秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

奥州三関 ~ (1) 勿来の関(なこそのせき)

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白河の関といえば東北への玄関口。東北出身なのでよく知っている(つもり)が、本稿で取り上げる「勿来の関」(なこそのせき」は、有名な割には距離を置いていた感じ。名著高橋富雄『古代蝦夷を考える』(上掲写真)を読んで示唆を受け、今回詳しくSTUDYしてみました。

 

調べてすぐに、白河の関」「勿来の関」「念珠の関(鼠ヶ関)」の三つを合わせて、”奥州三関” と呼ぶことがわかりました。

奥州三関

白河の関福島県白河市

勿来の関福島県いわき市

念珠の関(=鼠ヶ関)(山形県鶴岡市鼠ヶ関 ねずがせき)

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<驚き>

さて、スマホで「奥州三関」を調べる過程で、思いもかけなかった問題に遭遇しました。もう一つの「奥州三関」(歌)の動画が出てきたのです。「奥州三関」という歌があるとは,、全く知らなかったので、たいへんビックリしました。(2022年2月2日発売とあるので、出たばかりですね!)

奥州三関(青山新(”Uta-Net”)

 

歌詞には、「奥州三関」が以下のように読み混まれています。

○・・越える苦労の 白川(しらかわ)の関・・

○・・未練断ち切る 勿来(なこそ)の関・・

○・・越える試練の 念珠ヶ関(ねずがせき)・・

 

作詞者はもしかして「東北出身者」かも?、とスマホで調べたら、次のような結果が出て驚きました。

「奥州三関」の作詞者は、麻こよみ(あさこよみ)さんという福島県郡山市出身の方であることがわかりました! 私の予感・期待がズバリ当たったのです。福島県出身のの彼女だからこそ書けた「奥州三関」ですね!

 

<編集註>

麻こよみさんの「奥州三関」と、本稿主題の「奥州三関」は同名なので紛らわしさもありますが、私が取り上げる「奥州三関」は「奥州三関」「奥州三」「羽三古」「三関」とも表記されるので、別に問題はなさそうですね。歌の曲名「奥州三関」は、一つだけですが。

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以下の本稿は、テキストとして「ウィキペディア」(ja.m.wikipedia.org)を使いました。やや難解ですが、よろしかったらご参照ください。

 

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勿来関(なこそのせき)

 

古代から歌枕となっている関所の一つ。江戸時代の終わり頃からは「奥州三関」の一つに数えられている。所在地が諸説ある上、その存在自体を疑う説もある

以下、福島県の観光地「勿来の関」と区別するため、および、漢字表記に揺れがあるため、本論の関を「なこそのせき」と記す。

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「なこそ」

 

語意

古語における「禁止」の意味な~そ」に、「来(く)」の未然形「来(こ)」が挟まれた「な来そ」(なこそ)に由来する。現代語では「来るな」という意味。

 

漢字表記

名古曽」「奈古曽」と書かれる例と、「名社」と書かれる例がある。漢文において「禁止」の意味で用いられる「勿れ」(なかレ)を用いて「勿来」と書き、語訳から「なこそ」と読み下す例がある。関の名所であることから「来」に「越」の字を当てて「勿越」「莫越」と書く例も見られる。(「莫」は「勿」と同様に禁止の意味)

 

なこその関

 

「なこその関」はとよぶも関所とはよばない。また、目下のところ、和歌などで文学作品以外の古代の史料に「なこその関」を見出すことすらできていない

 

一般に「なこその関」は、「白河の関」、「念種の関」(『吾妻鏡』の表記。江戸時代以降は鼠ヶ関、他に念珠ヶ関とも)とともに、奥州三関」に数えられる。しかし、「奥州三関」が、なこそ・白河・念種の三関を指していたのかの確証はない

 

奈良時代蝦夷の南下を防ぐ目的で設置されたとする説がある。「なこそ」が「来るな」という意味であることから、あるいは、他の関が軍事的に活用された事例からみてだが、今のところそれを積極的、直截的に示す根拠は見当たらない

 

所在地

今のところ、所在地は分かっていない

 

考古学による推定

 現在、考古学的な発掘調査を根拠とした所在地の推定はなされていない

 

文学作品による推定

 17世紀に「西山宗因が寄稿文「宗因奥州紀行巻」のなかで「なこそのせきを越て」磐城平藩領に入っていると記していることなどから、現在のいわき市に長らく比定されている吉田松陰の『東北遊日記抄』にも現いわき市勿来町関田字関山付近を「勿来関」と記録されている。(ただし、「なこそ」の地名がこの周辺に存在した証はない

 

福島県いわき市勿来町に所在したと考えられている「菊多関」の別名とする説もあるが、最近では区別されている。

 

歌枕である「なこその関」は多くの歌人に詠まれているが、それらの歌からは陸奥国(東北地方の太平洋沿岸部)の海に程近い山の上の情景がイメージされる。しかし、一般に近代以前の和歌においては、歌枕を詠むにあたってその地に臨む必要はない。「なこその関」を詠んだ歌についても、その多くは現地で詠んだ歌とは考えられていない

 

その他の推定

陸奥国多賀城や松島丘陵の軍事的な意味合い、19世紀ごろの江戸時代の絵図『陸奥名所図会』などを根拠に、奥大道と名古曽川(なこそがわ。現在は「勿来川」と書く)が交わる宮城県利府町森郷字名古曽に比定する説もある。

 

周囲は「惣の関ダム」が建設されたため地形が大きく変わり、現在は「なこその関」の説明板と江戸時代に建立された「勿来神社」の碑、及び利府街道沿いに「勿来の関跡」の誘導看板が設置されているのみである。なお、「勿来神社」の碑から約4km南に多賀城政庁跡がある。

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歌枕

平安時代から近代前までに125種ほどの短歌形式の和歌に詠みこまれている。(引用省略)

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【参考メモ】

 

いわき市観光サイト(kankou-iwaki.or.jp)より

 

勿来関(なこそのせきあと)

「来る勿れ」(くることなかれ)の勿来関

 

白河の関福島県白河市)・念珠ヶ関(山形県鶴岡市)と共に奥州三関のひとつに数えられている、勿来関の跡地です。

「来る勿れ」(くることなかれ)という枕歌で知られる文学上の関として知られています。周辺は県立勿来自然公園に指定されており、四季を通して楽しむことができます。

 

◉「国語大辞典」(小学館

 

「な」(副詞)

禁止の意を表す。イ)下に動詞の運用形をを伴って用いる。ロ)下に「動詞の連用形+そ」を伴って用いる。→ な・・そ。

「な・・そ」

相手に懇願し、婉曲に禁止の気持ちを示す。どうか、・・してくれるな。どうぞ、・・してくださるな。本来は「な」の後に、連用形を置くだけで、禁止の表現として十分であり、最後に添えられる「そ」は、禁止の気持ちをさらに強める働きを加えるものであったらしい。「そ」を添える言い方も非常に古くからあり、「な+連用形+そ』の型は、禁止表現の型として、早く固定した。

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写真 / Atelier秀樹

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『秀樹杉松』133巻3989号 2022.9.16/ hideki-sansho.hatenablog.com #1029