」について、ちょっと考えてみたい。

 

 ○国語辞典をひくと、こきょう(故郷)は「生まれ育った土地。ふるさと」とある。そして、ふるさと(古里・故郷)は、①自分が生まれた土地。郷里。②かつて住んだことのある地。また、なじみ深い土地。とある。

 

 ○小生にとっては、辞書に出てくる通り「生まれ育った土地」なので、“故郷”そのものだ。「かつて住んでいたことのある土地」や「なじみ深い土地」も含めれば、多くの人が「ふるさと」を持っていることになる。

 

 ○例えば、嫁に行けば実家がこれに該当しよう。出稼ぎ等で東京に行ったことがある人にとっては、東京は“第二の故郷”かも知れない。

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 ○石川啄木(1886-1912)室生犀星(1889-1962)との、故郷を詠んだ有名な詩歌がある。故郷を懐かしく想う気持は共通だが、当然個人差も見受けられる。

 

 ○渋民村出身の天才少年啄木は、盛岡中学(旧制)5年生の時“カンニング事件”等で退学処分をうけた。致し方なく16歳で上京した。しかし、翌年帰郷→盛岡移住→渋民帰村→北海道→上京など、病気・生活苦とたたかいながら、あちこちを転々とした。

 

 ○石川啄木が、「石をもて追はるるごとく/ふるさとを出しかなしみ/消ゆる時なし」と詠み、「ふるさとの山に向かひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな」とも詠んだ。啄木にとって、“故郷は帰りたいところ”だったようだ。

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 ○対照的に室生犀星は、望郷の念にかられて帰郷したものの、それを悔いているようだ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」は、啄木の歌とともによく引用される。しかしこの歌は、その続きも含めて、歌全部をしっかりと吟味する必要がありそうだ。

ふるさとは遠きにありて思ふもの / そして悲しくうたふもの

よしやうらぶれて異土の乞食となるとても / 帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに / ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて遠き都にかへらばや

 

 ○つまり、ふるさとは“遠くにあって思うもの”に続けて、“悲しく歌うもの”となっている。また、“たとえ異郷で乞食になろうとも”、“帰るところであるべきではない”、つまり“帰るところではない”と詠んでいる。

 

 ○ずばり言えば、“故郷は遠くで思っているのが一番で、帰るところではない”と言っているようだ。逆に“遠い都に帰りたい”と結んでいる。

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 ○故郷(ふるさと)への想いは、人によって異なり、一様には論ずることは出来ないようだ。しかし、「懐かしい想い出の地」であることには、誰も異存ないだろう。

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 ○生まれた地を出たことのない人は別として、故郷を離れて生活した経験のある人は、今も昔も、自分の生まれ育った故郷を想い出したり、懐かしんだりする。この自然な「望郷」「懐郷」の念が、その人の活動や人生に多かれ少なかれ影響する。

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 ○小生の場合は、故郷を追われたわけではなく、“青雲の志”を懐いて自分の希望で上京した。従って、一度たりとて故郷に帰りたいと思ったことはない

 

 ○東京には50年以上も住み続け、生を営んできた。自分は「東北出身の東京人」だと思っている。

 

 ○「子供の頃」は誰にでもある。この時期の境遇や経験が、その人の生涯や人間形成に少なからず影響し、ある場合には大きな作用を及ぼす。小生の場合、今回「想い出」を書いて分かったが、かなりの影響を受けているように思える。

 

 ○小生は、「故郷」を持っているので、その分幸せだと思っている。考えてみれば、故郷のある人もない人も、そして故郷に帰った人も帰らない人も、みんな同じ人間だ。それぞれの事情の中で生きており、そのなかに幸せを求め、享受していると思う。

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 ○教育基本法が改正されて、「郷土と国を愛する心」が盛られた。わざわざ法律に書き込む必要があるのか?故郷愛・郷土愛・祖国愛は、誰でも自然に身に付くものであり、法律で押しつけるようなものではないだろう。今回の政府の措置には、別の“魂胆”が見え隠れする。

 

 ○国語辞書を引くと、「郷土」は「生まれた土地。ふるさと」とある。愛するなと言われても、愛さずには居られない。それが故郷であり、郷土であり、さらに祖国である。

 

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 「政治」論

 

 ○以上「子供の頃の想い出」を長々と綴ってきたが、最後に、小生が最も関心をもっている「政治学」と「政治」を中心に、“大人になってからの思い”にも少し触れてみたい。小生の生き方には、子供の頃の想い出が深く繋がっているように思える。

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<政治とは>

 

 ○政治の目的は、全世界の人間、即ち人類の幸せを実現することにあると思う。それがともすれば「国家国民のため」の政治と極限され、他国を相手とした戦争をするからおかしくなってしまう。国益”を守るのが政治の目標となり、その為には他国や他国民を犠牲にするのが当然である、かのごとき風潮が支配的である。

 

 ○日本の戦争も“鬼畜米英”に対する“大日本帝国の聖戦”である、と教えられた。つまり、“天に代わりて不義をを討つ”正義の戦争、ということだった。アメリカのイラク戦争も“テロに対する戦い”と吹聴された。

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<世界連邦>

 ○小生が高校時代に「世界連邦」に関心をもったのも、「国家」が戦争の原因であると考えたからだ。新聞社の前で、世界連邦の必要性を演説した高校時代が想い出される。最近のアメリカの戦争も、究極的には「国家の威信」「強いアメリカ」をキーワードにしている。

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反戦・平和> ~生涯の信念

 ○小生の政治的な立場は、子供時代のなまなましい経験を踏まえた「反戦・平和」に尽きる。それは一般的なヒューマニズムに留まらず、子供の頃の苦い体験と深く関わっている。“二度と戦争をしてはならない”。これが生涯の信念だ。

 

 ○本文でも少し触れたが、国民学校3年生の夏に「敗戦」するまでは、戦争の真っ直中に生き、軍国主義思想を徹底的に叩き込まれた。そして突然の終戦=敗戦。戦前・戦後の両方を多感な子供時代に経験した。そこから自然に導き出されたのが反戦・平和」の思想だ。

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<時代の使命>

 ○この世に生まれてきた人間は、自分の幸福追求だけでなく、「時代の使命」を果たすことにも目が向けられる。戦争の時代と平和の時代をともに経験した小生にとって、時代のキーワードは「平和」の二文字に集約される。

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<出征兵士>~“死んで帰れ”と励まされ~

 ○昔は二十歳になれば、否応なく軍隊に召集された。集落からも多くの若者が「死んで帰れ」と励まされて戦地に旅立った

 

 ○当時は小学校しか出ていないのが普通だった。応召の朝には、自宅前で見送りの家族や集落民に対し「出征」の挨拶をした。誰かに書いて貰ったのを丸暗記したようで、出陣の挨拶はたどたどしかった。途中でつっかえて「元へ」と言い直したりした。

 

 ○「万歳三唱」で送り出し、国旗を振って別れを惜しんだものだ。もちろん「本当の別れ」に決まっていた。

 

 ○兵隊に行った人は皆、「お国のため」「陛下の御為」に一身を捧げるのが宿命であった。戦死せずに帰郷でもしようものなら、「お国のために役立てなかった」「天皇陛下に申し訳ない」と親が悲しんだ。

 

 ○そいう時代だったのだ。どれだけ国民が苦しみ、泣かされたことか! 本当に「死んで帰れ」と願った人が居ったろうか。そんな筈はない。心ではみんなが無事帰還を祈っていたのだ。

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<兵士からの手紙>

 ○応召して暫く経つと、親宛に葉書が届いた。何しろ手紙なんかそれまで書いたことがない人が多いので、字は拙劣、いや仮名ばっかりの、たどたどしい手紙だった。おそらく先輩兵士から教わってやっと書いたのだろう、内容も幼稚なものだった。

 

 ○葉書を貰った親は嬉しくて読もうとした。しかし、字の読めない親が殆どだった。そのため、小生の家に葉書を持ってきて読んで貰っていた。読んでやる役割は、大体はT兄さんの仕事だった。

 

 ○読んで貰って中身はわかったが、さて返事が書けない。読めないだけでなく、字を書けない集落民が普通だった。代わって返事を書いてやるのも、T兄の役目だった。書き終わると読み聞かせ「これでいいかな」と聞いていた。「ありがどごぁんす」と恐縮してペコペコ何度も頭を下げて帰ったのを、昨日の如く想い出す。

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<“死んで帰った”兵士>

 ○戦争が激しくなり日本の敗戦も近づいた頃は、戦死者が続出した。つい先だって見送ったばかりの若者が、白い遺骨となって悲しい帰郷を果たした。その白木の箱を遺族が開けたら、中には紙切れ1枚しか入っていなかったそうだ。

 

 ○「遺骨」もなければ「遺髪」もなかった。文字どおり戦陣の華と散ったのだ。戦時中は『君が代』とともに『海ゆかば』を歌わされた。その歌詞どおり、「海行かば水漬く屍/山行かば草生す屍」になったのである。

 

 ○集落の墓所へ行くと、戦死した若者の墓石の名前の上に「陸軍上等兵」「陸軍兵長」「陸軍曹長」など “兵隊の位”が書き込まれている。それを読むと、戦争のなまなましい記憶が甦る。

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<戦争は繰り返すな>

 ○戦争の姿をありのまま見て育ったので、こうした経験は忘れられない。それまで一緒に遊んでくれた先輩達が、ある日突然召集され、間もなく遺骨(しかも中身は紙一切れ)になって集落に帰って来た光景は、国民学校低学年だった小生の頭にしっかり刻まれた。子供ながら、戦争の怖さ、戦争に対する“憎しみ”みたいなものが心に芽生えた。

 

 ○こうした先輩達の無念、家族・遺族の悲しみを考えると、戦争を二度と起こしてはならない! と決意したものだ。つまり、自分らの世代の歴史的な使命は「平和を守り、戦争は絶対に繰り返してはいけない」ことにある、との確信に行き着いた。

 

 ○これが原点であり、その後の小生の生きる指針・政治信条となった。

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政治学

 ○戦争をなくし、平和を実現するためには、政治を変えなければと思った。その為には、大学で政治学を勉強して、政治家になるのが近道ではないか、と思うようになった。その限りでは、一時期「政治家」を志したことは事実だ。

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<政治家>

 ○もとより、政治家になりたくても、容易になれるものではない。まして小生は、政治学の勉強を重ねるうちに、政治家志望を取りやめたのだから、ならなかったのは当然だ。

 

 ○政治学を専攻して、政治についていろいろな角度から勉強した。その結果、政治家になるのが政治を変える唯一の道でないことに気が付いた。政治家になるのが目的ではなく、政治をよくするために政治家になる。これは当たり前の話だ。

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学生運動

 ○政治学を勉強した小生は、学生自治会活動学生運動には積極的に参加した。決して“ノン・ポリ”などではなかった。バイトと学生運動に明け暮れた4年間だったので、勉強に割く時間は少なかった。この頃は、真面目な学生はみなそうだった。

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安保闘争 

 ○歴史的な「60年安保闘争」は、学生、労働者、市民、革新政党などと連帯してたたかった。浅沼社会党委員長の暗殺もあり、命がけの闘争だった。

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<労働運動>

 ○小生は労働運動にも積極的に取り組み、組合の書記長・副委員長・委員長を歴任した。仕事も熱心にやり、忙しい事がいっぱいあったので、家庭サービスは殆ど出来なかった。

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おわりに 

 

 ○過去を振り返るのは早いかとは思ったが、完全に耄碌(もうろく)してからでは書けないと思い、幼い頃の想い出のみを書き出してみた。

 

 ○テーマが自分の子供時代、故郷に関することなので、今でも鮮明に脳裏に焼き付いており、それを文章化するのは、さほど大変なことではなかった。

 

 ○書き出してみると、あれもあった、こんな事もあった、と次から次へと想い起こされるので、その都度追加した。子供の頃の想い出はいくらでもあるものだ。

 

 ○「イズナ事件」は、小生にとって絶対に忘れられない重要項目であり、書きたいことが多かったので、ついつい力が入った。

 

 ○「子供の頃」からはみ出て、話が現在に及んだ所もある。筆が滑ったというよりは、自然の流れでそうなった。子供時代と大人時代の繋がりは致し方ない。

 

 ○「大人になってからの思い」にも少し言及したほうがよいと考えて、「付録」として、「ふるさと論」と「政治論」を追加した。

 

 ○今から60年ないし65年も前の時代の回想記なので、記憶があいまいな部分もあるし、小生の記憶違い、思いこみがあるかもしれない。

 

 2007年(平成19年)3月

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<編集後記>

 

 ○6回シリーズに及んだ「自分史Review  子供の頃の想い出」は、本号で完結です。ご愛読ありがとうございました。

 

 ○本稿は今から16年前の2006年7月の誕生日(古希)に執筆を始め、翌2007年3月に書き終えたものです。

 

 ○今回の『秀樹杉松』への投稿に際しては、加筆・訂正は行わず、逆に大幅な削除を行いました

 

 2022年6月9日

  

『秀樹杉松』編集長 Atelier秀樹

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』131巻3942号 2022.6.9 hideki-sansho.hatenablog.com  No.982