秀樹杉松

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奥州三関 ~(2) 白河の関

 

 

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白河市(city.shirakawa.fukushima.jp)白河関より

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奥州三関(2)白河の関

前回の 「勿来の関」(なこそのせき)」に続いて、奥州三関 (2)白河の関をお届けします。有名な関ですので、ご存知の方が多いと思います。白河は私にとっても、馴染みの地です。

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白河の関

 ~以下は、ウィキペディア(ja.m.wikipedia.org)からの引用(抄)です。

 

古代の日本における関所の一つ。奈良時代から平安時代にかけて、京都から陸奥国の通じる東山道の要所に設けられた関門として歴史上名高く、「みちのく」(奥州。現代の東北地方)の玄関口」とされてきた。

 

所在地は福島県白河市畑宿に比定されており、白河神社が祀られ、国の史跡に指定されている。当地は下野国(現:栃木県)陸奥国(現:福島県など)との国境付近であり、現代でも関東地方と東北地方との境界となっている。

 

白河の関より北に位置する東北地方(または北海道地方)を白河以北」「河北」と称することがある。鼠ヶ関(ねずがせき)勿来関(なこそのせき)と共に、「奥州三関」の一つに数えられる。

 

当初、白河関ヤマト政権が北方の蝦夷に対抗するために建立した前線基地であったが、のちに大和の勢力がさらに北進したことで軍事的意義は小さくなり、陸奥国との国境検問所という役割が残ったという。

 

平安時代以降、律令制度の衰退とともにヤマト政権の軍事的要衝としての白河関の機能は解消していったと考えられている。白河関遠い「みちのく」の象徴として和歌の歌枕に起用され、文学的感傷をもたらす存在となった。

 

和歌での初出例は、平安中期の平兼盛が詠んだ「たよりあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと」(「拾遺和歌集」別)とされる。

江戸時代前期の1689年(元禄2年)、俳人松尾芭蕉は、みちのくの歌枕や古跡を巡る「奥のほそ道」の紀行で白河の関を訪れ「心許なき日数重なるままに、白川の関にかかりて旅心定まりぬ」と記した。

 

戊辰戦争以後、明治時代には白河関より北にある東北地方は内戦に敗れた「賊地」として蔑視されており、薩長土肥などの官軍側からは白川以北一山三文(東北地方には山一つにつき100文の価値しかない)という蔑称も用いられた。

 

1987年(明治13年)、宮城県の実業家である一力健治郎は白河以北から「河北」の字を取り、地方新聞紙河北新報を創刊して東北軽視への反発と東北の復興を誓った。

1918年(大正7年)に平民として初めて内閣総理大臣に就任した原敬岩手県盛岡市出身)は自身の俳号をを『一山』と称した。

 

2022年(令和4年)。1915年から続く高校野球の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会において初めて東北地方の学校が優勝したことについて、「優勝旗がついに白河の関を越えた」と表現された。

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白河の関

 ~以下は、白河市 HP(city.shirakawa.fukushima.jp)より(抄)

 

白河関は、東北本線白河駅から南方約12kmの山間に位置しており、栃木県境からは約3km北の地点にある。ここに南北約300m、東西250mで面積約58,000平方メートル、標高410mほどの丘陵があり、丘陵上には白河神社が祀られている。

白河関については、8・9世紀頃に書かれた文献資料にその名の記載がみられる。10世紀に入り、律令国家の崩壊とともに、官関の機能は失われ、白河の関」は歌枕として都人の憧景の地へと変化する。

寛政12年(1800)に白河藩松平定信が考証の結果、空堀・土塁が残る現在地が白河の関であると断定して「古関蹟」の碑をこの地に建てた。

昭和34年から5ケ年にわたって、ここが関跡か否かを実証的に確認することを目的として発掘調査が実施された(関の森遺跡)。この調査においては、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、土坑、柵列などが確認され、特に竪穴住居跡を中心に8・9世紀の土師器や須恵器、あるいは鉄製品が出土している。

調査において確認された遺構・遺物、遺跡の立地的考察から、ここが白河関の条件にかなう点が多く、国史として指定された。関跡の年代については、発掘調査の成果や白河関跡の記載がみられる文献資料の成立年代などから考えて、機能していたのは8・9世紀頃と考えらる。

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写真 / Atelier秀樹

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『秀樹杉松』133巻3991号 2022.9.21/ hideki-sansho.hatenablog.com #1031