○クラシック音楽ファンの私は、作曲家を生まれた年で覚えています。
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1678=ヴィヴァルディ=『四季色んな花が咲く」~代表作「四季」にちなむ。
1756=モーツァルト= 「人和む音楽」~そんな曲が多いですね!
1770=ベートーヴェン=「嘶く(馬が声高く鳴く)奈翁」 ~ナポレオンのように元気な音楽。
1797= シューベルト=「泣くなシューベルト」 ~なんとなくそう思うのです。
1809=メンデルスゾーン=「奥深い音楽」~私はそう思います。
1810= ショパン & シューマン=「ショパンとシューマンは天才」~実際そうですね!
1833=ブラームス & ボロディン=「ブラームスは燦々と輝き、ボロディンはボロまとって散々な格好~ ボロディさんごめん!
1860=マーラー=「ハロー!Mahler」~ と元気に声をかけたい。
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○「好きな作曲家は?」と訊かれれば、「グスタフ・マーラー!」と答える。中でも交響曲は全部が好き。本稿では、その大好きなマーラーの交響曲を取り上げます。
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グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911)
以下は、『クラシック音楽作品名辞典』(井上和男編著、三省堂1994年)より
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○ユダヤ系。後期ロマン派の交響曲の作曲家として、A.ブルックナーと並び称される。ウィーン音楽院で学び、ウィーン大学では哲学を修めた。R.ワーグナーに心酔、各地の指揮者をつとめたのち、1897年よりウィーン宮廷劇場の指揮者となり、同劇場の全盛時代を築いた。
○1907年メトロポリタン歌劇場に招かれ、’09年にはニューヨーク・フィルハーモニーの指揮も行い、高い名声を博した。作品はワグネリズムに根幹を置いた長大な交響曲と、それと不可分の関係にあある管弦楽伴奏付歌曲が中心をなしており、明快な抒情性のなかに深い思索的内容を秘めた傑作によって占められている。
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以下は、ウィキぺディアによる。
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グスタフ・マーラー(オーストリアの作曲家、指揮者)は、主にオーストリアのウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家として知られる。
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◉交響曲第一番
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○《巨人》というニックネームは、1893年10月ハンブルクと94年6月ヴァイマルで五楽章の「交響詩」として演奏されたときに付いていただけで、89年11月ブタベスト初演の時にはなく、また96年3月ベルリンで四楽章の「交響曲」として演奏される時からは、各楽章についての説明同様、削除されてしまった。
○現在、たいてい四楽章で演奏されるこの交響曲にも、《巨人》という表題が生き残っているのは、名前があるほうが売れるだろうという音楽界、レコード業界の商売にすぎない。マーラーの全交響曲の中でも、第一番の演奏回数が一番多いという状況ではなくなった今、誤解をも含めてマーラー音楽の普及にそれなりの役割を果たしてきたこの表題には、そろそろ引退勧告を出しても良いのではあるまいか。
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◉交響曲第三番
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○第2交響曲の完成に6年を要したマーラーは、1895年、96年のふた夏でさらに規模の大きい第3交響曲を仕上げてしまう。これは先逹のベートーヴェンの影におびえて、交響曲第一番に21年を要したにブラームスが、その完成の翌年にはひと夏で交響曲第二番を作曲してしまうのと似ている。
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◉交響曲第五番
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○今日の第五交響曲人気がどの程度、第四楽章アダージェットのおかげなのか。アダージェット・ブームの火付け役であるルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」、CD『アダージョ・カラヤン』のおかげなのかは分からないが、多くのクラシック音楽入門者が最初に聴くベートーヴェンの交響曲が第五であるように、この第五交響曲からマーラーに入門する聴衆が増えるのは、まことに結構ことである。
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○マーラー九番目の交響曲ではあるが、第九番という番号を持っていない。番号なしの理由については、ベートーヴェンやブルックナーが交響曲を九番書いて死んだので、自分も死ぬのではという恐怖に駆られ作曲者が第九という番号を避けたのだ、というアルマ・マーラーの証言が、あまりにもよく知られてきた。
○《大地の歌》、第九、第十交響曲という最後の三曲が「死」もしくは「告別」を中心モティーフにしていることは議論の余地がないが、それを1907年に作曲者を襲った三つの「運命の打撃」のせいにする「人生」と「芸術」の安易な結びつけも、これまで常套的に行なわれてきた。これらは主としてアルマが作った、晩年のマーラーをめぐる伝説の一環である。
○実際には、この曲に第九という番号がないのは、代わりに《大地の歌》という表題があるせい、つまり交響曲と歌曲の*ハイブリッド作品であるせいである。
<註>*ハイブリッド=異種のものの組み合わせ・掛け合わせによて生み出されたモノ。
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○推しも押されるマーラーの最高傑作であると同時に、ベートーヴェン以来、ほぼ百年間にわたってクラシック音楽会の看板ジャンルだった交響曲という楽曲の終極の姿を示す作品でもある。
○第九交響曲がマーラーの最高傑作であるという評価に異論をさしはさむ人はまずいないと思われるが、このような高い評価の裏には、これがマーラー最後の傑作でありー繰り返しになるが、厳密には第九交響曲を完成作、次の第十交響曲を未完成作とする常套的な二分法は正しいとはいえない。
○この曲を作曲中のマーラーが死の恐怖に取りつかれれていたという、これまたしばしば語られる話も、伝統的な資料からは全く裏付けることができない。実際には曲を聴いた人がそう思いこまざるをえないほど、死との対決がここで迫真力を持って描かれているせいだろう。「人生が芸術を模倣する」の典型である。
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文と写真=Atelier秀樹
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『秀樹杉松』136巻4058号 2023.1.15/hideki-sansho.hatenablog.com #1098