秀樹杉松

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 リヒャルト・シュトラウス と ヨハン・シュトラウス2世

 

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アルプス交響曲」などで知られれるリヒャルト・シュトラウス (Richard Strauss,1864~1949)。「美しく青きドナウ」などで有名な「ヨハン・シュトラウス2世」(Johann Strauss II,1825~1899)。私の大好きな ”二人のシュトラウス” さんを紹介します。

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1)リヒャルト・シュトラウス(Richrd Strauss)

◉ R. シュトラウス

Profile

 ○ドイツの作曲家。1864年6月11日ミュンヘン生まれ~1949年9月8日ガルミッシュ=パルテンキルヘン没。

幼少

 ○ミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者の父に、5歳から音楽の手ほどきを受ける。

デビュー> 

 ○1875年からは音楽理論を学び始め、翌年には《祝典行進曲》を書いた。早くからハンス・フォン・ビューロに作曲と指揮の才能を認められる。当初は、有名なワーグナー嫌いでブラームス信奉者である父の影響を受けていたが、やがてリストやワーグナーらの作風に関心を抱き、交響詩的な作品を書くようになる。

 ○1895年からミュンヘン宮廷管弦楽団の主席指揮者を務め、1919年からウィーン国立歌劇場の指揮者となった。24年から創作に専念史始めるが、ナチス政権下では政治に巻き込まれることになる。戦後は再び積極的な演奏活動を始めるが、腎臓手術以来体力が衰え、心臓病も患って死去した。

ポイント

 ○宗教音楽を除くほとんどあらゆる分野の音楽を作曲し流麗な旋律と豊かな表現力が特徴である。クラウスやベームといった後輩に影響を与えるなど、指揮者としての功績も大きい。 

↑ 以上『クラシック音楽ガイド』(成美堂出版 2004) より

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↓ 以下『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂 2009 ) より

 

シュトラウス Richard Strauss[独]1864~1949

 ○ホルンの名手フランツの子。19世紀から20世紀にかけてのドイツの最大の作曲家。作品はブラームスの影響を見せるものから、やかてリスト、ワーグナー後継者として、交響詩、楽劇の分野で後期ロマン主義の極点に達すると同時に、新しい和声、巨大な管弦楽において、近代音楽の一つの方向をひらき、次の世代に多大な影響を与えた。

 ○指揮者としても活躍。第1次大戦後はややマンネリに陥り、ナチス時代にはドイツ音楽総監督の地位につくなどしたが、晩年はかつての栄光は見られない。

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2) ヨハン・シュトラウス2世 (Johann Strauss II)

<Profile>

 ○オーストリアの作曲家、指揮者。1825年10月25日ウィーン生~1899年6月3日同地没。

<幼少>

 ○同名の父(1804~49)はウィーンで絶大な人気を誇った作曲家・指揮者、ヴァイオリン奏者。音楽を職業とするを父から反対され、当初は銀行員になろうとしたが、音楽への夢立ち難く、父に秘密でヴァイオリン作曲を学ぶ。

<デビュー>

 ○1844年には自らの楽団を結成し、父と張り合うことになるが、46年には和解、父の死後二つの楽団を統一して人気を博したが、過労のあまり神経を病んだため、ヨーゼフ(1827~70)、エードウアル(1835~1916)という2人の弟と交互に式台に立つことにした。

<ポイント>

 ○ヨハン2世は父同様、ウィーン・ワルツの魅力を存分にたたえた曲の数々を作曲して演奏し、一世を風靡した。ヨーロッパ各地やロシア、アメリカへも演奏旅行に出かけ、宮廷舞踏会の指揮も務めた。私生活では3度結婚し、1899年に肺炎のため没した。

↑ 以上『クラシック音楽ガイド』(成美堂出版 2004)より

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↓ 以下『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂 2009 ) より

シュトラウス(2世) Johann Strauss (II) [墺]1825~99 

 シュトラウス1世の長男。1844年自らの楽団を組織しワルツを発表して成功。父の死後、その楽団を吸収。ヨーロッパ各地で演奏。ウィンナワルツの全盛時代を築き、<ワルツ王>とたたえられた。’63~70年宮廷舞踏会の指揮者。’71年よりオペレッタを手がけ、この分野ではスッぺとウィーンの人気を分かち合った。

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文・写真=Atelier秀樹

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『秀樹杉松』137巻4066号 2023.2.1/hideki-sansho.hatenablog.com No.1106