秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

日本百名山「飯豊連峰」”研究” ~ 山の日に因んで、飯豊山(飯豊本山)中心に。飯豊神社も含めて、

 

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↑ 飯豊連峰〜『山渓カラー名鑑 日本の山1000』(山と渓谷社1992刊)から

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飯豊山 同上書から

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今日8月11日は 山の日。そこで、前号(8月9日付)の「朳差岳(えぶりさしだけ)」に続いて、飯豊山を中心に、飯豊連峰を取り上げます。山にも行けないので、”研究”と洒落てみました。山の奥は深いようです。

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<編註>

飯豊山百名山」を確認しようと日本百名山で検索したら、「飯豊山」は見当たらず、飯豊連峰が出てきたのでびっくり。因みに。手許の『日本の山100』(山渓カラー名鑑)を開いたら、飯豊連峰の写真と「飯豊連峰概説」が出ており、ページを捲ると、飯豊山、大日岳、朳差岳などの飯豊連峰構成の山も出てくる。

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<はじめに>

日本百名山「飯豊連峰」の「飯豊山」は標高2,105mの名山ですが、”研究”の結果、種々な歴史的な経緯に富んだ、「東北アルプス」の名山であることがわかりました。因みに小生は「飯豊山」登山の経験はありません。

 

飯豊山 (いいでさん )

 

以下は、『山渓カラー名鑑 日本の山1000』(山と渓谷社,1992刊.)からの引用です。

飯豊連峰南部に位置。この連峰の主峰であり、飯豊山または飯豊本山と呼ぶ。福島県耶麻郡山都町が山形・新潟県境に細長く割り込んだ飛地。実際には、山形県西置賜郡小国町と新潟県東蒲原郡鹿瀬町との境に位置する。

 

山頂は花崗岩の露岩に覆われ、一等三角点が置かれる。その東500mには飯豊山神社が祭られ、飯豊山頂小屋が建つ。連峰の最高峰は大日岳に譲るものの、その風格と歴史において、やはりこの山が盟主である

 

山頂に祭られる飯豊山神社は一説に役小角(えんのおづぬ)が開山したと言われるが、江戸時代から信仰登山の対象として開かれた。当時の登山は「飯豊詣」と呼ばれ、8月の1ヶ月間に限って14歳前後の若者を伴って3日3晩の間、先達の指導で山に籠る、いわば成人の儀式であった。

 

当然、女人禁制の山であった。飯豊山神社の神は女神であるため、女性が近づくとやきもちを焼いて、その女性を石にしてしまうとの言い伝えがある、

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以下は、ウィキペディアja.m.wikipedia.org)からの引用です。

飯豊山飯豊山地標高2,150.1mの山である。主峰は、通称飯豊本山とも呼ばれることもあるが、国土地理院地図における表示は飯豊山のみである。

 

磐梯朝日国立公園内に位置し、可憐に咲く高山植物が有名で、日本百名山や東北百名山、やまがた百名山の一つに数えられている。飯豊連峰の最高峰は、標高2,128mの大日岳である。

 

福島・新潟・山形三県の県境にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが福島県喜多方市になっており、山頂付近は喜多方市である。

 

理由は、明治期に廃藩置県飯豊山付近が新潟県編入されたが、飯豊山神社宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、山道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である。そのため、福島県の県境が歪な結果になっている。

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飯豊山神社 ウィキペディアから

 

飯豊山神社は、福島県喜多方市飯豊山主峰である飯豊山南峰(2,102m)にある神社。麓に麓宮があり、飯豊山頂の奥宮と共に、両宮が一体のものとされる。

飯豊山地は、「山容飯を豊かに盛るが如き」と表現され、これが飯豊の語源になっている。

 

明治時代になると、廃藩置県が実施され、それまで会津の一部であった東蒲原郡福島県から切り離され、奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に編入されることになったが、これに麓宮のある耶蘇郡一ノ木村(現・喜多方市)が反発「飯豊神社は奥宮と麓宮で一宮である」と主張した。結局、1907年に内務省裁定により、飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地となった。現在の。いびつな形の福島・新潟・山形県境はこれに由来する。

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飯豊山 山名の由来 ウィキペヂアより

 

飯豊山名の由来には諸説あり、確定していない

福島県会津地方では「いいとよさん」とも呼び、雪化粧した山容が飯を豊かに盛った様子に見えることから、この名がついたとされる。

 

陸奥国風土記逸文には飯豊山の名の由来について、以下の2つの伝承が記されている。

①この山は豊受比売神トヨウケビメ)の神域であった。履中天皇の皇女である飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が物部氏を遣わして、豊受比売神に御幣を奉納した。それでこの山を飯豊と呼ぶようになった

 

垂仁天皇の時代に飢饉が発生し、多くの人々が死んだ。そのため。この山を「宇恵々山」と呼ぶようになった。後に好宇に改めて豊田と呼ぶようになり、さらにそれが変化して飯豊と呼ぶようになった。(ちょっと難解ですね!)

 

飯豊(いいとよ)を歴史的仮名遣いで表記すると、「いひとよ」となる。「いひとよ」とは古代日本語でフクロウを指す言葉であり、それが語源であるという説もある。

 

山麓に温泉(湯ノ平温泉)があることから、「湯出(ゆいで)」が変化したものだと言う説がある。

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飯豊青皇女ウィキペディアより

 飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ 允恭天皇29年?ー清寧天皇5年11月?)は、記紀に伝えられる5世紀末の皇族(王族)履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女。第22代清寧天皇崩御後に一時政を執ったとされ、飯豊天皇とも呼ばれる。

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飯豊山 やまふく (tif.ne.jp) より

福島、山形、新潟三県にまたがる広大な飯豊連峰。その中で飯豊本山は一等三角点も置かれ、名実共に飯豊連峰の盟主である。修験道の山として、人々の信仰の山として古くから崇められてきた歴史を持っている。夏でも広がる豊富な残雪や、多くの高山植物は、飯豊連峰の大きな魅力となっている。

 

飯豊山 ヤマケイオンラインhttp:// yamakei-online.com より

飯豊連峰南部に位置する、この連峰の主峰であり、飯豊山または飯豊本山と呼ぶ。福島県耶麻郡山都町(現在は喜多方市山都町)が、山形・新潟県境に細長く割り込んだ飛地

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飯豊山(別名:飯豊本山)、3県にまたがる「東北アルプス

    YamaReco(yamareco.com)より

 

飯豊山は、福島県新潟県、および山形県にまたがる巨大な山脈。狭い意味では主砲の飯豊山を指すこともあり、これらを区別するために山域を飯豊連峰、主峰を飯豊本山と呼ぶこともある。

山塊は南北約20kmにおよび、花崗岩の隆起で誕生したと考えられている。朝日連峰と合わせて、「東北のアルプス」と称されている。

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<編註>

①本稿執筆に先立ち「飯豊山百名山」を確認しようと、日本百名山でネット検索したが、「飯豊山」は見当たらず飯豊連峰が出てきました。どうやら、飯豊山・大日岳・朳差岳など個別山名ではなく、「飯豊連峰」が百名山に認定されているようです。]

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②”研究”ついでに、日本百名山」の山名を徹底的に調べてみました。結果は以下の通りでした。

〇〇 53

〇〇 40

その他  (〇〇連峰、〇〇、〇〇、〇〇、〇〇

 計 100

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』132巻3971号 2022.8.10/ hideki-sansho.hatenablog.com #1011