............................................................................................... ○年末の12月27日にコロナに罹り、昨日の1月5日まで入院し、10日間の雌伏(しふく)を余儀なくされました。一方、戦いを制したコロナは、天高<雄飛(ゆうひ)。
○雄(オス)と雌(メス)」、そして「飛ぶ」と「伏す」の違いをまざまざと見せつけられた思いがした。
○コロナにうち勝って退院し、遅ればせながら自宅で新年を迎え、『秀樹杉松』の新春第一号を書けることは、望外の幸せと言っていいでしょう。コロナ感染による年末年始10日間の「雌伏」は想像もできなかったが、まあ人生とはこうものでしょうか。苦労したが勉強にもなりました。今年はこれを生きる糧(カテ)とせねば。
○我が家に落ち着いて、さっそく聴いたのは大好きな
チャイコフスキーの音楽。
「交響曲第一番」<冬の日の幻想>、「交響曲第二番」<小ロシア>、「交響曲第三番」<ポーランド>、『マンフレッド交響曲』。特に『マンフレッド交響曲』はいいですね!
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【註】以下の解説は『クラシック名曲ガイド① 交響曲』(音楽之友社1994刊)による。
◉「交響曲第一番」<冬の日の幻想>
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○チャイコフスキー初の交響曲。26歳の1866年に作曲。民族主義的な交響曲を目指そうとする姿勢がすでに端的に示されたものとなっている。<冬の日の幻想>とは作曲者自身による標題だが、まさにこの作品の持つ雰囲気にはロシアの冬を感じさせるものがある。
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○この作品は<小ロシア(ウクライナ)>という通称で知られているが、それは第一章と第四章でウクライナ民謡が用いられていることによる。
○ウクライナは若い頃からチャイコフスキーがしばしば訪れていた土地であり、彼はここで親しんだ民謡に基づいて、1872年にこの民族色豊かな交響曲を作り上げた。
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○前二作の交響曲が伝統的な四章編成をとっていたのに対し、1875年に書かれたこの第三番は五つの楽章を持っており、作曲技法の成熟ぶりがはっきりと示されている。
○この作品の完成後すぐにあの<白鳥の湖>にとりかかっており、交響曲とバレエ音楽といった全く異なるジャンルながら、同質の精神がこの二作には現れ出ていると言える。
○この交響曲は一般に<ポーランド>という名前で呼ばれているが、これはフィナーレがポーランドの民謡舞曲であるポロネーズによっていることから、後世の人が付けただけのことであり、作品そのものがポーランドと直接関係しているわけではない。
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◉マンフレッド交響曲
○1880年代に入った頃、チャイコフスキーはスランプに陥っていた。そうした折に、ロシア五人組のリーダー格にあったバラキレフから、イギリスの詩人バイロンの劇詩<マンフレッド>に基づく作品を書いてみないかという話を持ちかけられた。はじめ気の進まなかったチャイコフスキーも、この題材に取り組んでみようという気になって、1885年の作曲に打ち込み、四楽章構成のこの大規模な作品を作り上げた。
○標題交響曲だけあって、形式的にも内容的にもチャイコフスキーの他の交響曲とはまったく異なるものとなっており、マンフレッドを示す循環主題を中心に、ベルリオーズやリストに通じるような、壮大なドラマティックな交響詩風の作品に仕立て上げられている。
<第一楽章>
○マンフレッドがアルプスの山の中でさまよいながら、人生に疲れ、思い悩む。かつての恋人アスタルテの思い出も彼の心を責めさいなむだけ。
自由な形式による重々しい冒頭楽章。
<第二楽章>
○滝の飛沫にかかる虹の中にアルプスの仙女が現れる。
幻想的なスケルツォである。
<第三楽章>
○アルプスの仙人たちの素朴な生活を描いた、
牧歌的な間奏曲。
<第四楽章>
○アルプスの山神アリマネスの地下宮殿。山霊たちの激しい乱舞。そこにマンフレッドが登場する。呼び出されたアスタルテの亡霊がマンフレッドの死を予告し、彼の苦悩も終わる。
激しい起伏で展開する、迫真力に満ちた劇的な終曲。
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文と写真=Atelier秀樹
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『秀樹杉松』136巻4051号 2023.1.6/ hideki-sansho.hatenablog.com #1091